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2009年9月

2009年9月30日 (水)

振付が大詰めです

コンサートまで後一か月を切りました。

2部の楽しいステージの振り付けが大詰めです。

 先生に付けて頂いたものにアレンジを加えて、舞台全面を使って、動き回ります。

歌いながら踊るのも楽しくなってきて、結構 ノリ ノリ!

ビートの利いた音楽が体に入って来ました。

       (・・・いまだに 盆踊り状態の人も数人いて困りますが)

               happy01 ~~

いつもは、後ろで歌っている私も、前奏のリズムにのって 舞台前面に出て来て、

   notes 歌っちゃいま~す!

           何だか楽しいぞ! イェ~イ!up

白のオールフレアーのドレスを着てすっかりその気です。

若い頃のディスコ(今時はクラブupwardright)通いが、変な所で 本領発揮です。

非日常の舞台も大いにリフレッシュ効果が 期待できそうです。

                   練習だけでこれだけ盛り上がるんだから。

・・・エッ!歌はどこへ行った? って

大丈夫、もうしっかり暗譜出来たから、後は磨きをかけるだけ。

忘れてました! 

   それが一番大変な所だったんだ・・・coldsweats01

2009年9月29日 (火)

「求めない」とは、こういうこと?

このブログを書き始めた頃(2009・2・18)に

      「<求めない>雑誌のコラムを読んで」という記事を書いた。

 あの頃まだ、<求めないで生きる>ということを実感として、自分の中に

受け入れる事が出来なかったが、ここのところ少しづつ実感してきた事がある。

  「求めない」ということの自分なりの意味が。

  ☆  ☆  ☆

 夫との死別後をひとり生きる。

どうせこの現実から逃げられないのなら、自分から向かっていく方がいい。

どんなに悲しくても、どんなに辛くても、空しくても、何をすることにも

意味を感じなくなっても、何もしないより、何かをした方がいい。

         ・・・そこに、得るものは必ずある。

 自分の中だけで心が満たされないのならば、

             心の隙間を埋めてくれる何かを自分から探しに行こう。

・・・だれも私の所に届けてはくれないのだから。

ひとり、こんな事を思いながら、仕事、趣味、家事etc.

何か少しでも出来ることをやる。

    

 しかし、楽しいと思える事が楽しくないし、つまらない。

            そして、何かをすることに意味を感じなかったりする。

でも、あきらめないで もう少し続けてみると!

自分が望む楽しさはそこにないかもしれないけど、求めたそれとは違うまた別の

何かに触れられて、ひらめきshineを得ることがある。

         <あの時やめないで、続けていて良かったと思う>

 自分の頭の考えることには限界があるということなのだろう。

思いもつかぬ副産物に出会える。これは、結構ありがたいもの・心に響くものが多い。

        ・・・それは思いがけない出会いであったり、

             心からの感動であったり、意外な教えであったり・・・

 「求めない」ということは、こういうことなのかもしれない。

自分が求めた楽しさは、手に入らなくて、

    求めないところで、思いがけないものが自分の手に入る。

 求める事の無意味さを思うと同時に、

何もしなかったら見つけること、感じる事の出来なかった

思わぬ輝きに、心が洗われる

夫との死別により、無くしたものがいっぱいの私は、

    平凡な毎日を送っていた頃に比べて、ほんの小さな輝きにも敏感になっている。

           shine 乾いた心はとても吸収がいい。

     

「人生に無駄な事は一つもない」 と 

くじけそうになる私は、いつも自分に言って聞かせている。

<こんなことをして、いったい何になるのだ>と、

自分がやろうとしている事に何かを求めても 得るものはない。

<こんなことしたって・・・!>と感じた事も、やってみれば、それは必ず 

                     この先の何かに繋がっていく。

何になるのかは、その行った事にもよるけど、言える事は

未来に繋げていく力を得ることが出来た ということだと思う。

・・・

こんな事をこの1年数か月、自分が過ごしてきたなかで学んだ。

前を向いて行動する事は私の生きる力になる。

・・・ up

    

しかし、これですべての喪失感から抜け出せる訳ではなかった。

     ・・・ sweat02 

時としてフッ!とやって来る 何とも言い表せない、

  持って行き場の無い心の叫びがある。

「求める救い」と「求めていないのにやって来る悲痛と心の叫び!」

      think

<この気持ちをどうにかして!、落ち着かさせて!・・・>

大声で叫びたい!・・・(あたりまえだけど、実際にはしないです)

         wobbly

”夫よ!安らかに眠って!”と祈る自分と

”帰って来て!(いつ帰って来るの?)”と叫ぶ(問いかける)自分。

         think

夫の死という現実を分かってはいても 理解したくない自分。

         despair

頑張りたい自分と頑張りたくない自分。

         sad

そんな時は頭の中で考えているだけだと余計に大きく広がる。

モヤモヤをぶつける為に、体を動かす。

ウォーキング・スロージョギングに私の場合は、発散の場を求めた。

体を使い、疲れと汗が心の靄を少しづつ持って行ってくれる。

  

求めた救いとは、自分が動くことだった。

 (救いとは、他の人に(神様、仏様)求めるものではなかった。)

すべてが解決できなくても、少しパワーが湧いてくる。

一度に何でも解決出来なくたって、少しづつでも霧が晴れれば

明日へ続く道が見えてくる。

   

どうせ逃げ出せない現実ならば、自分から進んで働きかける。

     自分から動けば、求めずとも得るものはある。

得るものは、いいことばかりではないけど、いやなことだって、考え方によっては、

その事を考えるチャンスを与えられたのだということ。

 それは 「次を踏み出す一歩を慎重に運べ」 というメッセージだと思うことした。

      そう考えると教えられるものがある。

           ・・・shine

人生に与えられた時間は、限られている。

突然の夫の死があったように、私の明日も保障されてはいない。

今という時間を大切に考えたら、行動する事しかない。

         まずはやってみる事が自分を変えていく。

             confident ・・・

行動はするけど、求めないこと。

それが自然に生きる自分を生み出し、「ギコチナイ」毎日から救ってくれる。

そして生き生きとした私の明日に繋がって行く。

2009年9月28日 (月)

目に見えない物

先日コメントの返事を書いていて、スルッと

<私は目に見えないものと接する事に慣れている> という言葉が出てきた。

そんなことそれまであまり意識した事はなかったけど、そのことばを打ち込みながら、

<ホントだな~confident>と改めて思っていた。

  

 夫との死別があってからの私は、目に見えない夫の存在・目に見えない夫の愛を信じ、

夫に話しかけ、夫と一緒に出かけ、夫と毎日を過ごしている。

                (時に信じきれなくて、辛い時もあるけれど)

 信じれるようになったのは、やはり、夫が亡くなった翌日、

夫の車で出かけた時に、駐車場のおじさんに

”お連れ様は降りてください!”と 言われたあの一件からだ。

この事はブログの中で何度か書いたけど、

<夫が今も私のとなりに一緒にいる> という実感が これまでの私を支えてきた。

目に見えない物が信じられるようになったきっかけとなる出来事。

・・・pc

PCの向こう側にいる

目に見えない友達(勝手に友達にしてしまいますが)の存在も私にとっては、

目の前に居る友達の存在と なんら変わりなく、受け入れられている。

むしろ、近しいものを感じる時さえもある。

目に見えないからこそ、一生懸命にことばを選び、

        自分の事を伝えようとしてくれているコメントを大切に思う。

 何度も何度も読み返しながら、私は自分に伝わってくるものを読み取ろうとする。

目の前で何気なく話している時とは、また違う何かを 感じ取る事が出来るようだ。

相手を見ていないので、受け取りに誤りがあるかもしれない。

”そんなこと言ってないのに!” と 思われてるかもしれないけど、

真面目に、真剣に伝わってくることを

      読み取ろうとしている事だけは わかってくださいね!

             confident

目に見えないけど、信じたい。

      目に見えないけど、信じられる。

   そして、そのことばの後ろにあるメッセージは心に伝わってくる。

2009年9月27日 (日)

市民文化祭

今日は市民文化祭合唱の日。

7月に新たに入会したコーラス・J.のメンバーとして参加してきました。

  (以前から続けているコーラス<S>と掛け持ちです)

 結婚して、この地に来て21年目にして初めての文化祭参加。結構新鮮な感動です。

        私の小さな第一歩なのです。

 夫と死別してから、初めて今まで(夫がいた頃)の継続ではない

新しい自分の世界を作るべく、入会したコーラス・J.

