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2010年6月

2010年6月30日 (水)

何故、私には許されないの?

いつだったか、忘れてしまったが、たぶん高校生ぐらいの頃だったと思うけど、

夫が逝く一年前に亡くなった兄から、

”お前は、いじけっぽいんだよ!” と 言われた事がある。

確かに、自分の置かれた状況をひがむ訳ではないが、

いつも、自分は人とは違うみたいなことを思って、どこかでひがんでいる部分がある。

実によくない性格だ。兄に指摘されてなるべくそういう考え方を捨てようと思ったけど、

なかなか性格というものは変えられない。

でも、夫と出会って、そんな性格、何処かに消え去っていたのに・・・。

   

幼稚園に通い始める前位から、私の家には父の存在が無い。

その頃ははそんな生活も当たり前だったから、何も感じなかったけど、

小学校低学年の頃、普通に父の居る家庭が欲しくて、時々一人布団を被って泣いた。

・・・母や兄たちに、泣いているところを見られたくなかった。

母の大きな愛を感じていたから、

子ども心にも、母を泣かせてはいけないと、父の居ない寂しさを、一人堪えてきた。

  

母が一生懸命頑張っている姿を見て育ったから、私たち兄弟はそれぞれに、

自分の道は、自分で切り開くという生き方をしてきた。

 甘える事は許されない気がして、自分の事は自分でするのが当たり前になった。

”あれ、買って!” と おねだりした経験も小学校の低学年以降無い。

何か欲しいものがあっても、お小遣いで買う。

自分の稼ぎで手に入れる。

人に何かをしてもらうという、おねだりもした事があまりない。

      

 夫と出会って、初めて甘えられる相手をやっと見つけた気がした。

自分をさらけ出すことが出来る相手に出会え、それが何よりも嬉しかった。

夫にもおねだりはなかなか出来なかったけどね。

 それまでの肩の重荷のすべてから解放されたような、安堵感を感じたのを覚えている。

   

あこがれの普通の家族が作れる喜びを手にした。

でも、残念ながら子供を授かる事は出来なかったので、家族を手に入れる事は

また夢に終わちゃったけど。

それでも夫婦二人で楽しくやっていけたし、

「お互いに歳がいっても手を取り合いながら、仲よく老後を!」

                   ・・・だけは、許されると信じて、疑わなかった。

   

しかし、普通の家族を持つことがやっぱり許されなかったみたいだ。

  (今更、いじけてどうするんだって思うけど、事実だし・・・)

   

 人に甘える事も・・・。

  誰かの胸で、泣く事も・・・。 

ここに来ても、私には、一人で耐える事と、布団を被って一人で泣くことしか・・・。

   

強がりを言って、肩肘張って、

     寂しさとお友達になって・・・。

  普通っていったい何なの・・・(?)。

   

 普通って 私にとっては幻でしかないみたい。

  ・・・今は、いじけてる訳ではなくて、ただ、そう思うだけ。

     

       普通の道を歩くことが許されないのなら、

          回り道をしてでも

             私だけの素敵な道を見つけよう!

            ・・・私だって、私の前にある幸せに出会うために歩きたい!

2010年6月29日 (火)

今、おから料理にハマってます

最近、おからを使った料理をよく作ります。

 ヘルシー料理の代表格のおから料理。別にそれを意識してやっている訳ではなくて、

ただ単に素朴なおからの味が好きだからなんです。

ただ、問題はおからは料理すると量が増して、どっさり出来てしまう事coldsweats01

まあ、好きだからいいんだけど、さすがに同じ料理は飽きるので、

一袋のおからを色々な料理に使うようにしてます。

煮物はもちろん、おからのコロッケ、おからのハンバーグ・・・etc.

  (作った後は、冷凍、冷蔵を上手く利用して保存)

   

今日は、おからの炒り煮とおからの肉団子を作りました。

おからの炒り煮・・・私流

  いろんな具が入って、バランスのよいおかずです。(時には主食にも)

   

 材料・・おから・鶏の細切れ肉・人参・ごぼう・ひじき・干ししいたけ(水でもどして置く)

      味付け・・・だし汁(しいたけの戻し汁を加えて)+ ①{しょうゆ+さとう+酒}

             ( おからが入ると味が薄まるので、いつもの好みの味付けより少し濃い目に)

 ・ 鶏肉を炒め、色が変わったところで、人参(細切り)、ごぼう(ささがき)、ひじき、

   水で戻したしいたけの千切りを加え炒める。

 ・ 材料がひたひたになるくらいのだし汁を加えて、煮る。

 ・ ①の調味料を加え、味を確認してから、おからを少しずつ加えていく。

    おからが水分を吸っていくので、好みの量を様子を見ながら加える。

 ・ 後は木べらでかき混ぜながら、炒り煮。

   水分が適当に無くなったところで、ごま油を少々加えて香りづけをして出来上がり。

  

おからの肉団子

   お豆腐が入っているのでしっとり感もあり、ふんわり軽い味わいの肉団子です。

     (肉の歯ごたえが欲しい方には、物足りないかもしれないけど、

                                  胃に優しい感じです)

    

  材料    ・・・おから(60g)・とうふ(4分の一丁)・豚ひき肉(200g)・卵1個・

            人参(2分の一本)すりおろした物

            しょうがのみじん切り1かけ分、片栗粉大さじ1・塩・コショウ少々  

  たれの材料・・・水・酒・しょうゆ・砂糖(大さじ2)、

                水溶き片栗粉・・・水・片栗粉小さじ1

     

  ・ 材料をすべてボールに入れ、粘りが出るまでよくこねる。豆腐は水切りなしで

    そのまま入れます。 (この段階では、まとまる位の少し柔らかめです)

    一口大に丸めて、両手でキャッチボールしながら空気抜きをして、

    フライパンで焼く。両面を中火から弱火で蓋をして焼き、じっくり中まで火を通す。

  ・ たれの材料(水溶き片栗粉以外)を鍋に入れ、沸騰したら、

    焼き上がった肉団子を入れ、もう一度火を通す。

  ・ 一旦、火から下ろし、水溶き片栗粉を加え、再び火にかけ、とろみがついたら

   出来上がり。

   

☆ 使った事のある素材も、今まで作った事のない料理でチャレンジすると、

  <こんな食べ方もあったんだdelicious!> と おいしさの再発見が出来て、

  ちょっと楽しい気分になります。

2010年6月28日 (月)

盲腸の手術

 結婚して半年頃、夫が盲腸の手術の為入院する事になった。

自宅から車で10分以内の近くの外科医院だった。

 入院の荷物をまとめて、二人で病院に行き、案内されたのは3人部屋で、

小さな子どもと、中年の男性がすでに入院されていた。

夫の手術中、私はこの部屋で待機。

 する事もなくそこに座っていた私に、子供の付き添いで来ていた母親が話しかけてくる。

”盲腸ですか?” 

”ええ!”

