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2009年8月

2009年8月31日 (月)

前に進むエネルギー

前に進む為に何かをするのにはエネルギーがいる。

   前を向いて生きることにはエネルギーがいる。

  

 そんなこと、夫が傍に居ていて何事もなく平穏に暮らして居た頃には

考えてもみないことだったが、夫と死別して心に大きな痛手を負っってからは

毎日毎日を生きるということに、体の健康な私でさえもかなりエネルギーの消耗を

感ずる。

 一人でも何とかやらなくてはと気合が入り過ぎているのかもしれないが、

毎日毎日気合いを入れないと自分が壊れそうな気がして、つい頑張りすぎてしまう

ということか。

空白の時間は自分を後戻りさせてしまう。それが怖くて、つい動き過ぎる為・・・か。

 少し疲れてくるとエネルギー不足で私は落ち込んだり、凹んだり、愚痴ったり、

そこに留まるような状態に陥る。

考えてみればそのようなことにはエネルギーがほとんどいらない。 

 そこに留まること = 自分にとって楽な方法

精神的な疲れが、自分でも気が付かない間にエネルギーのいらない楽な道に導くようだ。

そう考えると落ち込み、凹みなどの時間はある意味、心の休息時間なのかもしれない。

   ( 落ち込み、凹みが心の休息というのも変な表現だが

    いろんなことをして心を紛らわしてもそれは、本当に満たされたということではなく、    

           現実を直視しないだけの事。落ち込み、凹みが現実へ私を引き戻す。

    地に足の付いた状態でもう一度現実と向き合うために、落ち込み、凹みの中で

    喘ぐ時間がある。そんな時は何をする気にもなれない。

       ボー!っと何をする事もなく、変にいろいろ考えずに過ごすと、

     そのうち自分自身を納得させる何かが<コレダッ!> と ひらめく。

           そして癒される。本当の意味での心の休息になる。大切な時間。

                                  ・・・そんな考え方もあるのかなと思う。)

そうは言っても、落ち込み、凹みの時は心が結構しんどいから、出来れば無い方がいい。

       

 落ち込んでも夫がいた時は、そこで励ましてくれたり、

二人で関係の無いバカな話をして気分転換が容易に出来、小さな迷い事など

気が付かないうちにどこかに消えていた。

        そう・・・毎日の何気ない会話で気分転換も出来たのだ。

夫婦二人だけの家族だったけど、そこに安らぎがあり、こころを癒す場所があった。

・・・夫がいない今はそうはいかない。自分自身で脱出するしかない。だから脱出用の

エネルギーが 少しでも残っているうちに自分の心の変化に気が付くように

しないといけないけど・・・ここが非常に難しところ。

今良くても、何かのきっかけで突然落ち込みはやってくる。

 きれいすぎる表現で笑われてしまいそうだが、私の心は夫との死別後、

繊細なガラス細工のように壊れやすい。

         いつ、どんな状況で壊れるか自分でも予測がつかない。

・・・一つの指標としては

 鏡の中の自分に笑顔が見られなく、冴えない顔になったら、

       それが一つのサインかもしれないということ。

 ここで気分転換がすぐに出来れば落ち込みに ハマり込む事もないだろうと思う。

・・・気が付かないうちに、脱出の方法さえも見出せない位、

落ち込んだり凹んだりした時は どうしたらいいんだろう?

 gasstation エネルギー補給

   ・ストレートにおいしいものを食べに行くのもいい。

   ・心の栄養の為に本を読んだり、気の向く映画を見たり、

              きれいな景色を見たりと自然に触れるのもいい。

   ・気軽な話が出来るお友達とお話するのもいい。

   ・何もしたくなかったら、おしゃれして出掛けるのもいい。

とにかくあまり、考えなくて済む、気軽に出来る自分のやりたい事をする。

特別なことでなくていい。

   (うつ病の専門家の話によれば、人から聞いてこれがいいからと

           無理に自分がやりたくもない事をするのは逆効果だそうだ。)

上手にエネルギー補給が出来たら、

   きっと凹みは消えて何かを見つけて前に進む事が出来る。

・・・ガソリン満タンで又しばらくは快調なドライブ!

うまく自分と付き合って、素敵な顔 wink がいつも鏡の中にあるようにしていきたいと思う。

       (これはあくまでも理想だけど、心がける事が大切だからネ。)

2009年8月30日 (日)

何でそんなに大笑い?

先週の松山の旅から、一週間。

過ぎゆく時間が速い。

・・・あの時何がそんなにおかしかったのかな?

おなかを抱えて大笑いをして、一緒にいた友人が

”大きなおめめちゃん、ここは笑うところじゃなくて泣くところだよ!” と 

    一緒に大笑いをした。・・・happy01

 先週、コーラスの大会が終わって、打ち上げの食事の後、

土産物店の散策に出かけた時のこと。

お酒の好きな私の主人だったから地酒のコーナーに、目が止まった。そこには

確か、「これからもずーと愛して!」と書かれた小さな小瓶が並んでいる。

一緒にいた友人が

”あっ!これ主人に買っていこうかな。大きなおめめちゃんも買って

                御主人のお仏壇にお供えしてあげたら。”という。

お酒の好きな夫だったから、私もお土産に買っていってお供えしておこうかなと

思っていたのだが、この友人が発した、

”お仏壇へお供えしたら!”の言葉が、その時妙におかしくて、私は笑いの壺に

ハマってしまった。

”何で、貴女は御主人のお土産で、私は仏壇なの?”