            「新生大きなおめめ」の船出とも言える演奏ステージです。

                     (coldsweats01・・・ちょっと、大げさかな?)

今まで夫の傘の下で、安住の地にいたけれど、夫が亡くなり

もうそれは許されなくなってしまいました。

 悲しいかな、もう私は、○○さんの奥さんでは ないのです。

夫とともに広げた人間関係という世界は夫の死とともに、縮小せざるを得ない状況に

追い込まれました。

             ~ think

・・・wink ここから、またやり直しです。

大きなおめめとして、自分の新たな世界を作りましょう!

そう思って入会したコーラス・J.。

こうして、少しずつ自分の居場所を広げていくことが、○○の奥さんではない、

大きなおめめ個人の世界を 作っていくことになると思います。自分の居場所です。

そしてそれが、これからの自分を支えてくれることでしょう。

  notes  ・・・船出の曲は

フニ・クリ・フニ・クラ と

     ミスチルの「しるし」

        ・・・ ~note心の声は君に届くのかな~

                      で・し・た。

    船出は今のところ 順調です!happy01

2009年9月26日 (土)

ギ・コ・チ・ナ・イ

ぎこちない・・・すらすらと運ばない。なめらかでない。

  

 最近はあまり感じなくなってきたけど、夫と死別後、私の生活のすべてにこのことばが

当てはまる。  ・・・一つ一つが ギ・コ・チ・ナ・イ。

この生活は夫の死で私の人生すべても「無」になってしまったように思えた所から、

スタートした。 

  「無」の中から何かをするというのは、大変なこと。

今まで、何も考えずやってきた日常が、すべて何かの定義づけが無いと出来ない。

何でその事をするのか、自分に言い聞かせないとやれない。

             ・・・そこに変な気負いもある。

自分のしている事をもう一人の自分が見ているような、不自然な毎日。

                    ~ eye

食事は生きる為・・・食べる事は生きることなんだ。私は生きてまだまだ

                      やらなければならないことがたくさんある。

            それも自分で何でもやらなければいけないのだから!

仕事は生活の為・・・もう生活を支えてくれる人はいないのだから。

      何もしないでいたら、この現実に耐えられないから。

      仕事が楽しみに繋がるかも知れない。仕事をして、強引にでも別の事を

                     考えることで、深い落ち込みに入らなくて済む。

このような事は一例に過ぎないけど、何をするにも、

<○○だからやろう> <○○になるからやっておこう>

と 何か定義をつけ、自分に言い聞かせないと 動けない。何をするにも、考えてしまう。

これは自然な行為ではない。

いろいろ考えながらするので、なかなか一つ一つの行為が自分の物にならなくて、

すべての事がしっくりこない。

   「実にぎこちない毎日」 というところが表現として当たっている。

  

・・・そんな毎日も、お庭や公園の草木に触れて癒される。

自然の中に、安らぎがあるのは、

    木々や草花、鳥や虫たちが文字通り、自然に生きているからだと思う。

季節になれば、花を咲かせ、葉が芽吹き、紅葉し、落葉する。

「ギ・コ・チ・ナ・イ」毎日の中で、こんなふうに自然に生きているものに触れると、

忘れていたこと、

「人として自然に生きる事とはどういうことか」 を 思い出させてくれる。

”肩の力を抜いて、あまり考えすぎないように、

           なるがままに身を任せることも、時には必要よ!。

 理屈ではなく、その時々の温度に合わせた行動も あっていいのよ!”

                  confident

     この「ぎこちなさ」を感じる事がなくなった時が、

               楽しい人生を送ることに繋がるのでしょう。

2009年9月25日 (金)

楽しいこと?

先日コメントの返事を書こうと、PCに向かい「楽しいこと」とキーボードを打って、

   ・・・私の手が止まってしまった。

後に続くことばが出てこなかった。私にとって楽しいことって、いったい何?

「人生を楽しむ」って、大切な人を喪ってしまった時、とっても難しい問題です・・・think

      心の安らぎを得ること とはまた違いますからね。

  

 その日、私は何か無性に亡き夫に会いたいと思っていた。

いつものように夕方、スロージョギングに出た時のこと。

ここのところ、いつも心の中で歌を歌いながら、走っていたんだけど、その日は違った。

走り始めると心の中で、

<○○クンに会いたい!、〇〇クンに会いたい!>

と 呟いている。それも飽きることなく、くり返しくり返し、呟く。

何度もお願いしたら、もしかしたら?・・・叶うかもしれない。そんな事あるはずないと

思いながらも、走り終わるまでずっと呟いていた。

           ・・・いつもの歌が出てくることはなかった。

<心の声が夫に届け!>と言わんばかりに繰り返し呟いた。

そんな日のコメントへの返事。私は「楽しむこと」について 書く事が出来なかった。

<夫と一緒に居る時が、一番楽しかったから。>

<夫と一緒なら何をしていても、楽しかったから。>

    ・ ・ ・

 別に凹んでいた訳でもなかったけど、無性に夫に会いたいと思ったこの日に、

楽しいことについて書こうと思ったら、

<夫亡き今、楽しいことはどこへ行ってしまったのだろう?>

と 思った。

<これからやってくる私の人生の楽しみは、

     ・・・どこからやってくるのだろう。何にあるんだろう。>

と 思った。

これが、これからの私の新しい課題なのか。

夫が逝ってしまった今、<自分だけが楽しんでいいのだろうか>

                 という疑問を含めて、これからの課題かも。

                         think

これからの私の人生を 本当に楽しむことが出来ていると感じた時は、

<一人で楽しんでもいいよ!> と 亡き夫の許しが出た時かもしれない。

      「楽しむこと」一つをとってもぎこちない感じを覚える。

2009年9月24日 (木)

テレビショッピング

夫の死後、私には変な習慣がある。

  アトリエで仕事をしている時、以前はラジオをずっと聞きながら仕事をしていたけど、

夫が逝ってしまってから、今も何の音も流していない。

 車の音、道を行く人の話し声、風の音といった生活環境の音以外の音の無いところで、

ただ、黙々と仕事をしている。

      ・・・仕事中の余分な音がわずらわしと思えるようになって。

 それなのに、仕事が終わってリビングに来ると、真っ先に、TVのスイッチを入れる。

見る訳ではないのに。

そこで、PCに向かったり、本を開いたりと スイッチを入れたTVを見ることなく、

いろんな事をしている私には 音と映像が流れているだけでいい。

ただ、にぎわいの為のTV・・・何もない空間が埋まる。

   そんなところかもしれない。(電気代が無駄と叱られそうだ。)

だから、TVの内容はほとんど頭に入っていない。

でも、世間から取り残されてはいけないと、ニュースだけは 座って、真剣にみている。

            tv

そんなTV利用だけど、気に入った番組を一応探す。

なかなかいいのがなくて、それならばと一日中やっているテレビショッピングの

チャンネルにすることが多い。・・・かといって、何を買うという訳でもないのだけれど。

ずっと間を開けることなく、誰かがおしゃべりしているから、

                   このチャンネルにしているのかもしれない。

 一生懸命商品の説明をする人がいる、相槌を打つ人がいる。

TVの中の人は、時間が空くことなく、ずっとしゃべり続けている。

・・・ここが素晴らしい!・こんなにお得です・自分も気に入ってる

笑顔を振りまいて、表情豊かに話続ける。

時に、滑稽に思える時もある。

<この人は本当にこの商品をこんなに気に入っているのか?>

<この商品はそんなにいいの?>

傍らで、PCを操作しながら、そんな事を思う。

    moon3

夜遅いのに商品が売れていく・・・真夜中なのに!