”じゃあ、手術もそんなに時間がかかりませんね。”

そうですねと答えた私も、子供の頃に盲腸の手術をしているので様子は承知している。

そんな結構気楽な会話をしていた。

 ところが事前に医師から聞いていた予定時間になっても終わったという連絡が来ない。

ちょっと、不安に思っているところへ、

”少し、遅いですね(時間がかかってますね)!” と お隣さんが声をかけてきた。

”そうですね、何かあったのでしょうか?”

そんな会話に私は、いっそう不安が増して来た。

 それから間もなく、看護婦さんが呼びに来て、何事もなかった事に安心するが、

夫の盲腸が少し切除しにくいように腫れていて、時間がかかってしまったという事だった。

    

 見かけはガッチリ型の夫も、実はわたしより ず~と寂しがりやさん。

盲腸の手術といえども、一人は寂しかったらしい。

 夕方になり、帰ろうかどうしようか迷ってる私に、

”今日は、このまま帰るの?” と 夫。

夫は手術の後、個室に移った。個室には夫のベッドの他にもう一つの空いたベッドが

有ったので、私はそのまま残り、その晩泊る事にした。

  (個人の病院なのでその辺は臨機応変に対応してくれた)

もう子供じゃないのに、盲腸の手術位で家族が泊まり込むなんて、

あまり聞かないだろうけど、新婚さんという事で、病院側も何も言わなかった。

    

 手術の傷が普通より大きかったので、通常より3日伸びて、10日間の入院生活。

昼間、家の様子を見に行く事と、溜まった自分の仕事を片付けに行く事、

風呂にはいりに行く事以外は、ほとんど病院で 夫の傍にいた。

・・・confident 

 8月の暑い時期の入院だったので、私が外出する度に、

病院の前にある自販機でジュースを買って夫の部屋に戻るのが日課となった。

くじ付きの自販機で、「当たりで一本おまけ付き」 というものだった。

 ”今日も当たったよ! ほ~ら、コレおまけ!”

 ”また、当たっちゃった! 見て”

あの入院生活の時、結構頻繁に当たりが出て、夫に私は勝負強いと褒められた。

その後、入院の時の話が出る度に、この自販機の「当たり」の事が話題に上ったほど、

よく当たったのだ。

   

結局、退院の日まで、病院に泊まり込んじゃったwink

おかげで、夫も私も 寂しさを味わう事なく済んだという訳。

今思い出すと、新婚生活をそのまま持ち込んじゃったような入院生活だったなー!

    ・・・confident

         ☆  ☆  ☆

   

 思えば、夫の様態異変が起こる前の面会時間を終えて、帰る時、

あの盲腸の手術後と同じ、”帰っちゃうの?” って顔してたっけ・・・。

  これまで何度も思ったけど、ほんとに何故あの時帰って来ちゃったんだろう。

     盲腸の手術の時ですら、傍に居てあげたのに・・・。

                   think  

                      何もかも もう、遅いね・・・・・・・・・・。

       

       すべては過去の一ページ。

       

2010年6月27日 (日)

TVドラマの中で

再放送のサスペンスドラマを見ていた。

ドラマロケで使われた街は以前夫と旅したところだった。

   

・・・懐かしい! いつしかTV画面の中の街を私は歩いている。

      confident

<ここも、行った所だ!> <あっ!、ここも!>

夫と二人で歩いた街並みがある。 手をつないで歩いた街がある。

ドラマのストーリーは、どこかに消え、あの時の二人の会話が思い出された。

   

でも、我に返ってみれば、

TVの画面には当然の事ながら、夫の姿は映っていない。もちろん私も・・・。

そこは 夫の姿が消えてしまった現実の世界と同じ。

思い出だけが、残った街。

   

再びその街を訪れた時、街はどんな顔で、私を迎えてくれるのだろうか。

そこで私は、何を感じるのだろうか。

ちょっと、出かけてみたくなった。

   

夫の影を探すのではなく、私自身が何かを得る為に・・・。

2010年6月26日 (土)

試合はまだ終わった訳じゃない

サッカーのワールドカップの日本代表の活躍を報道するニュースや特番がいっぱい。

昨日はもちろん、今日も朝からやっている。

   

昨日のデンマーク戦は サッカーにあまり興味のない私も

なんだか見なければいけない気がして、早起きしてしまった。

粘り強く頑張っている選手たちを見ていると、見ているこちらも力が入る。

終了近くにダメ押しの追加点を決めた時には、ゴールに対する執念が見られ、

これまで以上に大きくなった日本代表を感じた。

   

そんな日本代表の活躍をたたえ、喜ぶ報道が多いのは当然だけど、

それを見ていて、

<まだ、試合は終わった訳じゃないよ! ここからが勝負なんだから!> って、

終わった事をそんなに喜んでる場合じゃないんだって、言ってる私が居る。

   

活躍はお見事だったし、勝利は嬉しいが、まだ途中、

当然、選手や監督はそうだろうけど、応援している私たちも

終わった試合は通過点の一つとして、いいイメージだけを残し、

先の試合を応援したいと思う。

  

まだ、必要以上の盛り上がりは不要、・・・先があるのだから!

すべての試合が終わったところで、ゆっくり美酒を頂きたいものです。

    

”過去は振り返らず、いい試合のイメージだけ残して、次に進もう!”

・・・何となく自分の人生に言っているみたいになってきた。

2010年6月25日 (金)

何してんだろう?

こんな風に考えたらいい。こうすればいいんだ。そうなんだ・・・。

  

いろんな事、分かってるのに何故そう出来ないのかな。

・・・私は、何してんだろう? 

      

いつになっても、出来ない。

あれから少しは、進めてるのかな(?)・・・同じ道を行ったり来たりしているみたいだ。

いろんな事 理解すればするほど、現実が重く感ずるのか。

その重さに、逃げているような自分がいる。

自分は楽な方へ、いつも ただ逃げているだけじゃないか。

理屈を言って安心しているだけなんだ、いつも・・・。

何してんだろう?・・・・ホントに!

   

  分かったなら、やってみてよ!

                ・・・デモネ!

  理解したなら、次に進んでよ!

                ・・・ダケドネ!

  それがいいなら、そうしてよ!

                ・・・ソウシタイケドネ!

         

   否定する自分が消えて全部出来たら、

        ・・・私はスーパーマン(スーパーウーマン)だ!

    それが出来ない私は、やっぱり普通の人。

                でも、スーパーマンも憧れる。

2010年6月24日 (木)

気が付いた時が怖い

夫が逝ってしまって、一人の生活にも慣れてきた。

変なんだけど、夫がそこに居ないのに < 寂しいよ~!> なんて今はあまり感じない。

今が寂しいという気持ちよりも、

あー! これからもずっとこうして一人なんだ・・・> と 

気が付いてしまった時、 何とも言い難い心境になる。

   

本当はまだ 寂しくて、寂しくて仕方がないのかもしれないけど、

こればっかりはどうしようもない事だと、しっかり認識出来ちゃったからなのだろう。

   

「これからも・・・」 というところは 未知数だから心穏やかでいられなくなってしまう。

<これからもずっと一人なんだ> と 思った次には 

              <今はこれでいいけど・・・> と くる。

先を考えると少し、心細くなる。

   

でも、明日は今日一日の延長にあり、明日が、明後日にと、繋がっている。

ひとっ飛びに未来に連れていかれる訳ではないから、

その時は その時で、きっと 「そこに対応できる自分」 が 出来上がっているのだろう。

   

先を不安に思う事よりも

今、大事なのは、一日の積み重ね。そして、自分をしっかり作る事。

・・・恐れることなんかない、

    未来は 毎日の積み重ねの向こうにある!