彼女の発した、「ブ・ツ・ダ・ン」の 響きが何ともおかしくて笑いが止まらない。

”ここは笑うところじゃなくて、泣く所だよ!”と

友人も一緒に大笑い。・・・あの時何がそんなにおかしくてあんなに笑えたのだろう?

     ・・・happy01

 一緒にいた友人は、私の夫が亡くなった時、遠くからいち早く駆けつけてくれ、

亡き夫に”○○さん、ダメじゃん!” と声をかけてくれ、一緒に泣いてくれた友人である。

自らも我が子が5歳のかわいい盛りの時に事故で亡くし、

死別の苦しみを体験しているので、私の気持ちを良く理解してくれている。

この友といると、何となく自分が素直でいられる。

              ・・・この友と一緒にあの時、大笑いをした。

 今考えると、そんなに笑えるところではなくて、やはり感傷に浸る場面だと思う。

大会で気持ち良く歌えた感動と、久々の旅の心の解放といつも一人の私が、

気の合う仲間と楽しい時間を過ごす事が出来た充実感が、私をハイな状態に

していたのかも知れない。

 

今回の旅で、また何かが吹っ切れたのを感じている。

          やっぱり、大笑いが出来る自分っていいよね。

2009年8月29日 (土)

ただいまー!

夫の実家に帰り玄関の扉を開けると、亡き夫はいつも、

”ただいまー!”と大きな声で挨拶をした。

         つられるように私も”ただいま帰りました!”と言う。

 夫の実家は、私たちが結婚して一年目に母が亡くなり、その翌年に父が亡くなり 

主なき空き家となっていた。(夫の仕事の関係で私たちはここに住んではいない)

その実家に私たちが休みの度にお掃除、庭の手入れ、畑の手入れの為に通った。

 誰もいない家なのに 亡き夫は必ず大きな声で

”ただいまー!”と 挨拶をした。

 夫が逝ってしまった今、私は今住む我が家に帰ると

”ただいまー!”と 誰もいない我が家に挨拶する。

そして奥の方から、聞こえてくるはずの無い

      ”お帰りー!”という夫の声を 耳を澄ませて一瞬待つ。

  

・・・あの頃はあまり意識した事はなかったが、

”ただいまー!”と あの時、挨拶した夫は

       亡き父母に声をかけていたのではなかったのか。

そして、今の私のように

”お帰りー!” と 言う母の声に耳を傾けていたのかも知れない。

 あの頃の思いやりの足りない私はそんな夫の気持ちを察する事が出来なかった。

ただの決まりごとぐらいにしか考えていなかった。言い訳の様だが私の母は

まだ健在なので、その頃身近な人との死別の本当の意味での辛さが

分からなかったということもある。それでも自分なりには夫をサポートしてきたつもりでは

あるが、夫には私がいるから大丈夫という自負があったのかもしれない。

 両親との死別という夫のストレスは、今思えば、私の存在では追いつかないものが、

有ったに違いない。

     ・・・think

 思い出のいっぱい詰まった実家に帰れば、夫もいろいろ思う事があっただろう。

しかし、亡き夫の口からそんな事を嘆く言葉など、私は一度も聞いた事はなかった。

あの大きな声の”ただいまー!”が 今考えると 夫の亡き両親への甘えの言葉。

      ・・・唯一の嘆きだったのかもしれない。

 きっと夫は ”そんな事はないよ” と 男として強がりを言っているだろうけど。

2009年8月28日 (金)

走行距離1万キロ

夫の死の翌日、夫の車で出かけ駐車場で係員の方から、

”助手席の方は降りてください!”と 声をかけられた。

    <誰も乗っていない助手席、おかしい?>と 私がもう一度聞き返すと

再び同じことを言う。思わず、

”見えますか?”と私は聞いた。

・・・あの時、夫は逝ってしまったけど私の傍に居る事を確信し、

夫亡きこれからを生きる勇気と目に見えない夫の力を感じた。

       (この事は2009・2「私のとなりに」でブログに紹介しましたが)

   

 あの日、私は亡き夫の車の走行メーターを「0」にリセットしスタートした。

 car...

 役所関係の手続き・社会保険事務所・車名義変更で陸運局・税務署・司法書士・

弁護士相談と昼食を取るのも忘れ、車であちこちを渡り歩いた。

<これからは何もかも一人でやらなければならないんだ。

     これはまだ、序章に過ぎなんだよ。>と 車の中で何度もつぶやいた日々。

       ・・・泣く事さえ忘れて、car...運転する。

 夫の実家を兄弟に譲ることになった為に、荷物のかたずけに、

車で往復2時間余りのところを何度、通ったことか。その都度

<夫と2人で通った道だったのになー!> と ・・・心が乾く。

月命日に通う亡き夫の眠る墓。車で一時間弱。

              いつも2人で行っていたお墓参りなのに・・・。

ひと月ごとに移りゆく景色を車中から眺めながら、墓に眠る夫に

感じ取った季節を贈り物として届ける。

 car...