”商品が残り少なくなりました。予約段階に入っています。”

  あっ!・・・また「売り切れ」の文字。

       <本当にこんな時間に、売れているのだろうか>

そんな疑問を持ちながら、最初から買う気持ちなんて全くないはずなのに、

時に買わなくては損みたいな気になって、自分も買うために電話を入れたくなるが、

まだ一度も行動に移した事はない。

<みんなこんな気持ちで、TELを入れているのかも>

      そんなことを、ボーと頭のなかで思う。

            tv・・・telephone

しかし、こんな番組をずっと見ている人は <そうはいないだろうなー?> と、

テレビショッピングを見続ける、こんな自分の行動も なかなか滑稽だ。

2009年9月23日 (水)

お彼岸の中日

今日はお彼岸の中日。今日をはさんで前3日、後3日がお彼岸。

 昔はお彼岸の中日は、おはぎを食べる日と思っていた。

育った実家は新家だった為に、仏様がいなかったし、そもそも我が家の系統は

神道だったから、お彼岸の行事といってもあまりピンと来るものがなかった。

という訳で、おはぎを食べる日になってしまう。

 そんな私が、お仏壇のある家に嫁いできて、今 守る立場になってしまった。

考えてみれば、何か変な感じを持たない訳でもない。

           ・・・今更、そんな事を言ってもしょうがないかしら?

 取り合えず、本日は菩提寺で彼岸法要があって出かけた。

今年は、5連休の最終日ということで、どこかへ旅行にでも行っている人が多いそうで、

参加者がいつもの3分の1位と少々寂しい。寺の本堂が少し広く感じる。

年に2回の彼岸法要だからと思って、私は仕事の予定をやりくりして出掛けた。

今回は、急な仕事が入ったので 行かないで済まそうとも考えたけど、後になって、

行っておけば良かったと思うのも嫌だから、出席した。

まあ、気持ちの問題ですよね!

<行かなくてもいい>と思えば、行かなくてもいいし、

<行った方がいいかな?>と思ったら、行っておいた方がいい。

こんな軽いことを言ったら、和尚様にしかられそうですね。

              ・・・ coldsweats01

でも、            

<年に2回お彼岸に仏様が対岸にやってくると思うと

    お墓参りや彼岸法要に出て仏様になってしまった夫に会いに行かないとね。> 

と ちゃんと心していますから。

本堂に正座し、御経を聞きながら、今日の私は、

   <ここのどこに、夫は隠れているんだろう?>

             なんて、目をキョロキョロさせていた。

<あそこから、フーッ!と顔を出してくれないかなー>

<そうだったら、感激なのに>

子供みたいな事を考えている。

いつもは、気持ちを集中させて座っているんだけどな~。

   wink

今日は、若和尚の7歳になる子供が初めて、衣を付けて かわいい子坊主として、

デビューして来たので、その子坊主に気を取られ、少々集中が切れてしまったようです。

 

2009年9月22日 (火)

ヘアースタイル

 亡き夫と暮らしていた頃のまま、同じヘアースタイルの私。

何度か伸びた分ぐらいのカットはするが基本は変えていない。

  

 以前読んだ週刊誌に、ヘアースタイルを変えないのは、・・・不安定な心理状態。

自分の気持ちを何とか留めておきたい現れというようなことが書かれていた。

また反対に、今の自分に自信がある人もヘアースタイルが一定しているという。

安定した自分。どちらにしても、ヘアースタイルを変えないのは、

現状を維持したいということになるらしい。

          <なるほどー! >と思って読んだ。

 ヘアースタイルに心理状態が現れるというのは 自分を考えてみても、

言えるかなと思う。私の場合もやはり現状(夫が傍にいた頃)を変えたくないという

ところかな。

ここで、ヘアースタイルを変えてしまうと、

今までのすべてが無くなってしまうように思えるというのが、正直な気持ちかもしれない。

このヘアースタイルが変わるのはいつになるのだろうか?

       もう少し時間が欲しいかもしれない。

 

 

2009年9月21日 (月)

これからの思い出は心の中に

8月に行われたコーラスの全国大会の写真が出来あがってきて、

みんなが申し込みをしている。

・・・そんな光景を私は、だた見ている。

別に、シラケタ気持ちで見ている訳ではなくて、写真はもう私にとっては

あまり必要と感じないだけだ。

<こうだったよ>と 見せる夫もいないし、自分の為だったら心の中だけで十分。

取っておいても、私が死ぬ頃には、順番からいけば親兄弟も逝ってしまっていてる

だろうから、もう懐かしくその写真を手に取って見てくれる人もいない。

だた、不用品としてゴミにされてしまうのだと思う。

          

 だから、これからの思い出は自分の心の中に留めておけばそれでいい。

物を残すのは出来るだけやめようと思っている。

        後の整理が大変だ。(ゴミはすくないほうがいい)

自分でも写真を撮ることが極端に少なくなっている。

仕事で、完成した作品の写真をとる位で、思い出作りの写真を撮ることはしない。

  

・・・残されたものが一人という事はこういうことであり、後を継ぐ人がいないという事は、

自分の後始末は自分でしていかなければならないということなんだと思う。

夫の物を処分しながらも、自分の身の回りも少しづつ整理していかないと、

たくさんある持ち物は簡単には片付けられないだろう。

    これからは自分にとって、本当に必要なものがあればいい。

そんなことを考えるには、まだ、まだ早いかもしれないけど。

人生を楽しむ事と 物に執着する事とは同じではないだろうから、

                        そんな考えもいいかなと思う。

2009年9月20日 (日)

TVに出たよ!

先日の全国大会のダイジェスト版放送、予定通りビデオをセットして見た。

   ・・・tv

自分たちのコーラスは2分足らずしか、映りませんでしたがちょっとドキドキしました。

あの時の興奮が少し蘇りました。

出だしの部分がほんの少しだけだったので、残念。

    < 後半の盛り上がりの部分を使ってほしかったな~> なんて、思ったりして。

でも、大会のDVDを買うことにしているので、

          自分たちの演奏はそれで、じっくり楽しみます。

              ・・・ wink

しかし、”お母さんパワー恐るべし!”です。

いろんな団体が全国から来ていますが、みんなすごい。

エネルギーが満ち溢れている。順風満帆に生きている人ばかりではないだろうに・・・

みんなとても生き生きしてます。

 一人になれば、私のように心の苦悩と闘っている人も 仲間と一緒に何かをすることで、

自分の中の未知なるエネルギーを表に出してくる。そんな気がした。

       shine  

歌っていいなー!と思いました。音楽って素晴らしいと改めて思いました。

仲間の存在の大きさを知りました。

      何かを続ける事の意味を知らされました。

2009年9月19日 (土)

Happy birthday to me!

もうすぐ、私の誕生日がやってくる。

夫からの最後になってしまった誕生日のプレゼントは

グリーン系のきれいなカラーストーンがたくさん付いた髪飾り。

           私は、とっても気に入っていて大事に使っている。

                 heart04

”Happy birthday to you!と歌ってくれた夫は、もういないから 

昨年同様に、自分で自分に歌うnotes

           notes ・ ・ ・ to me!