2010年6月23日 (水)

楽しんでるか~い!

今は亡き、忌野 清志郎さん(2009.5.2死去)が優しい笑顔で 叫んでいたように

” 楽しんでるか~い!” と 自分言いたい気分。

      notes どうしてるんだ?~Hey Hey Baby!・・・

   

雨も降って、ウォーキングも出来ないし、

せめておいしいものでも・・・と、デパ地下へ行っても、

<一人じゃ、こんなに食べられない!> と 思うと 何も買うものが無いし、

相変わらず、TVを見てもつまらないし、

<あ~、・・・一人じゃつまんない!> そんな気持ちが心をますます凹ませる。

<楽しい事がな~い!> 心の中で叫んでる。

   

 で・・・、

楽しい事って何? となる訳だけど、

楽しい事なんて、最初から存在しなくて、本当はそれが楽しめるかどうかっていう、

心の問題だけなんだよね。

同じ事をしたって、夫と一緒した事は楽しかったけど、今は全然楽しくない。

楽しく感じないだけなんだ。

   

「楽しく生きる為に、楽しい事をしよう!」 じゃなくて、

「楽しく生きる為に、楽しもう!happy01」 なんだよね。

   ・・・分かってるけど、私の心が全くそっちを向いてくれない。

     なかなかこれが難しいけど、何とかそういう方向に持って行かなくちゃ。

   

    ”楽しんでるか~い!” ・・・あっちから夫がきっと こう言ってる。

     ~ちょぴり、楽しくなってきた。

           アー、単純!bleah・・・それでいい

        

2010年6月22日 (火)

いい子にしてたら

子供の頃、よく思った。

「いい子にしてたら、きっといい事がある。」

そんな打算的な考えが 今も自分の中にあるようだ。

(現在の私のいい子

   =前向きに生きる・一人でも挫けないで頑張る・他人を羨まない・・・etc.)

神様はそんなのお見通しのはずなのに、私は何とかいい子にして、

何かを期待している。

   

頑張って生きていれば、夫がいい方に向かわせてくれる。

一生懸命生きれば、幸せは掴める。

だけど・・・そんな問題じゃないんだよね。人生というのは!

どんなに頑張ったって、一生懸命やったって、

出来ないものは出来ないし、手に入らない物は手に入らない。

おまけに凹んでいる時は、こんなことまで考える。

    <頑張って生きたって、夫の時の様に死ぬ時は死じゃうんだ!>

       全く情けない考え方で、嫌になっちゃうけど(・・・反省)。

こんなんじゃ、どう生きたって一緒かと言えば、決してそんな事はないのが人生みたい。

夫の人生だって、そんなこと思ってしまったらいけないよね。

・・・駆け抜けた様な人生だったけど、夫は最期の一瞬まで生き抜いたんだから!

   

 やっぱり希望や夢が叶うのが一番だけど、

その過程をどう過ごしていったかによって、結果が報われなくても満足感を得られる。

夢や目標に向かって、自分なりに頑張った充実感は残る。

気休めみたいけど、そうじゃない。

 実際、そうそう何もかもが上手く行くなんてあり得ない。

<自分のやってきた事に 満足感や充実感が味わえれば最高!>

いい子にしていたら、他から何か御褒美がもらえるじゃなくて、

いい子(自分が描く夢~幸ある人生)に近づくために努力した自分が宝物になる。

   

・・・でも、いい子になれない時もあるんだ。

  そんな時は、ゆっくり大きく深呼吸してみよう!

   < 私は生きている!>  と 実感出来るはず。

    

   

   

2010年6月21日 (月)

[永遠の眠り] って言うけど

[永遠の眠り] についた(?)私の夫。

夫を送る最期の言葉に、”安らかにお眠りください!” と 私を含め、

夫を送ってくださった皆様が声をかけた。

   

<夫は今、安らかな眠りについているだろうか?>

 ~眠ってなんかいません。千の風になって・・・なんていうのもあったよね。

  安らかな眠りに就くと 自然の一部になって 千の風になるのかな?

 

 誰が見てきたか知らないけど、

残された者が泣いてばかりいたら、逝った人は 安らかに眠られないのだという。

私が夫の事ばかり、思っていたら、ゆっくり眠られないのだという。

早く、死別の悲しみから立ち直れるようにとそう言ってくれるのだと思うけど、

そうだからといって、涙が勝手に出てくるのだから止める事なんて出来ないし、

頭の中で勝手に考えてしまうのだから止めることなんて出来ない。

・・・その時が来るまでは。

    その時は必ずやってくる。

    

 泣きたいだけ泣いて、考えたいだけ考えて、

思いっきり夫の事を思うで、死別を徐々に受け止めていけばいい。

・・・誰に言われなくても、そのうちだんだん分かってくる。

       think

死別したばかりの頃、夫のチョッとしたしぐさが思い出されるだけで、

嗚咽してしまうほど溢れた涙も、今は思い出しても、涙は出ない。

 (時に、不意打ちを食らったように涙があふれ出ることがあるけど・・・)

そうして、自然な形で、<あんなことがあった> <こんなことがあった> と 

すべてが思い出の中に収まっていくような気がする。

 私がそんなふうに思えた時、

夫はきっと、深い安らかな眠りに就くのだろうと思う。

夫は私の心が落ち着くまで、静かに傍で見守っていてくれているんじゃないかな。

そろそろ、かな?・・・まだ、かな?

 ・・・でも、これからも時々起しちゃうかも! wink

 

だって、その時がきたら、本当に一人のなってしまった事を痛感し、

今までとは違った切なさがやってくるから・・・。

    そんな切なさも 優しい風が吹いて、笑顔で乗り切れるといいなと思う。

2010年6月20日 (日)

やっぱり私も走りたい!