 夫が逝ってしまってこの車に乗るようになって1年8か月弱、

昨日走行距離1万キロを超え、夫の死の翌日「0」にリセットした補助メーターはこの日、

再び「0」に戻った。

ここから私はまた、新たなスタート地点に立つ。

      そんな気がしている。

          再び、「LOWからスタート」

2009年8月27日 (木)

ブログに参加して半年が過ぎ

2009・2ブログに参加して半年が過ぎた。

 

 夫との死別、突然の病発症による別れにより、

これまでの生活が一変してしまった自分の置かれた状況を日々ブログに投稿することで、

その都度、自分自身の現在が確認出来てきたように思う。

 夫との死別という自分にとっては、本当に特別な重大事件。

その特別な体験をして、自分が特別な人間になってしまったような感覚に陥り、

その通常の生活では得られない体験と この感情を記して置こうとブログに

投稿してきたけど、月日が過ぎゆく中で、だんだん特別な自分から

普通の自分に戻って行く。

・・・しかし、なかなか思うように前に進めなくて,

まだまだ成長どころか元に戻れない自分の姿が現状のようだ。

(もっとも、元の自分にはもう戻ることはなく、

    また違った自分の道を歩く事になるのかも知れないけど、その辺は分からない)

同じ凹みの繰り返し、それでも何とか抜け出そうとするものの、

チョットしたことで、またストーン!と落ちる。

投稿したブログが客観的な目で私にそれを教えてくれる。

・・・いい反省材料になっている。

そのことがこれからの自分にプラスのエネルギーとなる。

書く事によって、頭のどこかに眠っている何かを掘り起こせるような、そんな気もしている。

  

 これから先ブログへの投稿が、私に何を気づかせてくれるのだろうか?

2009年8月26日 (水)

感動を得ること

感動を得る事。それが何よりの心のケアに繋がる。

そんな事が今回大会の旅で感じたこと。

  

 夫が逝ってしまってからは、心から感動する事が本当に極端に少なくなってしまった。

しかし、今回のように自らの手で感動を生みだすことが出来ることが

それまでの苦労もどこかに吹き飛んで、心の底から洗われたような感覚になると知った。

上手く表現出来ないけれど、一つ何かの障害物をクリアできたような、すっきり感が

心を明るくし、重い気持もどこかへ追いやってくれた。感動の効用だと思う。

  

 <人は何のために生きるのだろう?>・・・そんな疑問が夫の死後、私の中にある。

以前ブログにも書いたけど、

   「生きる意味を求めてはいけない。求めなくても一生懸命

               ぶつかっていれば、その答えはいつか得られる。」

今回その答えの一つ得たような気がする。

・・・

    感動の喜びを得る為に、人は生きる。

    感動の喜びを知る為に、人は行動する。

    感動により生きる活力を得る事が出来る。

                     ・・・

今の私には それが答えに思える。

感動につなげる為には、それなりの苦労や苦しみが当然のことながら必ずある。

それを乗り越えることで 感動を生みだす。

<大変だったけれど、続けて来て良かった>

無理はしないけれども、投げ出さないことが 感動に繋がっていく。

そして、感動が心の汚れを洗い流してくれて、自らを成長させてくれる。

     ・・・感動の喜びを得る為に、私は生きる。

          それも一つの生き方です。

<感動を得たから何になる>ということもあるかもしれないけど、

次のステップを踏み出そうという気持ちに なることが充実した生活に繋がって

生きる喜びとなるのではないか。

2009年8月25日 (火)

コーラス全国大会

久々の大移動をして、コーラスの全国大会に行ってきた。

2泊3日の旅、何年振りかで飛行機にも乗りました。

 行く前に、心の中のモヤモヤを整理しして、気持ち良く舞台の上で歌ってきたいな

と思い、ここのところの自分をよく見つめてから出発しました。

これから先、そんなにチャンスがあるとは思えない全国大会の舞台です。

迷いのない歌声を会場に響かせたいと思ったのです。

 少し、心の迷いを引きずりながらの出発になりましたが

飛行機に乗り、空の上から地上を見ながらの移動が 私の心の霧を晴らしてくれました。

 大阪から松山までの短い空の旅、離陸する時、

<少しだけ、天に居る夫の傍に近づける!>

そんな思いが瞬間的に頭に浮かび、涙がこぼれ出てきました。

<上から見る地上の景色、夫はいつもこんな風に私たちをみているんだわ。>

       ・・・感動でした。

小さくなっていく地上の街並み、悩んで苦しんでいる人の姿など当然のことながら

見える事はない。 涙と共に自分の中の心の迷いも流れていきます。

そのうち、雲海の上をしばらく飛行。モクモクと白い雲が広がってとても美しい。

夫が言ってくれました。

<僕は、こんな美しい景色を見ているんだよ!

            大きなおめめにも見せたかったんだ。>

そのうち、雲が晴れて瀬戸内海に浮かぶ島々が見える。

もう、私の中の、心の霧もすっかり晴れていました。

         ・・・confident

 現地でみんなと合流、いよいよ全国大会です。

モードはすっかり切り替わり、私のテンションも大会モードに上がって来ました。

みんなと前夜祭で気合いを入れ、翌日の本番に向け気持ちを一つに!