 といっても、あまり、おめでたくはないけど・・・。

まあ、健康で過ごしていられることには感謝したいと思う。

 一つ歳をとる毎に、亡くなった夫の歳に近くなり、

        あと何年かが過ぎたら、私が夫の歳を追い越してしまう。

      亡くなった夫は、いつまでも若いままでいいよね。

 これから何回か誕生日を迎える私は、歳を重ねていっても、

いつも心を磨いて、おしゃれに気を使って、身も心もきれいにしていないと、

いつの日にか、夫の所に行くことになった時に、

”そんな、おばさんは知らないよ!” なんて言ってソッポを向かれてしまうかもしれない。

・・・そんな事を言わせないようにしなくちゃ!

heart04素敵に年をとったね!” 

と あの微笑みで両手を広げて、迎えてもらえる様

          自分の人生を少しでも、充実したものにしていこう。

これからは毎年の誕生日を、

 「自分を見つめ直し、ちゃんと自分を大切に生きているか確認する日」とする

なんていうのもいいかも。happy01

・・・present

   今年の誕生日プレゼントは、明日BSで放送されることになっている、

                8月のコーラス全国大会のTV放送になるのかな。

2009年9月18日 (金)

リズムに乗って

コーラスのコンサートに向けて、2部舞台で行われる、

振り付け付きの歌の練習にみんな悪戦苦闘をしている。

 振り付けの先生が付けてくれた振りがなかなか自分の物にならなくて、

何か動きが不自然です。

普段のコーラスでは体を使って歌うけど、ほとんど体を動かして歌うことはしない私たち。

 アップテンポのエイトビートのリズムやフラメンコ風のリズムを体の中に感じるのが

出来ないで苦労している方のぎこちない、面白い動きに目がいく。

    <どうしてあんな動きになってしまうのだろう?

          もっと、肩の力を抜いて軽く音楽に乗ればいいのに>

本来なら、このリズムが体に入っていなければ、

      振り付け以前の問題で、歌も出来上がらないはずなのに。

音楽を楽しんでしまえば、自然に乗れると思うけど

それがむずかしいのかな? (もしかして、体・・・重すぎ?)

自分の事はさておいて、つい出来ない人の動きの批評を心の中でしている私。

<ダメダメ、そんな事しては集中が足りませんね>・・・反省。

  批評ばかりしている場合ではないです。

  notes ~ wink ~ notes

 まさに他人のふり見て自分を見直す。

出来ているかな?・・・私は。

自分ではかなり乗っているつもりなんだけど、傍目にはどう映っているんだろう。

鏡の前で自分を映し見る。

・・・歌いながら、体を動かす練習を繰り返す。

だんだん、いい感じになってくる。乗ってくると 音楽との一体感が何とも楽しい。

 次は決めのポーズを研究する。

いかに自分を格好良く見せるか。少し反り見になって、体にひねりを入れて、

自分が<大変だなー>と思うぐらいのポーズが

            結構、見た目に体の線がきれいに出るかな。

 今回のコンサートの為に新調する白のドレス姿を思い浮かべて、ハイ、ポーズ!

         shine

 そう言えば、私は高校生の頃、将来の選択の時期を迎えた時に、

ミュージカルスターに憧れいて、本気で、舞台専門学校に行きたくて、

学校の入学資料をこっそり取りよせた事があったなんていうことを思い出した。

・・・夢に終わったけどね!happy01

2009年9月17日 (木)

何で涙が出るんだろうか?

空があんなに青くてきれいなのに・・・

        秋のさわやかな風が心地よいのに・・・

     普通に毎日を送っているのに・・・

            亡き夫の事を考えても泣かなくなったのに・・・

一人の生活にもなれたのに・・・

    傷んだ芝生も奇麗になってきたのに・・・

何でこんなに泣けてくるのだろう?

今日・・・これと言って悲しい事があった訳でもないのに・・・

夫の事を考えていた訳でもないのに・・・

さみしいと思った訳でもないのに・・・

      ・・・think

どうして、こんなに泣けてくるんだろう?

     車のハンドルを握っているだけなのに・・・

     普通に食事をしているだけなのに・・・

なんで?

・・・どうして?

・・・・こんなに涙が出てくるんだろう?

不思議な涙だなー!

2009年9月16日 (水)

手紙

10月末に行われる、所属コーラスグループのコンサートのチケットを買ってくれた方に、

チケットに手紙を添えて郵送している。

 だいぶ御無沙汰してしまっている人に声をかけて、買って頂いている為に、私の

近況報告を添えて送る。

 夫が亡くなってから、私はかなりの件数の手紙を書いた。

葬儀に遠くから参列してくださった夫の友人へ 、

弔電を下さった夫の大学時代の先輩、後輩へ 、

夫を亡くし、私がどうかなっちゃうんじゃないかと心配してくれた私の友達へ 、

お世話になった親戚の方々へ 、

その他、事あるごとにいろんな方に手紙を書いた。

 手紙を書くのは結構好きなので、苦にはならなかった。書きながら、

相手の顔を思い浮かべ、

<今自分はこうなんだよ、こう思っているんだよ。> と 語リたい事をに文字にしていく。

書き記しながら、改めて決意する事あったり、書きながら、自分

<そういうことなんだよね> と

     改めて確認出来る事があったりして、書く事が結構楽しい。

 ブログもそうだけど、人に宣言してしまったのだから、後はやるしかないと、

自分を噴気させるのにも、手紙は役立っている。

 しかし、自分の自己満足の、文才の無い私の手紙は

貰った人には、もしかしたら、かなり迷惑な手紙かもしれない。

手紙はすぐその場で、相手の反応が見られないから、

         その辺がいいところであり、悪いところでもある。

 

2009年9月15日 (火)

栗の実

朝晩がだいぶ涼しくなって、そろそろ栗の実がおいしくなる頃です。

        ・・・よく知ってるのですよ、私は。

              ・・confident

収穫した栗で、茹で栗・栗蒸しようかん・栗の渋皮煮・

栗を茹でて、裏ごしした物をパン生地に練り込んだ栗パン・

栗のブランデー漬けを作り、栗のブランデーケーキ・

栗饅頭に栗ごはんにと、自分でアレンジしたものを含め、いろんな料理をして

我が家の栗の味を楽しんだ。

どれも、夫のお気に入り。亡き夫は

happy01おいしいなー!”と、笑顔で食べてくれた。時には

”これだったら、売れるよ!” なんて褒めてくれたりして。

・・・あっ! そうそう、忘れてた。

お正月のおせち用に栗の甘露煮をビン詰めにして保存し、我が家のおせちの

栗きんとんは、自家製の栗使用の自慢の一品でした。

   

 そんな栗は、亡き夫実家に大きな栗の木が何本かあって、毎年この時期になると、

栗の収穫を夫と楽しみました。

 お盆が過ぎて、朝夕に涼しい風を感じるようになる8月の終わり頃、

実家に行って畑に出た、夫が

”もう、栗が落ちてるよ!”と 一早い秋を見つける。

 

 毎年早いものでは8月末から、栗の収穫が始まるのですが、まだその頃の栗は

甘みが少なく、初物の楽しみぐらいです。

朝晩の冷え込みを感じる時期になると、栗は甘みを増してくる。

         お彼岸の頃の栗が実も大きくなって、一番おいしかったかな。

我が家ではだいたい、10月の初め頃まで、栗拾いが出来ました。

 栗のイガが刺さらないように長靴をはいて、栗を拾う火ばさみを持ち、

肩から収穫した栗を入れる籠を下げ、その籠がいっぱいになったら、移すコンテナを

用意して。夫と二人で栗拾いをする。

   

 木になっている栗の実が十分に実ると、イガが二つに割れて、中の実が地面に落ちる。

その落ちたイガ栗を、長靴をはいた足で周りのイガを押え、火ばさみを使って

中の栗を取り出す。

  (栗のイガは刺さるとイガの先がほんの少し皮膚に残ってしまい、

         これが結構痛いんです。軍手をしていても刺さります。 

                         だから、火ばさみが大活躍します)

時には栗の実だけ下に、落ちている場合もあるので、

栗の木の下で、あちこちに目を配りながら栗拾いをする。

夫も私も、もう夢中です。

  

 栗を取った後の空のイガや虫食いや傷んだ栗は一か所にまとめて、

次の栗拾いの時に、邪魔にならないようにして置きます。

こうしておけば、新しく落ちた物との区別が出来て 次に来た時、

栗を拾いやすいという訳です。            

                     

”栗の実の下の方の黒くなったのは、ダメだよ!、腐ってるから”

夫  ”わかった!”

