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2009年11月 2日 (月)

夫の存在そのものに対するこだわり

落ち着いたところで、冷静に自己分析をしてみる。

夫は死んでしまったけど、いつも私のそばに居てくれている

このことを自分自身感じて、確信しているにもかかわらず、

時として、辛く悲しくなるのは、

やはり、夫の存在そのものに まだこだわりを捨てきれず、

夫に逢いたい、姿が見たい、声が聞きたいとなるからに違いない。

  

こだわり・・・物に対する執着

 もし、このこだわりがなかったら、もっと楽に生きられるのかもしれない。

しかし、こだわりとか、物に対する執着心等の何もかもを捨て去り、生きることが

今の自分にとっていい人生なのかと考えると、決してそんなことではないのではないかと、 

私は思う。それに今はそんなこと出来るはずがない。

  

 何かにこだわって、夫の死にこだわって、結果、悲しんだり、悩んだり、

苦しんだりすることになる。でも、それはそれで私にとって、いいことなんだ。

その時は苦しいかもしれないけど、

<いろいろな感情と向き合いながら生きるのも、もしかしたら人間らしい生き方の一つ>

と 最近思う。

   私は悟りを開いた人間ではないから、物にこだわり、物に執着して

いっぱい悩み、悲しむ。そんなことを体験しながら、その渦の中で、

自分がどう対応していけるかを見ることが出来る。

周りの人々と私はどう関わっていくのだろうか?

         自分がどう変わっていけるのか、楽しむ事も出来る。

明日の私はどんな私なのだろうか?

悲しみとどう向き合ったのか?

すでに無いと分かっている夫の存在求めて、自分が何を得たのか・・・

いろんなことで苦悩する自分は生きている人間そのもの。

・・・もし、今

悲しみも喪失感も無く、楽に生きることを許されるとしても、

夫の死を体験した私は、やはりこの悲しみ、苦しむ道を選ぶに違いない。

それは、この悲しみ、苦しみ等

       夫が私に与えてくれた大切な贈り物だからものだから。

 この試練と戦うことが今の私に与えられたものだから。

よく人が口にするけど、

神様は乗り越えられない試練は与えない” と。そうなんだと私も思う。

     私には出来る、きっと出来る。言い聞かせることが大事。

・・・時間の経過とともに、

思い切り戦って、それなりに何かを掴んで、それぞれを自分の中で完全に

消化出来た時、こだわりと執着を捨てることが出来る自分になるのだろう。

・・・そして、

夫の死に支配されていた自分から、夫の死を支配する自分に変われた時に

自分の生きる道がはっきりとまっすぐに見えてくるだろうし、

          夫の思い出を笑顔で懐かしく語れる日となるのだろう。

                confident

そんな日が来るまでは、もがいて行ったり来たりしながらも

              逃げないで、投げ出さないで挑戦していこうと思う。

       夫も私に期待してくれているに違いない。

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死別後の心の動き」カテゴリの記事

コメント

目に見えないものは信じるしかありません、
深く信じることで自信となります。
目に見えるものは感じるしかありません、
五感で感じることにより感動します。
心は気と意と情からなります。
気は元気、意は生きる意欲、情は思いやり
これらを頭脳の知識と相まって上手に生きられます。
後は思いを行為行動に移すことです。
思いは虚像、現実こそが真実です。
思いがあるから、とまどい苦しみます。
 私は過去に鬱を経験しました、今は腹部の手術しなければならないのに恐り、ためらっています。
ある人のために死ななければと水面を眺めたこともあります。
あるときは、見えもしない霊を恐がって寺に駆け込み、断られたこともあります。
 私は困り果ててお釈迦様の勉強を少ししました。
自力でお経を習い、お四国巡礼もしました。
仏教で分かったことはたくさんありますが、
その都度必要なことだけしか見えません。
それも、他人のために祈った分だけ気づけます。
今は気楽に微笑んで優しい言葉をかける。
それだけしかできません。
この世は自分の心の中にあり、心の鏡にすべて映し出されます。
自分の欲することをそのまま続ければいいのですよ。
心清ければすべては人間修行として認められます。
心は皆弱いものです、話し合っていきましょう。

エスプリさん コメントありがとうございます。
信じる事、感じる事、感動、よくわかります。おっしゃる通りですね。
気・意・情・・・なるほどと思いました。
今の私は、自分で言うのも変ですが
結構、溢れている気がします。

毎日、いろいろな事を考えますが、
今を生きている事は、楽しいと最近思えています。
(この楽しいは、当然笑ってしまう楽しさとは違う意味ですよ)
時に悲しくて、時に切なくてとあるのも、
<これもまた正直な自分だな>と思っています。
いろんな事を感じ、色々なことに触れ、いろいろな事を思う自分が変な言い方ですけど面白いです。

それは一人になってしまって、つまらないのは本音ですが、
その置かれた環境の中では、
生きる事を十分楽しめているようです。
ここまでづっと、素の自分を見つめ続けて来て、
その度ごとに心が洗われていくようで、
気づきもいっぱいありました。
もし、夫の死がなかったら、自分はこんなに
素直になれなかったもしれない。
自分を見つめる事も無かったかもしれない。
夫の死によって、出され続ける課題は、
ここからも、片づけ続けているつもりです。
メッセージを感じながら。
自分の持つ未知なるエネルギーを感じながら。

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