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2010年3月24日 (水)

冷え切った心の塊

充実した仕事が出来て、満足出来たと思っている気持ちも数日過ぎれば、

何処かに空白を感じている。

心から満たされたと思っても、スーッと勢いよく気持ちが冷めてしまう。

ここ半年ぐらいの私はいつもこんな事を感じてきた。

今回もまただ。

冷え切った大きな金属の塊が、表面だけ熱くなっても 中の方は温度が

上がっていなくて、刺激を止めると表面の温度が中の冷えた温度に負けてしまう。

  

< つまらないんだ! ・・・ 一人じゃ。>

  

夫の死・・・本当に重たい現実なんだと改めて思う。

  

 私のこころの隅にある空洞が 隙あればと口を広げて待っているような感じだ。

      ・・・冷えた空洞が熱を飲み込む。

ここにハマらない為には、私の場合 次から次へと色んな事をしていないとダメみたい。

心に刺激を与え続けることで、心の空洞にこちらから、色々なものを投げ込込んで

行けばいいってことかな。

なかなか、「続けて・・・」というのは難しいところだけど。

  

でも考えてみれば、熱くなれる自分が戻って来ただけでも、

死別したばかりの頃と比較したら、大変な進歩だと思う。

夫が逝ってしまった生活の中で、何かに熱くなれる自分なんて

あり得ないと思っていたものね。

  

<すぐ、冷えちゃったっていいよ!>

<最初から温められないよりはずっと、温度は上がっているはずだよ!>

前を向いて歩いている私の声が聞こえてきた。

  

・・・そうだよね。

自分の体温も上がって来ているから、冷えてしまっても、最初と比較した時の

その少しの温度の上昇に気が付かないだけなのかもしれない。

何度も何度も、こうして刺激を与えていけば、

きっといつか、冷え切った塊の芯まで熱が届いていく。

そして、温かい心の塊をいつまでも実感できる日がくるのだろう。

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死別後の心の動き」カテゴリの記事

コメント

大きなおめめさん、そういう感じよく分かります。この度の経験はほんとに素晴らしいものだったのだろうと思います。でも普段の生活からはかけ離れた体の疲れもきっとあるはずで・・・そういったものが、熱い想いがしずまった後、はたと重い現実に気がつき冷えた空洞に落ち込むのかもしれないですね。

私も同じような思いを何度もしています。私は新しいところにものこのこと出て行きますし、その場その場は楽しく過ごすのですが、頭があつ~くなってかえってくればくるほど、その思いを語る相手がいなくてポロポロと涙を流すなんてことになります。面白い話を聞いたり、自分にとってヒントになるようなことがあったりした時もそうです。嬉しいことがあればあるほど・・・やっぱり、あなたがいなきゃつまんない!!!!・・・と。

悲しみの海にはまらないためには大きなおめめだん同様次々といろんなことをしてなきゃダメみたいです。私は三回忌を前になんだかめちゃくちゃに予定が入っています。

私は・・力をぬいて自然体でいるようになるにはまだ時間がかかりそうです。

masaさん、コメントありがとうございます。

ここで私が言いたかった事は、落ち込むとか、凹んでしまったという事ではないのです。ことばを変えれば、すぐに妙に白けてしまった自分がやって来てしまうということなのです。
得たものは持って歩いているのですが、そこには無表情の自分が居るとでもいう感じでしょうか。


言葉のニュアンスは難しいですね。落ち込むへこむ・・というのではなくてと私も受け取ってましたが、書き出すと自分のことにも合わせてしまうのでそんな感じの表現になったのかもしれません。

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