 当日、別会場で練習し、本番の会場入り。

みんな旅の疲れも見せず、いい感じに声が出ています。

予想を超える広い会場で、小編成の私たちの団体の声がどこまで会場に響かせることが

出来るか心配。

<雑念を捨て、最後まで曲に集中して納得のいく歌を歌おうね!・・・集中だよ!>

と みんなに声をかける私です。一番心配なのが自分なのに。

合言葉は、「今まで練習してきたことをすべて出し切ろう!」 です。

・・・ピアノの前奏が始まりました。

気持ちのいい緊張感が私を包みます。

体の中か自然な形で声が出てきます。詩の内容を会場のみんなに訴えたい、

自分の思いを声に乗せ、届けたい。

一心に歌います。自分の声が会場の2階席、3階席へ広がっていく。

そんな感動がありました。

・・・後半のさびの部分に入ります。

note・・・地平は遠く、果てないだろう

            遠く 果てないだろう

   宇宙へと大きなロケットは昇り

             子らはかけて行くだろう

   今年も、喜びがあるだろう

   生きている限り、否む事の出来ない希望が

      あ~・・・   あ~・・・

   生きていく限り、生きていく限り・・・生きていく限りnote

谷川俊太郎さん作詞のこの曲が、皆を盛り上げていきます。

とても、気持ち良く歌う事が出来ました。この舞台で歌えた喜びが、私を包みました。

<いろんな事があったけど、ここまでやってきてよかった>

そんな思いがありました。何があってもこの大会までは頑張ろうと

思って続けてきたこの数か月です。

そして、こうして自分が満足出来る声を出す事が出来た。本当によかったです。

 感動したのは私だけでなくメンバー全員がそれぞれに感動を口にしていました。私たち

なりに、日頃の練習の成果が出せたのだと思います。

後でDVDを見るのが楽しみです。

 大会の結果は、残念ながら一番いい賞を頂く事は出来ませんでしたが、全国大会は

初出場というこで、まだその辺は多くは望みません。この大舞台で自分たちが

気持ち良く歌えたと感動を喜ぶメンバーそれぞれの晴れやかな笑顔が

一番の賞だったと満足しています。

   

 大会最後の閉会式で、松山の市長さんが

この街に嫁に来て(生きて)、お母さんになって、

  おばあさんになっても

   あなたと共にこの町に住みたい!” という内容の曲

松山市の公募で、選ばれた一般の方の詩に 「千の風になって」の作曲をした新井満さん

が曲をつけたという歌を歌ってくださいましたが、これには参りましたweep

この街で」という曲です。

自分の思いが思いっきり重なりました。

 歌い出しから、あふれる涙を止める事が出来ず、前の方の席に座っていたのにも

かかわらず、ハンカチで顔を覆いながら、泣いてしまいました。

自分たちの演奏で気持ちが高揚していたのもありますが、感動で、私は涙をこらえる事は

出来ませんでした。

      (ネット検索で今日又、聞いてみましたがやはり泣けました)        

        shine

こんな、素敵なおまけも付いた私にとっては とっても有意義ないい大会でした。

・・・airplane

帰りの飛行機の中から見えた、水平線を赤く染めた夕焼けはとても美しく、

今回の夏の思い出の最後のページにふさわしいものでした。

・・・心に残る夕焼けでした。

 

2009年8月24日 (月)

少し疲れて

日中は肌を刺すような日差しでまだ暑いけれど、

朝夕には秋の訪れを感じるような風が吹き始めた。

 コーラスの全国大会も終わり、夏の疲れが少し出てきた。

暑いんだけれども、肌寒いような気がして長袖のTシャツを着ると、すぐ暑くなって

また着替える。体の調子が少々おかしい。寝る時も、肌がけをかければ暑いし、

かけないと冷える感じがするし、かけたりはずしたり大変だ。

                   (クーラーも扇風機も使っていないけど)

 寝不足の為か、朝起きると頭が重い。

起きて活動しはじめると治るから、血行が悪いんだなと自分では思っている。

 (「本当は怖い・・・」じゃないけれど、何か重い病気のサインではと、

            取り越し苦労をして不安がよぎる気持ちを振り払って)

・・・  

 夏バテは夏に十分な睡眠が取れなかったりすると、秋になってやって来るものだと

聞いているが このままだと秋が少々心配・・・。

 ウナギでも食べて、エネルギーの補給をしておいた方がいいのかな?

2009年8月23日 (日)

人づきあいが苦手に

夫を亡くしたことで、人間卑屈になってしまったのか、

落ち込んだ気持が浮上を妨げる為か、心のゆとりが無くなって、

人付き合いがどうもぎこちない。

 考え直して、何度も試みるが、うまくいかない。

特に生きていくことに直接関係の無い、何年も続けている趣味の世界の人間関係が

ダメ。自分が楽しむ為の時間、有意義に過ごしたい。そんな時は、気が抜けている為か、

どうしてもわがままな自分が出るようだ。

   

 些細な言葉が耐えられなかったり、許せなかったり、ちょっとした行動に

引っかかったり、まったく大人げない。時には、自分自身がその場から阻害されている

様に感じることさえある。・・・いやな自分になってしまったと思う。

 今まで笑って聞き流していた事に怒れたりする。一応大人だから、口に出して

抗議するようなことはないけど、きっと態度には出てしまっているだろう。

  

・・・・かなりストレスが溜まっているのか?

      気心の知れた人達に甘えているのか?

そう言えば、死別の体験がある人の心理テストの項目の中に、

「最近怒りっぽくなった」何ていうのがあったけど、やっぱり怒りっぽくなるのかな?

どうも、情けない私。心が不健康だ!

    ・・・一人でいると、大丈夫なんだけどなー!