”栗の艶の無いのも、おいしくないからね”

夫  ”これはどう?”

”小さい穴が空いているのは、虫が中に入り込んでるからね!”

夫 ”こんなに大きくておいしそうなのに、一つ小さな穴が!

   もったいないよね”

・・・夫とこんなやり取りをしながら、二人で栗拾いに没頭する。

収穫した栗の実を実際に皮をむいて調理する私の方が、

皮つきの見た目と中の実の様子・味の両方を知っているので、

                        栗の選別方法を良く理解している。

夫 ”イタッ!・・・イガ付きの栗が落ちてきた”

そう、風に吹かれてたまに、とげが痛いイガ付きの栗が木からドスンと落ちてくるのです。

腰を曲げる姿勢が続くので、しばらくすると腰が痛い。

夫を見ると、拾った枝を杖代わりにして、栗拾いをしている。

”いいね!、それ”

”こうやって、拾うと腰が楽だよ!”

・・・目を閉じると、栗拾いの楽しかった光景が広がる。

    confident

 二人で拾った栗はすぐにコンテナいっぱいとなる。

当然二人では食べきれないので、数年前からは、市場への出し方を教わって、

農家の人のまねごとで 出荷をしていた。

 収穫した実を夫がタオルで丁寧に一つづつ拭き、

自称目利きの私が質の良い栗を選別し、出荷できるものと、出来ないものの選別をする。

大小の大きさの選別をして、1Kgづつネットの袋に入れる。

夫と二人、流れ作業のように出荷の準備。・・・毎回、20キロ~30キロ位の出荷。

 収穫の後、実家から帰る途中の青果市場に出荷し帰宅。

   ・・・rvcar・・・dash

夫  ”今日のはキロいくら位で売れるかなー?”

 ”明日の新聞の青果市場の相場欄のお楽しみだね!” 私

そんな、ささやかな出荷の楽しみを味わった私たち。

    (相場欄にはその日の取引の最高値と安値が出る。我が家の

          栗の値段は、翌日以降に市場で精算しないと分からない。)

夫  ”前回のは、いい値段がついたなー!”

    (最高値に近い取引値になると、やっぱりうれしい!)

夫  ”今回、大きい割に値段が安かったよなー”とか、

精算した伝票を見ながら、笑顔で満足気に語る夫。

週一度か二度の出荷で、約一か月分だから、トータルで金額にしたら、

ガソリン代と 二人で一回おいしいものを食べに行ったら終わってしまうぐらいのもの

だったけど、自分たちが手入れをして育てた物が、それなりの評価をされ、

値段が付くという喜びみたいな物は夫も私も持ったみたい。

   

・・・そんな栗拾いも、実家を夫の兄弟に譲ってしまったので 今はもうすることがない。

       think

 これから毎年、この時期になると私はこんなことを 思い出すのだろう。

2009年9月14日 (月)

三回忌を迎えるにあたって

そろそろ三回忌の法要のことを考えなければならない。

夫は年明け早々に亡くなったので、法要は年内に考えている。

 (命日より後には出来ないし、お正月に法事というのも、私はいいけど、

          来て頂く方には何となく悪いかな?なんて考えるから)

年内という事は、あまり年末にも出来ないので、12月20日よりは前にはと考えている。

   ・・・まずは、日にちを決めなければ

早めにお寺に予約しておかないと、こちらの都合の良い日が取れなくなってしまう。

この秋のお彼岸の頃にはお寺に予約を入れようと思う。

 次は「どなたに来ていただくか?」 と いうことだが、

ついこの間までは、三回忌は一人でゆっくり夫を思いながら 法事をするのもいいかなと、 

私一人で迎えることを考えていた。

 突然の病に倒れた時と、葬儀、四十九日法要、初盆、一周忌と幾度となく親戚の方に

来ていただいて、又、今回の三回忌となると続けて3年、何度も遠くから足を運んで

下さった親戚の人には、大変なご負担をかけるようで どうも声がかけづらい。

        (考えすぎかもしれないけど)

 皆さん仏様の行事はそういうものだと、了解して下さっていらっしゃるとは思うが、

皆さんにとっては大変なことだろうと、こちらが気を使ってしまう。

そこで、三回忌を私一人で迎え、七回忌の時にみなさんにお参りしていただこうと考えた。

でも、今一度考えると、4年後は高齢の方にとってはもっと、来るのが大変になる。

その方たちは、亡き夫の唯一の血縁にあたる。

  ぜひ、お参りしていただきたいなと思い、

         今回はみなさんに声をかけさせていただくことにした。

 それに、三回忌の方が七回忌よりも仏様の行事としては重要ということなので、

やはり皆でということに考えを改めた。

  

 そんな訳で、今日は皆様に季節のあいさつを兼ねて、

三回忌を行うこと・日時が決定したら改めて手紙でご案内する事を書いたおはがきを

郵送した。夫の三回忌に向けての準備スタートだ。

  

 9月に寺に予約を入れ、10月半ばまでに会食の場所の選択、案内状作り、

10月終わり頃までには、皆さんに案内状を出し、11月末までには引きものの手配をする。

 早め早めに準備しておかないと、自分自身が仕事、病気等、何があるか分からない。

一人で動かなければいけないから、余裕を持って動けるようにスケジュールを

組んで置こう。

     ・・・そんな事を考えるだけで、”フー!”っとため息が出る。

   

こんなことを言ったら、叱られそうだけど、仏様の行事は心配りしなければならない事が

多くて、気疲れする。

でも、これは後に残された私が唯一夫にしてあげられる事、

              その気疲れも、気持ち良くと受け止めよう。

又しばらくは、いろいろと決めごとが多く、<どうしようか?>と悩む日々が多そうだ。

せいぜい体調を整えて頑張ろうと思う。

2009年9月13日 (日)

暗譜とスロージョギング

スロージョギングの時はリラックスタイムだから、

あまりいろんな事を考えたくないのだけれど、

曲を覚える時間がなかなか取れないので、この時間が、コンサートに向けての

曲を覚える時間に今は使われている。

 何となく覚えた歌詞を確認しながら走る。

(ここで歌詞が出てこなかった箇所は、家に帰ってから すぐに楽譜を見て確認をする。)

スロージョギングのコースは一周約1時間なので、コンサートで歌われる曲を

全部歌うのとほぼ同じ時間。 全部の曲の歌詞の確認をしながら走ると丁度いい。

・・・こうして、体力作りをしていたら、体力的にハードな曲の多い、コンサートも

  何とか乗り切れるだろう。

              shoe・・・notes・・・shoe

もちろん、歌うといっても、頭の中で歌いながら走る。

        (口に出して歌ったら、たぶん一時間は走れないでしょ。)