昨日はスロージョギングを止めて、ウォーキングでお買い物に行こうと出かけた。

いつものジョギングコースを通り抜けようとしたら、何人かの走っている人とすれ違った。

走っている人を見ていたら、無性に走りたくなってきた。

<やっぱり私も走りたい!> と 思ったけど

<今日は服装がタウン用で靴も違うし・・・> と 予定通り お買い物に行った。

   

<しかし、・・・なぜそんなに!> と 自分でも思うけど、

走りたいと思った気持が消えなくて、結局、早々に買い物を終え、家に戻った。

 家に着くと 腰を下ろす事もなく、汗になってもよいジョギング用の服装に着替え、

ジョギングシューズを履き、走りに出かけた。

        

 一時間ほどのウォーキングを兼ねた買い物の後、一時間のスロージョギング。

走りたいと思っただけあって、快調な走りで足も軽い。

<やっぱり、これだよね!>  ・・・ 楽しんでる自分がいた。

   

 ・別にこれと言って欲しいものがある訳でもないけど、

      <何となく出かけてみようかな> という程度の買い物。

 ・意味もなくただ走って、汗をかき、疲れる運動。

他人からみたら、どっちもどっちで 

”何してるんだ(?)” みたいなところがあるかもしれないけど、

自分の中にはやっぱりまだ、モヤモヤしたものが溜まっているんだなと思う。

   

 死別したばかりの頃は 「大泣きしてスッキリ!」 だったけど、

最近はそうそう涙も出てこない。

今の状況を、自分では割り切ることが出来てきているつもりだけど、

まだそれほどでもない自分も存在しているらしい。

 出ない涙の代わりに、汗を流す事によって、

少しづつでも心のモヤモヤを排除しようとしている。

  「流した涙と流した汗は同じ!」 

     突然の死別で流す大量の涙と、

   介護で大変な思いをして死別した人と流した大量の汗とは同じなんだって、

   何かに書いてあった。

    これはまた違う状況だけど、「喪失感に泣く涙と 喪失感と戦う汗は同じ!」

   というところだろうか。

 

  他人がどう見たっていいんだ。自分で自分を調整出来るうちは、

自分の方法で、あがきながら、私は私がやりたいようにやる。

・・・結局の所、自分が自らの力と意志で立ち上がるしかないのだから。

   

人にはそれぞれの人に合ったストレスの抜けだし方、現実の受け止め方がある。

自分に合ったやり方というのが大事だと思う。

取り合えず、流されることなく、信じた自分のやり方で進んでみよう。

   

    

2010年6月19日 (土)

ゴミ袋が大き過ぎるから

4月から、スーパーなどのレジ袋ではゴミが出せない事になり、

今は市販のゴミ袋を使用するようになっている。

このゴミ袋は、今まで、大きめのレジ袋で用の足りていた私には容量があり過ぎる。

別に、スカスカ状態でゴミを出してもいいんだろうけど、何か資源の無駄があるような

気がして、家中を歩き回って、ゴミ袋を一杯にしようと、

何か捨てられるものはないかと探す私。

    

夫と死別して、2年半が過ぎた。

夫の物も処分していかなければいけないが、これからの事を考えると、

自分の身の回りの物を含めて、なるべく身軽にしていきたいと思っている。

だけど、なかなか物を捨てられない私。

<ゴミの日毎に、この大き過ぎるゴミ袋を一杯にしたら、少しづつだけど片付くだろう!>

そう思って片付けたら、今日も大きなゴミ袋2枚を満杯にした。

何か、ちょっとした満足感!

     ・・・confident

こんな調子だから、家中がすっきりするのには、後何年かかるか疑問(?)だけど、

「大きなゴミ袋を無駄にしない!」 という名目が片付けを手助けしてくれる。

2010年6月18日 (金)

貴女もでしたか!

ヴォイストレーニングで御一緒している年配の女性が、個人別の発声練習の時に、

素晴らしく通るいい声を出したので、思わず拍手してしまった.。

”今日の声は、とってもいい感じでしたね!” と 素直な感想を伝えた。

すると、その女性は、

”もう、78歳になるのよ!  いい声が出てたなんて 嬉しいわ!

 歌を始めたのは、15年前に夫を亡くしてからなの。

   それからずっと続けているのだけど、

           いくつになっても歌は歌えるからいいわよ!” と いい笑顔で語った。

   

聞いてみなければ、分からないもの。

<そうなんだ・・・think。 貴女もでしたか!> と

歌の事よりも、その女性がご主人と死別されていたことが私の心に留まった。

<この女性も、私が今歩いている道を通り抜けて来たんだ。

     でも、十五年ですかー・・・そして私がこの女性の歳になるまでには30年近く・・・、

        今の私には気が遠くなるような年数。

                     まだまだ私には先だなー!> 

 <15年、30年という時を私はここからどう過ごしていくのだろうか>

と 私は心の中で呟いた。 

                ・・・think

練習中なのでそれ以上の会話をする事はなかったけれど、

この方とはそれまで特別お話した事は無いし、こちらから聞いてもいないのに、

こんな話が出るなんて、神様は今、私に何か伝えたい事があるのだと思った。

   

この女性も死別の悲しみから抜け出すために、

きっと、あがきながらも前向きに生きようと 歌を始めたのだろう。

   

隣の席で、今、伸び伸びした声で、楽しそうに歌う女性を見ていると、

「人生、色々な事があっても、必ず越えられる。

 自分さえその気になれば、人生楽しむことが出来るし、目の前にある幸せが見える。」

と 神様は伝えたいのかなと思った。

    ・・・私は夫との死別からまだ、2年半が過ぎようとしてるだけ。

       まずは、一歩一歩 着実にというところからね!

2010年6月17日 (木)

サツキのお手入れ

貴重な梅雨の中休み・・・この間まできれいに咲いてくれていたサツキに

                お礼のお手入れです。

今年も見事な花を見せてくれたサツキ。ほとんどの花が咲き終わりました。

毎日枯れた花摘みをしながら、亡き夫とサツキを植えた日の事が思い出された。

夫も一緒に満開のサツキを見ていてくれていたんだと思う・・・confident

          

「サツキの剪定」

     hairsalon 

 花が終わったら、すぐ剪定というのが翌年のサツキの花の付きを良くする。

サツキは花が終わるとすぐに新芽が出てくるが、その新芽に花芽が付くので、

せっかくの花芽を切ってしまわないように、

剪定は 花が終わった後、新芽が伸びる前、なるべく早い方がいい。

剪定をすると切り口から一杯新芽が出る・・・その新芽にいっぱい花芽が付くと訳。

庭木の手入れも 「待った無し!」 です。

   

 雨の日は出来ないから、 貴重な晴れ間は 絶好のチャンス。

しかし、雨上がりで空気も澄んでいるし、紫外線も強そう。

帽子をかぶり、首にタオル、長袖Tシャツで作業を始めたが、

背に受ける太陽の日差しが、シャツを通りぬけ肌に刺すように痛い。

   sun ・・・真夏の太陽みたいだ。

これでは日焼けしてしまうと思い、少々暑いけどジャケットを着て作業再開。

うつむきながらサツキにハサミを入れていると、

顔から汗がボトボトと落ちる。

 背中の日差しは厚地のジャケットのおかげで気にならなくなった。

しかし、「午前中からいい汗流してます!」 っていう感じ。

   

梅雨明けまで待てないこの作業を終えて、ホッと一息です。

   

 作業を終えて、ジャケットを脱ぐと、中のTシャツは汗びっしょり。

作業の時、着ていたものをすべて洗濯機に放り込み、

2度目のお洗濯。昼近くに干しても、強い日差しのおかげで、

少し暑い綿のジャケットも14時前にはカラカラに乾いた。

お洗濯物にとっても、 お日様、様さまです。

   