この、いじけて自分の中に閉じこもりがちな私を 何とかしなくちゃ・・・think

2009年8月22日 (土)

耐える事

死別の悲しみを乗り越えるとは、悲しみと苦しみと他のもろもろの感情に

耐える事・慣れる事だと 最近 思うようになってきた。

  

 自分自身、夫との死別の現実に、何としても耐えなければと、何かをして

気を紛らわしたり、いろいろな考え方をして、自分自身を納得させたりして、

自分で自分を支えてきた。なかなかコントロールは難しいけど・・・

  

 一年7か月の時が経って、涙が出るほどの悲しみは、少しづつ減ってきたものの、

この世から夫がいなくなってしまったという喪失感はいまだ去ることはない。

それどころか、だんだん増してきているような気がする。

        ・・・しかし、私に出来る事は、耐える事しかない。

どうしても気が晴れない。そんな日も多い。

 自分の中に<どうして出来ないんだ> と 言うもう一人の私がいる。

「人の死」 それは誰もがいつかはかかわるもので、みんなそんな体験をしながらも

生きているんだ。どうして私にそれが出来ない。・・・自分自身の中で葛藤は続く。

        ・・・cloud

 それでも闇の中で、shine光を感じる。

    そんな日も、以前と比べれば少し多くなってきた。

2009年8月21日 (金)

瞬間の切ない思い

何かをした時に、ふと思う。

こんな事をした時、夫はよくこう言っていたわ。

これをすると、夫はあんなことを言ってくれた。

 

 やっと慣れてきた日常に今日も又、瞬間の切ない思いが私を襲う。

<ここで、声をかけてくれる夫は もういないんだthink

二度と私に声をかけてくれることがない。いくら待っても、何年 時が過ぎても

声をかけてもらえない。そんなわかりきった事実が、重い。

悲しいとはまた違う、やり切れない思いが心にのしかかる。

どう表現したらいいのだろう?・・・重い!

  <この先もずっと、こうなんだな!>

        ・・・この先、ず~っと・・・

  

 次の事を始めれば、すぐにその事は忘れてしまっている。というか、その事を

考えないようにするために何か他の事をする。

しかし、頭の隅に追いやった 切ない思いは、蓄積されて、時にドスーンと

落ち込むみたい。まだまだ、そんな事の繰り返しの私です。

      本当に・・・行ったり、来たりの毎日です。

2009年8月20日 (木)

夫の人生って!

毎日をいろんなことにつまずきながら、過ごしている。

そんな言い方が私の夫が逝ってしまってからの生活を示すのに、当てはまっている。

  

 元気にしていた頃の夫の姿を思い出しては、

<なぜ、突然あんな病魔が夫に降りかかったのだろう?>

<夫の人生は、何だったのだろう? 頑張っていた毎日は なんだったんだろう。

                ・・・幸せな旅立ちが出来たのだろうか?>

昨日までここにいた夫が、もう二度と姿を見せる事はないと思うと、

自分が悲しいという気持ちもあるが、<夫の人生って!> と 考えると夫の人生に対し、

無性にやりきれない思いがする。

”突然の死というのは、最期まで彼が精一杯生き抜いたという事じゃないかな!”

 と彼の友人が言ってくれた。そして、付け加えて

”突然というのは、突然逝ってしまうことで、

 残された人への悲しみを少しでも減らしてあげたいという「彼の愛」だったんだろう。”

・・・そうなのかなー。(私)

死別の悲しみについては減らされているかどうかは 疑問なところだけど、

彼が最期まで精一杯生き抜いたということは、本当にそうなのかもしれないと

時が経つにつれ、思えてきた。言われた当初は、

<そんなことない、彼は生きたかったのにその思いを奪われてしまった。

  まだ、やりたい事はいっぱいあったんだ。何を持って、生き抜いたというんだろう?>

という気持ちが心のどこかにあった。(今も少しは残っているけど)

  

 しかし、亡くなる直前まで、確かな足跡が残せた生き方は、

「彼は生き抜いた!」 という表現の中に真意があるように思う。いや、そう思うことで、

亡くなった夫の人生が確かなものだったと思えて救われる。

 「この世に生を受け、みんなに愛されて、慕われて、両親を自分の手で見送り、

  自分の思うように生き抜き、自分の子供を抱く事はなかったけれども、

  幸せな結婚生活(?)と言ってくれて、

  最愛の妻(自分で言うのはおかしいのは分かっている)に最期を看取ってもらい・・・」

 

夫の人生は、50代半ばと 終わりがちょっと早かったけど、彼が生き抜いた人生だった。

彼に悔いがあるとすれば、もう少し年月が欲しかったということ。

でも、これが彼の定められていた運命だったのかもしれない。

・・・

”彼は最期まで生き抜いた!”

と 言ってくれた夫の友人さんには本当に感謝している。

その言葉で亡き夫は、悔いの残る気持ちを捨てる事が出来、

      今満足の微笑みを浮かべている事だろう。

                ・・・私はそうであると信じたい。

2009年8月19日 (水)

迫ってきた全国大会!

7月のコーラスの関東大会から一か月半ちょっと、

いよいよ今週末は全国大会。

 暑かったり、お盆があったりで相変わらず、あまり練習していないけど、それでも

それなりに位の発声練習は一応怠ってはいない。

 今日は大会前の最後の全体練習、曲の総仕上げ。

どの部分をどのように歌うのかもう一度確認する。演出も何もない私たちの団体は、

歌に込めた思いを歌う姿勢と発声で表現する。基本勝負といったところ。

これが一番難し~い!