 リズム良く走れるので、一周が意外に簡単に走れる。

いつも一時間かかっていた所が、今は50分で終わる。

            息も切れないし、心臓がドキドキなんていう事もない。

ただ、頭の中に譜面を浮かべて走るので、周りの景色があまり目に入らないのと、

少々頭が疲れるのが欠点である。

やはり、スロージョギングとは、頭を使わずにリラックスして走るのが体に一番だと思う。

 しかし今は、しかたないけどね。

リラックスしようとしても、曲覚えることに追われている為、

考えるのをやめようと思う次の瞬間には、頭の中で歌っているのだから。

          ・・・notes

この調子でいけば、来週の練習までには何とか暗譜が間に合いそうでよかった。

とにかく、暗譜が出来ないことには、思う存分歌の練習が出来ないですから。

2009年9月12日 (土)

映画「ワールド・トレード・センター」

9・11 遭ってはならない事件が起きた。

 二回目の飛行機がビルに突っ込む映像も、私たちはニュース映像の中で見てしまった。

何とも痛ましい、忘れられない事件だったと思う。

 昨夜、9・11にTVで放送された、

映画「ワールド・トレード・センター」はその時、救助に当たった警察官がビルの破壊の中

に巻き込まれ、ひん死の状態でありながらも救助を待ち、仲間に助けられた。

実話に基づいた映画だそうだ。

 初めのうちは、PCを操作しながら、横目で見ていたので あまりストーリーは

分からないけど、途中からTV画面に釘付けになってしまった。

互いに励まし合いながら救助を待つ二人の姿。

時折、画面が暗くなり、生死の境を行ったり来たりする様子が見事に表現されている。

そこに居ないはずの妻の姿が映る。

   ”あなた! 生きて帰ってきて! 

          やらなければならない事がたくさんあるのよ!

                          ・・・・死んではだめ!”

何度も、眠りに就こうとする男がその声に答えるかのように目を開ける。

自分の身の安全も保障されない中で懸命に救助に当たる人たちが頑張るように

声をかけている。

<死んではダメ! 頑張って!もう少し、もう少しだから!>

映画を見ている私も、こぶしを握りしめ声を出していた。

無事救助された後、救助に当たった多くの仲間たちが、手渡しリレーで、

地上に下ろしていく。 TVを見ていて、その光景に胸が熱くなった。

 ”よかったな!家に帰れるぞ!”と皆が口々に声をかける。

  <よかった!> 私もそこに居る救助隊の熱い想いに思わず声をかけてしまった。

   

 病院で待っていた妻に ひん死の重傷を負いながらも無事救助された警察官が

乗せられた担架に横たわった状態で声をかける。

  ”あの時、お前が死んではいけないと言ったから帰ってきたぞ!”

夫の生還を離れた場所で、必死に願う妻の気持は、しっかり夫に、届いていた。

    たとえその場に居なくたって、懸命に祈る妻の声は

        夫に届いていたという事実が私には、とてもうれしかった。

   

 しかし、何千人という多くの方が、亡くなられて・・・。

          辛い事件だったことには、変わりはない。

              亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

2009年9月11日 (金)

「最後だとわかっていたなら」を読んで

昨日のコメントで紹介された

「最後だとわかっていたなら」の詩を読んで、私は何か自分の中での亡き夫に対し、

自分がいたらなかったという 今まで持っていた後悔がスーっと消えるのを感じた。

それと同時に私は夫に、あの時出来るすべての事をしてあげられたような気がしてきた。

      

 亡き夫の両親の死も突然の病に倒れてのことだった。

夫と結婚して1年目、2年目の時である。

結婚生活は、ある意味突然の死を見つめるところから、始まったように思う。

 突然倒れて、意識の戻らぬまま逝ってしまうことがある。

そんな一秒先に、自分が生きている保証はどこにもないんだという思いが、

今を後悔の無いように過ごそうとする気持ちにさせた。

 だから、夫といる時間は、特に大切にしてきた。それでも、聖人ではないので、

喧嘩をすることもあれば、意地悪を言った事もある。でもそんな時、いつも頭の中に

<次の瞬間、突然死がやってくるかもしれない>という おびえみたいなものが過る。

 <すぐにあやまらなきゃ!・・・ 大切な時間を無駄にしてはいけない。

   どうせ同じ時間を過ごすのなら、二人が

        心地よい時間を過ごせるようにしなければいけないんだ

そんなことを常に意識してきた。私が反省出来るものは、素直に反省する。

 亡き夫の両親の死が、私に教えてくれた、

明日という日はもしかしたらないかもしれない、今の大切さ

 を 私は結婚生活の中で、出来る限りやってきたつもりだ。

(・・・夫は、”そうかー?”と今笑っているかもしれないが)

・ 毎日の食事の支度は手を抜かない。いろいろなものを手作りする。

 夫が喜ぶ顔が見たいから、季節の香りを取り入れて、節句、祭り、おせちなど

 歳時記に合った料理も作る。

・ 夫が会社に行く時、離れる時は、必ず笑顔で見送る。

・ 帰って来た時は、必ず笑顔で ”お疲れ様でした。” と出迎える。

基本はこの3つ、後はその時々に自分が出来ること。

それでも、パーフェクトな奥さんでは無かったし、出来た立派人間でもなかったから、

夫からしてみれば、不満がいっぱい有ったと思うけど、

「何時間後に、生きている保証はない」と 私はいつも、頭のどこかに思って、

行動してきた事は事実。

 だからあの時、私は、夫に出来るすべての事をしたし、

前の日だって、楽しい夕食を取れたし、その前の日だって・・・その前だって。

 「最後だとわかっていたなら」の死を読んで、

最後だと思ったら、あの時私は夫に何がしてあげられただろうかと考えたけど、

今の私には何も浮かばなかった。

      結婚生活を振り返って、考えたけど浮かんでこなかった。

 

 思いつかないことや出来ない事は仕方ないものね。

出来る範囲の中で、私は夫にしてあげる事をちゃんとしてあげられたような

               確信みたいなものが ふぁ~と浮かんできた。

2009年9月10日 (木)

コンサートチケットの販売

10月末の所属しているコーラスのコンサートのチケット販売の為に、

あちこちにメールやTELをする。個人割り当てで、取り合えず20枚が渡されている。

  

 今住んでいる所から、電車で一時間の結婚前に住んでいた所のコーラス団体に

入っている為、たとえ20枚といえども私には、そのチケットを売るのは大変なこと。

そこに昔の友達がそうそういる訳でもないし、今住んでいる所の知り合いで

一時間も電車に乗って、コンサートを見に来てくれるような付き合いの深い

音楽好きな人はいない。

 とりあえず、昔の懐かしい友にメールやTELをする。

メールは要件を伝えるだけなので事は簡単に済むけれど、TELでは、肝心なコンサートの

話よりも、懐かしい昔話や、夫を亡くした私の事を気遣ってくれる話で盛り上がり、

”またみんなで、逢いたいよね!お食事にでも行きましょうよ!” と 話は尽きない。

 コンサートが思わぬところで、私に気分転換をさせてくれる。

ふだんはなかなか会う事もTELする事もないのだが、長い付き合いの友だちの

さりげない心遣いに触れられて、うれしく思っている。

   

・・・みんなの気持ちに答えなきゃ!