この晴れも今日まで、明日からはまた雨模様ということです。

2010年6月16日 (水)

びわの実

近所の人からびわの実を頂いた。

夫の実家のびわの木が頭に浮かんだ。

   

 夫の母が とてもびわが好きで、きっとおいしかったびわの種を植えたのだろう、

実家の庭の隅におかれたトロ箱に50センチほどに育ったびわの苗が 何本もあった。

 母が亡くなった後、それを見つけた夫と私は、

”お母さんのびわの木を植え替えてあげよう!” と 山の畑に運んだ。

びわの木は大きく育つ常緑樹。屋敷地内に植えるものではないと聞いたことがあるので、

畑に持っていって植えた。

 それから17,8年経って、びわの木は数メートルの立派な木に育ち、

毎年この時期になると私たちだけでは食べきれないほどたくさんの実を付けてくれた。

梅雨時の蒸し暑い中での草刈り作業で 汗びっしょりのヘトヘトになった私たちだったが、

”お母さんからの贈り物だね!” と 夫と二人で収穫し、自然の恵みに疲れも消えた。

   

日頃の街中の生活だけでは味わえない夫との貴重なひと時だった・・・。

   

 びわの木の周りの草刈り、木の剪定と二人で手入れをしてきたあの木々は、

今頃どうなっているのだろう?

実家を義兄達に譲ってから、一度も見に行った事はないが、

他県に住む彼らが、草刈りなどの手入れをしていてくれるとは考えられない。

山の畑は年に最低でも3回は、草刈り機で手入れしてきた。

一年そのままにして置いたら、もう辺り一面背丈以上の草むらになってしまうだろう。

山の中の畑だったから、葦やセイタカアワダチソウ、葛、ススキなどの雑草が大きく育ち、

びわの木も、もう山に帰ってしまったかもしれない。

  (そうあって欲しいと願う気持ちもある。・・・思い出の地を夫にささげたい。

        夫との思い出の場所もすべて、自然に帰っていく。

                      ・・・夫と先に亡くなった夫の両親の元へ)

    

びわの実を食べながら、切なく、そして甘い思い出が巡る。

   

  山に帰った畑で、夫と 夫の両親が びわを食べながら、

                  笑顔で語り合う姿が私には見える confident 。

2010年6月15日 (火)

「後良し」で心を支えて

夫との死別後の毎日は、これまでブログで綴ってきたように、

それまで(夫との死別を体験するまで)の想像を超える大変なものがある。

時が経てば、すべて納得出来るというものでもないらしい。

悲しみ、愚痴や嘆き等々を言いだしたら、切りなく出てくるけれど、

ひとつ心がけたいのは、[いろんな事を考える時、必ず「後良し」で締めくくる事]。

( 後良し・・・悪い事を言っても、最後はいい事をを言って全体をいい方向に持っていく)

   

「悲しい、悲しい・・・!」 で 終わってしまったら、再び悲しみを引きずることになる。

悲しいのには違いないけれど、悲しいと思っても、その締めくくりを明るい方向で締める。

たとえるなら、

「今はこんなに悲しいけど、夫と暮らした結婚生活をこのままで終わらせてはいけない。

 夫はあんなに幸せな日々を私に与えてくれた。 

 後に残った私が、2人の人生を[幸せ]という文字で完結させる為に、

 夫亡き後の生活も、幸せを手にする事が出来る様に生きて行こう!」  なんて・・・。

そんな 「後良し」 の発想をすれば、それまで への字に曲がっていた口元も、

口角の上がった素敵な笑顔になっている自分に気が付く。

<そうだ!・・・やってみよう!> と 忘れていた力も湧いてくる。

   

ストレスをためない為にも、嘆きや愚痴は大いに言っていい。

         (・・・他人に迷惑をかけない程度に!)

でも、終わりには必ず、心が軽くなる発想で締めくくって、

<だけど、こんな物の見方をすれば、大したことでは無いよ!> と 

自分に言う事を心がけよう。

上向きのいい発想が出来たら、鏡の中の自分の顔が、素敵に見えるはず。

       

 人間の心って、複雑だけど、意外と単純なところもあるみたいから、

悲しみがぶり返したり、凹んでしまったら、

こんな事を思い出して、ちょっとだけ頑張ってみよう。

きっと、そこから抜け出る小道が見えてくるに違いない!!

   

2010年6月14日 (月)

扉を開けて・・・

夫の事を考えている時間が以前と比べて少なくなった。

(少なくなったというよりは、あえて考えないようにしているところもある)

       

でも、時に気が付けば、扉を開けて・・・話しかけている。

         ・・・そして、また扉を閉める。

夫と暮らしていたあの頃と同じ。

別の部屋に居ても、夫の気配を感じるし、仕事に行っていれば、離れてるのが当たり前。

自分のやりたい事をやり、自分が次にこうしようと思う事をこなしていく。

夫と一緒に居た時だって、ずっと話し続けていた訳ではなかった・・・その時と同じだ。

必要な時だけ、夫に話しかける。

必要な時だけ、向こうから話しかけてくる。

     (・・・ただ違うのは、姿は見えない事と 声は聞こえない事)

   

死別後、四六時中 夫の事が頭から離れなかった昨年、一昨年に比べると、

少々亡き夫に対して、<冷たいかな!> なんて時々思う。

しかし、夫の事を忘れてしまった訳ではないので 

  夫も <それでいいよ!> と 言っている様な気もする。

   

毎日、お仏壇にお供えとお線香を上げるのは欠かした事は無いが、

半年前の三回忌を境に、私は月命日の墓参りをあえて止めた。

色々な考え方の人が居ると思うけど、

月命日だから・・・という気持ちをあえて持たないことにした。

以前、夫とそうしていたように、命日、お彼岸とお盆、暮れとお正月、

     後は <今日はお墓参りに行こう!> と 思った時だけお墓参りに行く。

そうして距離を置いていく事も、今は必要だと考えた。

      ・

      ・

      ・

この扉の向こうには夫が居る。

・・・扉の向こうこそ、仮想空間なのだろう。

こう考えるようになった私は、今その外に居る。

   そして・・・現実で 「夫」 とではなく、「自分」 と向き合っている時間が長くなった。

2010年6月13日 (日)

継続と自信

昨年の今頃、TVでスロージョギングを紹介されて以来、ずっと、

体も心も元気になるこの運動をウォーキングと組み合わせながらほぼ毎日続けている。

我ながら、こんなに続くとは思わなかった。以前はこんなに根気が無かったと思うが、

夫亡き後,、根気だけは身についたように思う。

      (同じ事をしていると安心するという、単純な理由もあるけど・・・ネ)

   

夫が逝ってしまってから、どれぐらい歩いたかな?