しかし、みんなの気持ちが一つになって伝える事が出来れば、何物にも代えがたい

感動を与える事が出来る。ぜひ、いい歌声をホールに響かせてきたいと思う。

       (意気込みだけは、十分です!)

2009年8月18日 (火)

顔を上げて、遠くを見ると

ウォーキングの時もスロージョギングの時もなんだけど、

うつむき加減で歩いていると、自分の足元とから2m位先までしか、目に入らない。

つまり身の回りしか見えない。

しかも、近くばかり見ていると、まっすぐ進むにはかなりの集中力がいる。

 でも、顔を上げ遠くを見てみると、目の前にすーっと広がる世界がそこにある。

まっすぐ進むには遠くに見える何か目標物を目指し、そこを見ながら進むと、

意識を無理に集中しなくても曲がりくねることなく、ほぼ直線上を歩いたり、

走ったり出来る。・・・そうなんだ!

 顔を上げる事は、無駄なく生きられことなのかもしれない。

近場しか見ていない、その日しか見ていない様な生き方は、ふらついて、

目標を見失う事になりかねないんじゃないか?

      ・・・今の、自分のように。

 ここで顔を上げて、遠くを見たら、目指すもの(これからの自分)も見つけられる

かもしれないし、そこに行くための道も見えるのかも知れない。

 

 夫との突然起こった死別後、先の事を考えるのが無意味に感じ、

先の事を考えることを否定したきたが、そろそろ、

少し先のことを見(考え)たほうがいいのかもしれない。自分を見失わない為にも!

     

 think 出来るかな?・・・不安を克服する事が。

 先の事を考えるといやになるくらい不安を抱えている私。

少しづつ試していったらやれるかな・・・? どうだろう?

     

   まずは、顔を上げて、胸を張ってみよう!confident

       そして、思いきり深呼吸!

           自分の中の活力を信じ、再スタートです。

2009年8月17日 (月)

何、それ!

久しぶりに亡き夫が夢に出てきた。

何か月ぶりだろう? なのに、<それはないでしょう!>という夢。

お恥ずかしくて人には言えないけど、思わず笑っちゃうからちょっと記しておこうかな。

  

・・・どんな夢かというと、前後のつながりはまったく記憶に残っていないけど、

 夫がトイレに入っていて、トイレの中から、

”トイレットペーパーがないよ~!”と叫んでいる。

すぐそばに私がいた訳ではないけど、そこは夢、夫の怒った顔が見えた。

          (生前こんなことで怒った事はなかったけどねwink

びっくりして、目が覚めてしまったので、その続きはない。

起きてから・・・<この夢はないよー!>と思った。

       <エッ!トイレットペーパーが無い!・・・何、それ!>

あきれるぐらい現実的な夢。もしかして、まだここに一緒に暮らしてるの?

  ・・・てな、訳ないよね。

久しぶりなんだから、もっとロマンチックな夢で、逢いたかったよ!

これじゃあ、臭いなかになっちゃうよ!・・・まったく、大笑い。

頼みますよ、今度はもっと素敵な夢で出て来てね!

       それと、もう少し長く居て欲しいな・・・お話したいから。

2009年8月16日 (日)

今日も走る

スロージョギングにすっかりハマってしまっている私は

今日もいつものコースを走る。 日常を一時忘れさせてくれるスロージョギング。

本当に汗と一緒に、ストレスも流してくれる。

 

 昼間の暑さも17時を過ぎれば少し和らぐので、いつものように汗をかいても目立たない

服装に着替えをして、汗拭きタオルストールを首に巻き、バンダナを頭に巻き、

その上からキャップをかぶり、日焼け防止のアームカバーを腕に通し出かける。

腰に下げた500ccのスポーツドリンクが走り始めは、少し重いけど水分補給の度に

気にならなくなってくる。

 ここのところ(先日お盆休みに入ってから)、いつものコースで出会う人の顔ぶれが

少し違う。家族連れの和やかな語らいをしながらのウォーキングが目立つ。

・・・ちょっとだけ うらやましい。

それでも黙々と走っている人もかなりいる。

走っている人は、私のようにこれをやらないと一日が終わらないとでも思っているのか

、顔ぶれは同じようで。 ・・・そうなのよね! 走るって、頭の中で考えると

<キツそうだな?>と思ってしまうけど、スロージョギングとかでも、実際に走って見ると、

結構楽しくて、又次の日も走りたくなる。

少々キツイ事もあるけど、それほどでもないし、そのキツさを乗り越えるのもまた、

いい感じ!

走り終わった後の爽快な気分は、明日への活力へと繋がっていく感じがする。

 ・・・これが続いている理由かな。

  

 今日はいつもコースの半分の所でとる、ウォーキングタイムもなく、全コースを初めて

スロージョギングで走り抜いた。(所要時間 約1時間)

なかなか快調に走れて、疲れもさほど感じなかった。

だいぶ、体力がついてきたのかな?

でも、同じ方向に走っている他の人には、ほとんど抜かれてしまっている私だけどね。

でも、そんな事はいいの!

   ・・・マイペース、マイペース!

精神論者のようにすぐにいろんなことを人生に結びつけて考えたくなる私は、

自分の人生を走ること歩くことに置き換えて、それを毎日やり遂げることで、

<自分には、やれる!>と 確証みたいなものを 求めているようです。

少し大変になってくると、念仏のように、

  <自分に負けない!絶対に投げ出さない!

          涙を流す事はあっても、私は逃げない!