 今は素直にそう思えて、コンサートの練習にもかなり前向きになれる。

今の自分に出来る事は、コンサートで精一杯歌って、

               みんなの励ましに答える事なんだと改めて感じている。

2009年9月 9日 (水)

心の戦い

今の私の戦いは、悲しみや寂しさではないようだ。 

夫がそこに居ないことにも慣れ、悲しみに涙する事もほとんどなくなった。

      この自分の戦いを、上手く表現するのは難しい。

 いろんな事をやってはいるが、ただただ過ぎる毎日の中で

<自分は何をやっているのだろう?、いいのそれで?> ということを時々思う。

夫の死後、何をしたらよいか分からず、先の事を考える事を考えられない中で、

それでは取り合えず 今出来る事を一生懸命やっていこう、そう自分に言って

毎日動き回っている。

 しかし、そろそろ「取り合えず」では、いけない時が来ているのではないのか。

人はやはり、何かの目標を持って、それに向かって進むように出来ているのようで、

「取り合えず」の時の過ごし方で 得た心の充実感は長続きしない。

すぐに冷めてしまい、<何をやってるんだろうなー?>となってしまう。

             (・・・私の場合だけかもしれないが)

   

 それでも何もしないでいるよりはいいと思うけど、この変な感情との戦いが、

現在の私の心の戦い。

   ・・・大きく凹んでいる訳でもないし、深い落ち込みにハマってる訳でもないの。

だから、正直自分でも どうしたら、いいのか分からない。

本当の自分が見えかかってきているのかな。

             ・・・あっ!そう、そう、考えすぎてはいけなかったんだ。

      

 夫が生きていた頃だって、そうそう毎日楽しい事ばかりではなかったはず、

自分だって夫の死により考え方が変わったとはいえ、根本的なところは同じなんだろう。

今の自分の、張り合いのない毎日、もう一つ気力の出ない日々を感じるのは、私は

夫の死の中に逃げているということなのではないだろうか。

        ・・・自分の怠惰をそれを言い訳にして許しているのではないか。

<本当はもっとやれるはず、もっと何かが出来るはずなのに>

と、 心のどこかで私はこんなことを思っているので、中途半端な行動に、

<何やっているのだろう!>と怒りを覚えるのだろう。

やれるはずなのに、やれないという自分。やらない自分に対し、心の中で葛藤を覚える。

           ・・・これを焦りというのだろう、きっと・・・。

でも私は、<何をやっているのだろう> と 自己嫌悪に陥ることから、抜け出したい。

・・・present

 今回の10月のコンサートはそんな心の葛藤から抜け出すチャンスかもしれない。

今までよりも少し自分を前に出し、積極的に一歩踏み出し取り組む。

夫を亡くした私ではなく、いじけた考えを捨て、私自身を自分の殻から抜けだして、

みんなの中にもっと出たほうがいい。

     そうしたら、これからの見え方も少し変わってくるかもしれない。

2009年9月 8日 (火)

友からのメール

mailが届いた。久しく会っていない友からだ。

”昨日、ご主人の葬儀の時の事が急に思い出されて、ずっと考えてしまったの、

 何だか貴女の事が心配になって。 ・・・どう?元気にしてる?”  と

<何で今、私の夫の葬儀の事なんて、彼女が思い出したのだろう?> と 

思いながらもその心遣いがうれしかった。それと共に、主人の事を思い出してくれた事が

うれしかった。

 最近は、なかなか夫の事を他人と語る機会が無い。そんな中で、

夫の事を思い出してくれるなんて、たとえ葬儀の時の事にしても、私には嬉しい。

            ・・・confident

 ここのところ時々、葬儀の時の事を私も思い出すことがあった。何度思い出しても、

<あれは、夢の中の出来事だったのではないか> という感じがしていた。

でも、こうして友からメールをもらうと、

やっぱり、私の夢の中の出来ごとではなかったんだなーと確認できたような気がする。

その為に送られたメールだったのかとも思った。

   

・・・何となく変な感覚。

事実なのに夢の中の出来事と思った自分が、また現実に引き戻される。

            ・・・<そうだったんだよね。>

ボーっと頭の中で現実を確認した私は、メールのお礼に添えて

”だいじょうぶ!元気でやってるよ!” と 返事した。

           ホントに元気?・・・なのかな???

2009年9月 7日 (月)

この街で

先日松山で聞いた「この街で」の歌に感動したことを母に話し、覚えている部分を

歌ってあげたら、母も大変気に入って、

 ”私も覚えたいから、CD買ってきて!” と お願いされてしまった。

  

 この歌、本当にいい歌なんです。私にはもう叶うことのない夢の中の歌ではありますが、

詩の温かさとほのぼのとしたメロディーが何とも泣けます。

                       あたたかい涙がこぼれますweep

 「この街で」 

     note・・・この街に生まれ、この街に育ち

              この街で出会いました、彼方とこの街で

      ・・・・・この街で恋し、この街で結ばれ

                この街でお母さんになりました・・・この街で

      ~中略・・・

         坂の上に広がる 青い空

                      白い雲がひとつ 浮かんでる

      ~中略・・・

                この街でいつか、おばあちゃんになりたい

                    おじいちゃんになった彼方と 歩いて行きたいnote

一見なんでもない事なのに、こんなに感動を覚えるのは、

それがいかに難しい事かをしってしまったからなのかもしれません。

 今、母の為に、曲を聴きながら譜面をおこしている。

2009年9月 6日 (日)

10月末のコンサートに向けて

コンサートに出るか出ないかを長い間、かなり迷ってたけど、

<やはり、やってみよう!> と 遅ればせながら本腰を入れている。

  

・・・私の担当分のチケット割り当てが手元に配布され、もう逃げられない状態となった。

曲の練習は今まで一応やっているけど、今までのコンサートに向けての気合い不足で、

暗譜が出来ていない。・・・これが大変なことなんです。

 コンサートの曲は1部が7曲・2部が7曲で、全部で14曲。

そのうち、2曲は暗譜出来ているから、残りの12曲。しかも、2部は振付がある為、

それもマスターしなければ・・・。 少し、固くなった頭には、かなり、いい頭の体操。

来週の練習までには、暗譜したいからがんばらなくちゃ!

ここからの毎日は、何をしていても ブツブツと歌の歌詞を口ずさんでいる事になりそう。

         ・・・notes

いざ、出ると決断をしてしまうと、何故もっと早くに、決断しなかったのかな思うけど、

出来ない時には、出来ないのよね。・・・まあ、決めた時が「やり時」ということかしら。

道が決まったんだから、キッチリ走らなくちゃ。

自分の納得できる結果を残せるようにしたいもの。

コンサートのイメージを頭に浮かべて 後、2か月弱だけど、頑張ろう!

2009年9月 5日 (土)

ビデオが壊れて

結婚したばかり頃、亡き夫が買って来てくれたビデオデッキが壊れてしまった。

20年近くも使ったのだから、良く働いてくれたと思う。

            (もっとも、最近はあまり使っていなかったけれど)

 ビデオデッキが無いとやっぱり、不便。

それに8月の合唱の全国大会が 9月半ば過ぎに、BS朝日でダイジェスト版で

放送されるから、DVDに納めなくてはと早速買いに出かけた。

 ビデオとDVDと両方見られる方がいいのだけれど、値段が高い。

どうしようか迷ったが、TVが地デジ用の新しいものになったら、以前のビデオの画質が

思うようでないので、とりあえずブルーレイレコーダーを買う事にした。

                          (値段もだいぶ下がってきている。)

 家にあるビデオも時々見たいから、ビデオの再生だけ出来るもの後で買おうと思う。

店頭で調べたら、DVDとビデオ一体型のデッキを買うより、再生専用のデッキを

別に買った方が安い。

 初めは、両方見られる一体型デッキを買って、家にあるビデオをDVDに移そうとも

考えたけど、画質が良くないから移してもきっと見ないかもしれない。

大切なビデオだけをどこかでコピーしたらいいかなと思う。

 しかし、進化したブルーレイディスクレコーダーはやっぱり便利で画質がきれいです。

        ・・・遅ればせながら技術の進歩と 時代が移っていくのを感じる。

 頭の回転が少々悪くなった私には 接続にチョット時間を要してしまったけど。

   (いい訳ではないが、ケーブルTVのコンバーターが

            間に入っていなければ、もう少しスムーズに出来たと思うよ)

 

2009年9月 4日 (金)

人生いろいろ

同じ死別体験者にもどんな別れがあったのか、(突然死か、長患いの病死によるものか)

故人との関係がどうなのか、家庭環境がどうなのか等によって、感じるところも

いろいろだろう。

 ひとりの人との永遠の別れがもたらす心の痛手は変わることはないかも知れないが、

人間ひとり一人みな違う人生を送ってきているから、その受け取り方も十人十色だと

思う。

 夫との突然の別れがあり、一連の事務手続きが終わって一息ついた時私は、

何をどうしたらいいのだろう?・・・何から手を付けていったらいいのだろう?