雨の日以外は、一日一時間強、少ない日でも30分は歩いたり、走ったりしている。

直線距離にしたら、もうかなりの道のりを歩いた事になる。

 < shoe・・shoe・・ 歩き続けたら、夫の傍まで行けるような・・・> なんて思った時もある。

 時に、足音がした(?)ような気がして、夫の気配を後ろに感じる時もある。

   

何も考えず、歩く事走る事に集中してと思うのだが、雑念が多くてなかなか難しい。

でも、時に「」になれる時間が感じられるのがいい。

それが続いた理由の一つ。

 ほんの少しでも「」になる時間が持てる事が楽しい。

   

疲れて・・・でもまた、歩いて・・・そして自分が心に決めた目的地まで行く。

<頑張れ! ファイト!> と 自分で自分を励まして走りぬいた充実感が、

その後、何かを成し遂げ様とする時、やってくる不安を持っていってくれる。

<あれだけ頑張れたのだから、これが出来ないはずはない!> なんて、

全然違う事なのに、変な自信が自分を後押ししてくれる。

こんな事を何回か体験したのも、スロージョギングやウォーキングが続いた理由。

   

要は、夫亡き後、頼る物は自分自身になった今は、自分の精神面と体が勝負どころ。

自分を色々な形で、磨き上げていく事が、「自分に自信を持つこと」 に繋がり、

何が起こっても、「自分なら出来る!」 と 考えられるようになる。

前向きに進む 後押しをしてくれるようだ。

  

2010年6月12日 (土)

夫婦寄り添って

朝日が眩しいく、まだ9時前だというのに照りつける日差しは刺すような感じ。

明日には”梅雨入りか?” と言っているが、今日はいいお天気になりそうだ。

   

我が家の東側に幅4mほどの歩道がある。

垣根の植え込みに水をまいていると、歩道の端、つまり我が家の植え込みの

すぐ横を歩いている人がいる。あわや、水をかけそうになってしまった。

<こんなに歩道が広いんだから、もっと真ん中を歩けばいいのに・・・> と思う。

家の日陰になっていて、涼しいからそこを歩くというのなら分かる気もするが、

朝の東側は、日蔭などないのだから。

<ポツンと一人で歩く時は、何か寄り添うものがあると安心するのかな?>

   

そう言えば、夫が亡くなってすぐに知人がこんな手紙をくれた。

「ご夫婦寄り添うように生きてこられたのに、こんなに早くにこんな事になって・・・」

死別一週間後、この 「夫婦寄り添って」 ということばに改めて号泣してしまった。

<二人で生きてきたのに・・・> と 思って悲しんでいた所に、

「夫婦寄り添って・・・」 と きた。

<そうか、・・・私たちはただ二人で生きてきたんじゃなくて、

            本当にお互いに支え合ってここまで来たんだよね!>

そんな想いが、私に涙を流させた。

  

支え合っていた片方が無くなった時、私はここから何を支えに生きていくのだろうか。

あの歩道の隅を歩いていた人のように、私も歩道の隅を歩くのだろうか。

   いや、私は歩道の真ん中を堂々と歩きたい!・・・陽の光を全身に浴びて。

          支えは、自分の心の中にちゃんとある。

2010年6月11日 (金)

誕生

5月24日、姪に第二子女児誕生。

ここのところ気分が低迷していたので、今兄の所で静養している<姪にお祝を!> と

気に掛けていたのだが、なかなか出かけられずにいた。

・・・未来のある家族と 後の無い私。

比較することではないと思っているのに、情けなくもそんな事を考えてしまったのだ。

しかし、昨日今日とぐっすり眠れたのが良かったのか、

ウジウジと変にいじけた気持ちが無くなり、素直にお祝いが言える

晴れた気分になったので、出産祝いに出かけた。

  

2年半前、夫の葬儀の時、大きなお腹を抱えて夫婦で出席してくれたのが

つい昨日の事の様に思えていたが、もう2人目の子供が誕生した。

あの時から、確実に時が過ぎているのを痛感する。

    

この私には、掴む事の出来なかった未来を今、姪は手に入れた。

ぜひ、「子供と夫との現在と未来!」 大切にして欲しいと思う。

ご主人と共に、末永く幸せな未来が築かれていく事をお祈りする。

そして、2人の孫のおじいちゃん、おばあちゃんになった兄と義姉にも、

今後も家族に囲まれた末永く幸せな日々が続いていってくれる事を祈る!

   

後の無い私も 何とか自分の道をいい方向に持っていけるようにしたい。

引き継いでくれる未来は無いけれども、私には私の未来がある。

過去は変えられないけど、私の未来は「心持ち一つ」で明るくなるのだろう。

          confident

今はまだ、精神的に凸凹があって目指す所も見えてこない不安定な状況だ。

それに、夫の死が運命ということならば、私の運命も決められているのかも知れない。

だけど、

<決められたものが、少しでも自分にふさわしい物になるように生きていかなくちゃ!>

と 思う。

夫と作り上げた結婚生活の結末をハッピーエンドにするのは私の力量にかかっている。

それが私の役目、目指す所なんだから!・・・ファイト!!

2010年6月10日 (木)

いい眠り

やはり、眠りが充実していると、気分がかなりいい。

昨日は、ブログに書いたように、眠りに就く前に楽しい事を一杯考えてと、

色々頭に浮かべていたら、そのうち寝入ってしまった。

    sleepy

前夜23時頃ベッドに入って、いつものように翌朝5時にいったん目覚めたが、

目を閉じたらまたすぐに寝てしまい結局6時半起床。

久しぶりにゆっくり眠る事が出来て、朝からやる気モード突入っていう感じ。

昨日ブログに書いた、TVの内容はホントだったんだと身を持って実証された感じで、

<これはいいかも!>っていう感じ。

これからはこの方法で行こう。

   

いい眠りがもらえると気持ちがかなり前向きになるから不思議!

・・・ちょっとした事なんて、別に気にならなくなる。

眠りは多過ぎても少な過ぎても健康によくないらしい。

6時間半から7時間ぐらいがいいということだ。

「深いいい眠り・・・昼間楽しい一日を過ごして、適度に疲れ・・・そしてまた、いい眠りへ」

     ・

     ・

     ・

こんな事を考えていたら、

<夫は充実したいい人生を送れたから、深い深い・・・いい眠りにつけたのかな・・・>

なんて、また変に結び付けてしまっている私がいた。

話が飛躍しすぎです・・・(笑)wink

   

2010年6月 9日 (水)

熟睡を導くために

なかなか寝付けなかったり、眠りが浅かったり、朝異常に早く目覚めてしまったりと

夫と死別してから、心地よい睡眠が取れる日が少ない。

睡眠時間も少なくなっているような気がする。(お昼寝なんていうのも、全くしなくなったし)

  

この間、TVを見ていたら、熟睡を導くためには、

お布団に入ったら、寝る前にその日を反省するのではなくて、

「寝る前には、楽しい事を思い浮かべる事!」 と 言っていた。

なるほど~!   confident

  

考えてもどうしようもないと分かっているのに、考えて凹む。楽しく生きるのがいいと

分かっていても、それを引きずり降ろすように悲しかった事、不安な事が頭に浮かぶ。

それも自分の意志とは無関係に突然やってくるから厄介だ。

まだまだ、凹む事によって夫の死の傍に寄り添って居たいから?