気がつけば、心の中でつぶやいている。

(決して体に無理をして、走っている訳ではないけど)

 ・・・

そんなこんなのウォーキングとスロージョギング!

今日の自分の目標コースを終わっての気分は、すっきりさわやかです。

2009年8月15日 (土)

送り火

今日でお盆も終わり、一年ぶりに帰って来た仏様も、

先ほど焚いた送り火で帰って行った。

とても暑いお盆の3日間で、仏様の乗り物である、なすときゅうりで作った牛と馬も

少々ヘタッテしまったけど、無事帰れただろうか?・・・心配!

<あーあ! これで、お盆も終わってしまったね!> といった感じ。

大切な仏様の行事が一つ終わる度に

       亡き夫との距離が少しづつ遠くなっていくような気がする。

現実に取り残された私…という感じが一層増してくる。

  

でも・・・また明日から、仕切り直ししなくちゃ!

次の行事は秋のお彼岸。それまでにはもう少し精神面を鍛えてね。

”<きっといい事もある>そう信じて、また一日一日を大切に過ごしていきましょう!”

と、独り言を言いながら・・・PCの電源を入れた。

2009年8月14日 (金)

五感を研ぎ澄まして

お盆で夫が帰って来ているところで、私のこれからを夫に伝えておきます。

  

・・・彼方と共に生きる事はもう出来なくなってしまった。

       彼方と共に何かをする事も もう出来ない。

             彼方の声を聞く事も、あの笑顔を見る事も・・・

でも、私が人生を投げ出さないで、五感を研ぎ澄ませていれば、

       見えるよね、聞こえるよね!彼方が、彼方の声が!

”きっと傍に居てくれるよね!、信じているよ!”

      confident

<そうだよ!、僕は大きなおめめの笑顔が好きだから!> って、 

   今・・・言ってくれたんでしょ。

 

これからもいろんなことで、落ち込む事があるかも知れないけど、私はくじけません!

又、泣いてしまう事があるかも知れないけど

    ・・・絶対に負けない!

彼方と結婚して、彼方が私の人生をすばらしいものに変えてくれた。

彼方が与えてくれたこの人生をこれからも大切に毎日を過ごして行きます。

そして、より良い人生にしていけるように!

それが、彼方が生きている時に伝えきれなかった、私から彼方への

  感謝の気持ちとお礼です。

見ていてくださいね! 充実した人生をきっとお届けします。

              ・・・スローペースかも知れないけどネ。

2009年8月13日 (木)

猛暑と盆休み

台風が猛暑を連れて来て、台風の去った後のこの暑さったら、何!

     ・・・急な暑さに労働意欲がまったく湧かない。

            sun      

今年は、梅雨明けが8月までずれ込んで、夏の本格的な気候に

         慣れていなかったせいか、本当にこの暑さは身に応える。

 暑がりのくせに、エアコンの苦手な私もここ数日は、エアコンなしでは、仕事にならない。

しかし、エアコンの効いた心地よい所に居ると、今度は、睡魔が襲って来て、

「お昼寝、した~い!」なんていう事に。

それでも何とかお盆前に納めなければならない仕事が終わって、

ゆっくりお盆を迎える事が出来る。   …良かった、本当に!

 盆休みは本当にいい時期にあるんだね。

             この暑さでは生産性の向上どころではないですもの。

・・・どこへ行く予定もない私のお盆の期間は、家でゴロゴロゆっくり、

         帰って来た夫と過ごします。

2009年8月12日 (水)

自然の力には勝てない

自然の大きな力には、人間の力など到底かなわない。

  

 ここのところ、豪雨による土砂災害のニュースが連日のように流れている。

それに続いて、台風に地震。 映し出される現場のかなり悲惨な状況がそれを物語る。

ふだんは美しく癒しさえも与えてくれる自然なのに、

気象の変化によって、また地殻の変動によっては、

        大自然のなす事は人間の計り知れないところにある。

・・・大きな木をも巻き込んでの土砂崩れ、土石流が荒れ狂う河川、濁流が流れる川

    そして、大地震・・・

決して他人事ではなく、いつどこで自分がこのような災害に遭うかわからないとある意味

覚悟が必要だと思う。

自然が猛威をふるった時、人は成すすべがない。

ふだんから気を付けていればなんとかなるという訳には なかなかいかないようだ。

 それでも、被害を最小限で済ます事が出来る方法を 小さな抵抗ではあるけれども、

一人ひとりが学んでいかないといけないのかな と

    このように災害が続くといろいろ考えさせられることは多い。

2009年8月11日 (火)

大きな地震に慌てて!

今朝は大きな揺れで起こされた。(朝5時7分)

ベッドから起き上がってもまだ揺れている。

  

 予想されている東海地震がついに来たのかと思い、

逃げ場を作らなければと、雨戸を開けたら揺れがおさまった。少し慌てた。

(こんな時一人は焦る。)

 < どんな状況なのか?>・・・TVのスイッチを入れる。

静岡の駿河湾が震源地で静岡市が震度6弱というので 静岡に住む知人に

TELを入れるが、ビックリしたが何事もなかったという事だったので安心した。

 この地震はTVによると、今のところ東海地震と直接関連していないようだとの、

発表があった。しかし、「この地震が引き金になって」なんて、素人は考えてしまう。

来て欲しくないけどね!