・・・自分が留まる所が一体どこなのか? が分からない、頭の中がフワフワ状態だった。

 何かを求めるように死別体験者のブログを尋ねる。

同じような体験をした人はどうやって毎日を過ごしているのだろうか?

何を考えているのだろうか?

  (「LOWからスタート」の、私のこのブログにも、死別・夫との死別等の検索で

     いろいろな方が訪れてくださっている。みんな私のように、

   <死別の悲しみの中で苦しみながら何かを探していらっしゃるのかな?> と 

      思うと、夫と死別したばかりの頃のわが身を思い出す。

      訪問してくださった死別体験者の方へのお礼としては

      <一日も早く、心が癒されますように!>と願うことしか私には出来ない。)

 いろいろな方のブログを見せて頂いても、私の場合

自分と同じような立場で同じような別れをした方には、なかなか出合えなかったが、

みんな同じような所で躓き、同じようなことで自分を責めている。

こんな状態が自分だけではないと思うと、変な話だけど、ホッとしたりした。

 しかし、同じ体験者の意見を聞いて 自分だけじゃないと慰めた所で、

現実は何も変わりはしないことがまた苦しい。

「逝ってしまった夫はもう戻らない。」

その事が何といっても一番辛いthink

        そんな事もみんな心のなかで感じているのだろうけど。

   

 仲間がいて、支えてくれたとしても、これからの生き方は、

             ひとり自分で探し出していかなくては、いけないんだよね。

     人生いろいろなんだから・・・。

          

 しかし、置かれた状況が自分と同じでなくても いろいろな人の生き方から

学び取れるものは多い。参考に出来るものは、どんどん受け入れさせて頂き、

自分の留まるところ見つけ、フワフワの根なし草の様な状態から脱出し、

安定した自分になりたいなと思う。

      ・・・気合いを入れなくても、過ごせる日々、

      ・・・肩の力が抜けて、くつろげる毎日、

そんな穏やかな日々がまた自分にもやってくるのかは 疑問なのころだけれど。

「やる」しかないのよね!・・・生かされているうちは。

生かされている自分には、まだやるべきことが たくさんあるのだから。

2009年9月 3日 (木)

今年の芝生は元気がなくて

今年の我が家の芝生は、緑が美しくない。

我が家の手入れが良くない為かと思っていたら、先日TVで、サッカー場の

芝の根の発育は、今年の梅雨が長引いたことにより、日照不足の為、良くないと

報道されていた。

 その映像の中で 緑の濃い芝と薄茶の生育の悪い所の芝をくり抜いて

根の状態を比較するが根の伸び方がまるで違う。

日照不足で茶色く弱っている部分の根の張り出しが弱く、根の部分が健康な芝より

一回り小さい。

 我が家の庭も例年だったら、この時期の芝は青々として、芝刈りも2週間に一度は

やらなければというところなのに、今年は薄茶色に枯れたような所が広がって、

緑の所も伸びが遅い。・・・きっと根がうまく伸びていないのだろう。

したがって芝刈りも回数が少ない。

 芝刈りとタイミングの良い施肥がきれいな芝を作るので

            芝刈りが出来ていないのもいけなかったかもしれない。

*取り合えず、お手入れをした。

 芝刈りをして、枯れた芝のカス(サッチ)を熊手で取り除く。

芝が十分な呼吸が出来るようにしてあげて、施肥をする。

芝を刈ったら、薄茶色の所が目立ってしまったが、まだ、気温が高い日が続くと思うから、

またこれから、緑を吹き返してくれると思う。

       寒くなる前に、何とか元気を取り戻してもらいたいなと願う。

2009年9月 2日 (水)

自分の考えを伝える難しさ

ある集まりの中で一つの交渉事があり、ある一人の人がその窓口に立つのだが、

こちらの意見を思うように相手に伝えられず、交渉が進まなくて困った

ということがあった。

 一生懸命な方で頑張ってくれているのだが、言葉が多すぎて

相手にうまく伝わっていなかったのだ。経過報告を聞いて、

 <どうしてそんな言い回しをするのだろう?

        もっとストレートにこちらの要望を伝えたらいいのに。>

と 単純に思った。

その中では新参者の私としては ”こうすれば・・・”とアドバイスなど到底出来るものでは

ないので、諸先輩方がその方に、応援のアドバイスをするのをただ聞いている。

    

 ブログもそうだけど他人に自分が考えている事を 出来るだけ正確に伝えるということは

なかなか難しい。正確に伝えようといろいろ説明を付けるとかえって、

話が紛らわしくなって混乱する。

基本は要点をまとめる事。

そうは思っても心配になって補足説明をつい入れたくなる。その説明が的確であれば

相手に伝わり易いけど、そこで曖昧な表現が一つでも入ってしまうと捕捉にならない。

    ・・・ただ紛らわしいだけの文章になる。

余分な言葉は出来るだけ排除して、言いたい事だけを箇条書きのようにして伝えた方が

いい時もある。

 そういう私も言いたい事があれもこれもと出てきて、文章を混乱させてしまう事が

多々あるけど、これはやはり訓練しかないと、日々投稿しながら思っている。

   ・ ・ ・

 結局、ある集まりの交渉事はその方では事が進まず、別の人が出かけて行って、

話を進め無事成立したのだが、

  ”相手側から、最初からそう言って下されば

                よく理解できましたのに” と おまけがついてしまった。

人に自分の考えを言葉で伝えるのは、難しいことだ。

2009年9月 1日 (火)

心の声は君に届くのかな?

今合唱で練習している曲の中の一曲、

Mr.Childenの「しるし」の中の一節

note心の声は君に届くのかな~沈黙の歌に乗って~note

           歌いながら、私はいつも亡き夫に<どう?>と尋ねる。

誰にも言う事の出来ない私の心の声を亡き夫は <受け止めてくれているのかなー>

どんなに頑張っても出来ない事は、夫が戻らないこと。

              どんなに楽しいことがあってもすぐ冷めてしまうのは・・・。

 木が生長していく時、地上に見える分と同じぐらい根が伸びている様に、私が何とか

頑張ろうとするのと同じぐらい、何故夫がここに居ないのかと夫への思いが私の中で

広がっていく。前に進もうと一歩踏み出す、その裏で

                 <何だろうな~生きるって?>と思う。

楽しいと感じるその裏で、<もういいですか?> と 投げ出そうとする自分がいる。

<そんな事、いちいち考えないでよ!> と 

      自分の考えをすぐに否定する私もいるんだけど。

20年かけて夫と築き上げた二人で生きる生き方を

夫と死別後の たった一年数か月で別の生き方に変える事自体が無理な話なのよね。

もっともっと時間をかけなくちゃ、夫のいない生き方を見つけられないのよ。

   

  ・・・まだまだ、スタートしたばかり。

         心の声を私は夫に発し続けている。

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