あの時が夫との最期の接点だったからかな・・・無意識のうちに心は動いている。

何もかもが

 本当に、矛盾してる!

全部分かっているのに・・・時として出来ないんだ。

   

だから、せめて寝る前ぐらい毎日、楽しい事を考える様にしよう!

楽しい事を考えて、熟睡出来れば、迎えてくれるのは・・・新しい朝

迎える日を悲しい事、辛い事、切ない事、etc.など、何も引きずらない様に、

「さわやかにスタート!」 したいと願う。

2010年6月 8日 (火)

いいタイミング

先日、ある百貨店の広告に、リサイクルのお知らせが出ていた。

スーツ、ジャケット、コートいずれか2着で

    500円のクーポン券と交換してくれるという企画。

<不用品が片付けられて、使用期限付きだけど、金券が頂けるなんてチャンスかも!>

夫の物を片付けなければと考えているが なかなか出来ない私にとっては、

ちょっと後押しをしてくれる感じ・・・いいタイミング!

  

ただ、ゴミとして処分するのではあまりにも寂しいけど、リサイクルという名目が付けば、

何となく気分が違う。それも、見ず知らずの誰かが着るというのには抵抗があるが、

断熱材として再利用され、車などの内装に利用されるというから、

出してみようという気持ちになった。

  

なかなか整理出来なくて、洋服ダンスから出したり、入れたりしてた夫の背広を

もう一度点検。 せっかくリサイクルにという気持ちになったのに、

<これはダメ、あれはダメ!> と いつものパターンになりそうだった。・・・でも、

何とか背広上下6着とジャケット2枚の計8枚をセレクト。

合計2000円分のクーポン券と交換してきた。

   

・・・チョッピリ、洋服ダンスの中身と心が軽くなった。

2010年6月 7日 (月)

梅雨入り前の庭

梅雨間近とは思えないほど、さわやかなお天気が続き、

この時期にやらなければいけない庭仕事も予定通り進んだ。

・白樫・マテバシイなどの庭木の剪定

・アブラムシ、ハマキムシ、イラガ予防の為の薬剤散布(オルトラン水溶液を薄めた物)

・芝刈り   etc.

  

昨年の日照不足により、芝生の生育が悪くハゲテしまった所も、

パンチで穴を所々に開け、根切をしたり、目土の補給をしたりしたので、

少しづつ回復してきている。

先週の施肥が効いてきたのか、芝の緑もいい感じになってきた。

芝刈り機をかけて、芝生の目も揃いすっきりした庭を見ていると、本当に気持ちがいい。

  

白樫と二段埴栽されているサツキの花が今満開の見頃。

次々に花を開くサツキは、葉っぱが見えないほど咲き誇り、

一列のサツキの植え込みが鮮やかなピンクに染まっている。

歩道を通る人が目を休めてくれているようだ。

  

そんな中、命を終えた花が毎日順番にポトポトと歩道に落ちる。

そのまま木の上でしおれる花もある。

ここから一週間は、歩道に落ちたサツキの花のお掃除が毎日の日課です。

歩道の花をお掃除しながら、木に付いたままのしおれた花を取り除いていきます。

せっかくきれいに咲いているのだから、

     枯れたお花はきちっと取り除いてあげたいですからね!

   

サツキの花が終わる頃には、梅雨入りとなり、

また・・・季節が移っていきます。

2010年6月 6日 (日)

いいお天気で・・・!

とってもいいお天気sunで、

<何処かへ・・・> と 普通ならそう思うんだろうなー!

でも、<こんなにいいお天気なのに・・・> と 思う私。

    

ここの所、肩から首にかけての凝りがなかなか抜けなくて、

眠って居ても首が痛くて目が覚めたりする。

気分まで不調になる・・・ドライブに行く気にもならない。

<ウォーキングをすれば、治るかな> 

<いつものようにジョギングすれば、軽くなるかな>

そんなことを考えて、実行しているにも関わらず、思うように良くならない。

そんな肩の重さに、テンション上がらず。

   

とりあえず、世間では梅雨入り前の晴天だから、

恥ずかしながら、まだ出ているホットカーペットをしまって、

夏に向けての部屋の模様替えをしようと、昨日は奮闘した。

・・・疲れがいつもの倍に感じる。

それでもすっきりした部屋になって、少しは頑張った甲斐があったかな。

   

窓の外をボーっと眺めながら、思う。

         ・・・think

<何か今ひとつ満たされないよ!・・・この世界は乾燥しきっているなー!>

この世界じゃなくて、私の心が渇ききっているのかも・・・。

    

マッ!そのうち・・・また、楽しく思える日も来るさ!  confident

今日は久しぶりに、庭の紫陽花を持って、お墓参りに行ってこよう!

2010年6月 5日 (土)

私の中では彼方はいつも温かい

ほとんど見る事のない一枚の大事な、「大切な写真」がある。

   

こんなことはタブーで、そんな写真を撮ってはいけないのかもしれないけど、

誰もいなくなった夫の通夜の席で、こっそり・・・私は夫の眠る写真を撮った。

 <明日には、夫の姿をもう見られなくなってしまうのか・・・> と思った次の瞬間には、

写真を撮るという行動に出ていた。<本当に夫の最期の一枚だ!> と無意識のうちに

確認しようとしていたのかもしれない。

   

これまでに3回ほど、その写真を見た事がある。

冷たくなった夫を知らない私が、夫が逝ってしまった事を事実として受け止める為に・・・。

・・・現実を確認するために。

     

病院で夫が逝ってしまってから、私は夫に触れていない。

夫の最期の時、お布団の上で眠っている夫にも私は触れることは出来なかった

ただ傍に居たり、周りを行ったり来たりして、夫を覗きこむ私。

          (何度見ても、夫は ”ウソだよ~ン!” と 言って起きてきそうだった。)

本当の所はその辺の記憶があまり無いのだが、

夫が冷たくなってしまったという感触が私の中に全く無いので、

                  やはり触れることは無かったのだろう。

   

夫の最期の時までずっと病院のベッドに横たわる夫の肩に私の手を差し入れて、

夫の肩を抱きながら、私は何時間もずっと、夫に歌いかけた。私の記憶にあるのは、

その時の温かな夫の感触だけだ。

夫はとても温かかった。それまでの夫の優しさがその温かさとして、私の心の中に

しっかり残されている。

 <これからも 私の中では、彼方はいつも温かい!

    

あの時、交わす言葉は無かったけれど、私に残されたあの時の感触が、

夫の遺言だったのかも知れないと最近になって思う。

   「いつも、温かい心でね!」

 夫はそう言って、私を温かく見守っていてくれる。

                      ・・・きっと confident 。

2010年6月 4日 (金)

仮想空間の中で

時が過ぎ、仮想空間の中で生きている自分から、

        現実の中で生きる自分に戻りつつある。

   

2年半前の夫の突然の死。<夫の死が現実になってしまいそうだ>そう思った瞬間から、

<夫がこの世から居なくなる!・・・そんな恐ろしい事、起こるはずがない!> と 

自分の中で一生懸命に否定するが、非情にもその時はやって来た。

 心の整理なんて到底出来るはずがない。

<嘘だ!・夢だ!> ・・・恐れと不安で何が何やらさっぱり理解できないまま、

次から次へとやってくる、現実の事の進行に任せて、私はただ動いていた。

心と体が一つにはならず、その時から私の身の回りの

     すべてが、私の中では仮想空間の中での出来事となってしまった様だ。

  

フワフワとその中で、生かされている私は、地に足がついておらず、

実際は流れてゆく現実に居ながら、感覚的には現実から一人阻害されているような感じ。

こんな仮想空間(この目に見えない壁の中)の生活をしている居る私には、

五感も上手く働かない。

  ・・・ただ、喉が渇き、色々な想いをぶつける所もなく、

               身の置き所のない自分がそこに居た。

それでも、   

「夫はいつも私の傍に居て、私を守ってくれている」 とか、

「夫は別の世界で今は充実した日々を送っている」 とか・・・、

仮想空間の中で夫を想うことで どうにか心の平静を保っている。

  

時が経ち、49日、初彼岸、100か日、初盆、一周忌、三回忌と過ぎた。

持って行き場の無い色々な感情と闘いながら、自分なりに「夫の死」を考え、

「夫の死」を理解しようとした。

   

すべてを納得出来た訳ではないが、私は私で生きなくてはならない。

死がやってくるまでは、<夫が死んでしまったから!> と 言って、私の人生から

逃げ出す事は出来ないのだ。

夫から(仏様から、神様からか)与えられた課題もやり遂げなくてはいけない。

    ・・・それなりに自分では頑張っているつもり。

   

そんな毎日の積み重ねの中で、時間の経過と共に、

仮想空間の隙間から、現実の風の流れを感じる事が出来きてくる。

季節の移ろいを感じる事が出来るようになり、少しづつ五感が私のもとに戻って来た。

    ・・・空の青さが戻ってきた。

しかし、心の中ではまだ少し仮想の空間は保たれている。

自分の心を守るために!

   

 一人で、こんなに長い間、生活した事は生まれてから今までに無かった経験だ。

それでも、寂しさで逃げ出す事も無く こうしてやってこれたのは、

仮想空間の存在を無意識のうちに認めて、その中に身を置いていたからなのだと思う。

仮想の空間に守られていたのだろう。

   

求めなくとも、いずれ、私のすべてが現実の中に入れる時がくる。

仮想空間の中で生きようが、現実の中で生きようが、他人からみれば、

すべては私の生きざまであり、私なんだけど、

この 「一枚の薄い壁」 が私にとって大きな存在であり、大きな意味を持っていたんだ。

2010年6月 3日 (木)

無条件で楽しかったよ!

夫と二人なら、何をしても、何もかもが理屈なんていらない、無条件で楽しかったよ!

今は気合を入れないと、スタートしない。

理屈を言ったり、考えないと生きる事が自分の物にならない。

そんな生活だから、時々自分自身が壊れる。

      ・・・やろうと思う逆の事をしたり、何も考えたくなくなったり・・・。

   

夫がいた頃は、夫と共に、時にはくだらない事も言ったり、バカバカしい事をしてみたり、

リラックスする時間があったんだよね。

・・・息抜きの時間。

今は、そんな時間が無いのかな?  一人じゃ、そんなこと出来ないしー・・・。

それでも、趣味のコーラスやヴォイトレでオフの時間を作ってるけど・・・。

笑いが足りないのかな。

   

何もかも無条件で幸せを感じていたあの頃・・・。

フアフアのクッションの上を飛び跳ねていたように、すべてに笑いがあった。

    

しかし、人生はそんなに甘くないってことなんだよね。

<一番楽しい時に、逝ってしまった夫はある意味幸せなんだろうなー、きっと。>

   

遠い世界に     作詞 西岡 たかし 

note 遠い世界に 旅に出ようか それとも 赤い風船に乗って

    雲の上を歩いてみようか

       太陽の光で虹を作った お空の風をもらって帰って

                   暗い霧を吹き飛ばしたい  note

   

夫と死別後、車の運転をしていると、何故かいつも

この「遠い世界に」 の歌が口から出てきて、

何度も何度も 一番のこの歌詞を繰り返しながら、歌っていた私だ。

 歌っているとだんだん大きな声になってくる。

          ・・・流れ出る涙を振り切るように!

              think  疲れていたんだろうな・・・。

 最近はあまりこの歌を歌っていなかったが、昨日は運転していて、

久しぶりに口から出てきた。

  ・・・ひと時の解放された時間に、涙が少しこぼれた。

             そして再び、一段と大きな声で歌っていた。

                think 今日も疲れてるんだ・・・きっと。

2010年6月 2日 (水)

疲れてる?

夫と死別してから、感覚的な事がどうも上手く働いていないようで、

自分は今疲れているのか?

自分はお腹が空いているのか?

よく分からない。 (というか、そのことに気が付くまでにかなり時間がかかる)

  

 気を張り過ぎているのかもしれないが、仕事でもウォーキングでもスロージョギングでも

疲れを感じない訳ではないが、自分がどれくらい疲れているかがよく分からず、

「まだやれる、まだ走れる!」 そんな気がして、もっともっとと、

ついやり過ぎてしまっている所がある。

 仕事では、疲れでミスがあるといけないから、疲れたから休むというよりも 

<集中力が無くなったら疲れているんだろう!> と終了するが。

そんな具合だから、後になって肩こりからか首が回らないようになったり、

走り過ぎで足を傷めたりと症状が出てから <自分は疲れていたんだ> と気が付く。

 お腹が空かないから、食べなくても平気だったり、反対に満腹にもかかわらず、

食べ物を口にしたりして (これは単に早食いで満腹感を感じないだけかな?)、

後で胃が張って苦しい思いをする。

    「何処まで・・・」という、私の量りが壊れてる。

 

一人だから好きなようにやっているからいけないんだと思うけど、

       「貴女は今これだけ疲れています」 なんて、

             目に見える形で、教えてくれるといいなーと思う。

2010年6月 1日 (火)

花のメッセージ

20100601_dvc00080 昨夜開花したクジャクサボテンの花はこんなに見事に!

    

今、2つの花が咲いていますが、今年は3つ咲きそうな・・・。

葉っぱだけの時には想像も付かないこの花の色、形に心を奪われてしまいます。

あまりの鮮やかな色合いに、自然の神秘を感じて、物言わぬ花なれど

何かのメッセージを伝えているかのように。

   

たった二、三日しかこの艶やかな姿は見る事が出来ません。

それ以外は存在感の無いよれよれした長細い葉っぱだけ。

人目の無い夜に花開き、圧倒的な存在感で迫ってくる。

   

   ”誰が見ていなくたっていい。・・・花開け!

            その花は、きっと見た人の心を引きつける。

          

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