 この地震のマグニチュードは6.6で 予想される東海地震のマグニチュード8クラスより

かなり小さい。そう考えると 実際東海地震が来たら恐ろしい。

 今回の地震でも新幹線も在来線も東名高速もすべて止まった。浜岡の原発も

揺れを察知し緊急停止。

日本の東西を繋ぐ要の静岡で寸断されることはかなりの打撃。

これより大きな東海地震が来た時には大変なことなってしまいそう。

身を持って今回そのことを感じるところ。

 

今回地震で、地震エネルギーが少し放出されて大きな地震が来ないことを祈る!

2009年8月10日 (月)

今がこらえ所

特別な事もなく、仕事と日々の事を淡々とこなしながら過ごす毎日。

 夫の死後の、モヤモヤした気持ちはいつも自分に付きまとう。

<こんな事に負けられない!、頑張らなきゃ!> と 思う自分が、私に元気をくれる。

<今がこらえ所、ここを超えたらきっと何かが掴める。>

開放感の無い自由の中で、挑戦できる事には、積極的にやってみよう!

      ・・・きっと、明日に繋がるはず。

  

 それでも、気持の盛り上がりの少ない日々。

泣きくれた去年よりは少し気持ちは落ち着いたのは、この生活に慣れてきたからで、

喪失感が消えた訳では無い。

こらえ所のこの時期は、いつまで続くのだろう? ・・・終わりはないのかな?

でも、明日は、きっと今日よりいい日と思わなきゃ!

  

 月日は過ぎても、私の頭の中では、確認するかのように同じようなことを

               ・・・くり返し、くり返し考え続けている。

この確認作業は、現実を見つめる上で とても大事なことなんだ、きっと。

・・・夫がそこに生きていた時の事を思い出しながら、

<夫の人生は突然終わってしまったけれど、確かに夫はこの世に足跡を残して行った。

         ・・・その事は、私がしっかり覚えているよ!>

こんなに早く逝ってしまうとは本人だって 予想もしていなかったに違いない。

その無念の思いを察すると、悔し涙も出てしまうけど 

  これが夫に定められていた運命だったのか?

       在りし日の夫の姿を頭に浮かべ、一人思いにふける。

2009年8月 9日 (日)

ヒュルヒュル・ドスーン!

昨日は花火大会。近くの湖のある公園で打ち上げられた。

ドーンと上がるたびに、窓ガラスに振動が伝わってくる。

 打ち上げ花火は亡くなった人の霊を慰める為に始まった説もあると

聞いたような気がするが、これだけ大きな音で語りかければ、

間違いなく天まで届きそうだ。

     <きれいな花火がそちらからも見えますか?>

  

 夫の仕事が重なって、亡き夫と、この花火大会を一緒に見た事は、

数回しかなかったけれど、

その時は、二人で浴衣を着て、花火が良く見える家の駐車場に長椅子を置き、

蚊取り線香をその下に置き、もちろん枝豆・焼き鳥をつまみにビールを飲みながら、

”オオー!すごーい!”と

降って来る様な打ち上げ花火に感動しながら楽しんだ。・・・夫の笑顔が思い出される。

 仕事で見られなかった時は、後半の花火だけ、家の中から、窓を全開にし、

部屋の明かりを消して、やはり、枝豆つまみに一杯飲みながら楽しんだね!

”家でこうやって見る花火は、最高だね!”と 夫はほほ笑む!

      ・・・confident

 夫が亡くなった昨年の花火大会の事は あまり記憶にはないけど、やはり、

<この花火がそちらからも、見えますかー?> と

             心の中で叫びながら見ていたんだろう。

2009年8月 8日 (土)

盆休み

盆休みといっても、自営業の私にはあまり関係ない。

盆明けに納めなければならない仕事があるので、

少しでも進めておかなければというところ。

休みというよりはお盆で御先祖様をお迎えする日という言い方の方が私の生活には、

ピンとくる。

 昨年の夫の初盆からもう一年が経ったんだ。速いものです。

今年は自分のペースでゆっくり仏様をお迎えしようと思う。

昨年の初盆は、何かに流されるかのように 次から次へといろいろなことを

しなければならず、じっくり亡き夫と語り合う事も出来なかった様な気がする。

今年は、お客様もそうはいらっしゃらないだろうから、一年ぶりに帰って来る仏様と

じっくり向き合おうと思う。報告したいことも、山ほどあるし。

  ・・・でも、ここに夫が生きていてくれたら、本当に、本当に最高なんだけれど・・・

  仏様になってしまった夫は見えないからね。

    お話も出来ないし…think

本日は盆棚の準備。

   まずは、盆提灯を出して、

   お供え・・・海の物(コブ・寒天など)

         山の物(干しいたけ・乾燥ゼンマイ)、

         里の物(カボチャ・さつまいもなど)

   季節の果物、お菓子、お酒のお供えもの

   お花はミソハギとススキの葉を

仏様が乗って来る牛と馬も作らなくてはね。

仏様の御膳はごはん、汁、酢の物,煮豆、

         しいたけ・こぶ・にんじん・れんこんなどの煮物。

   ・・・夫の大好物の枝豆も付けてあげよう。

後は・・・っと、水向けの準備、

  広口の湯飲みにお水を入れ、南天の葉を添えて・・・

和尚様用の御座布団を出して、準備完了!

・・・sun

朝一で早くもクマゼミが庭の木で、シャン・シャン・・・と 鳴きはじめ

朝からの強烈な暑さに、拍車をかけている。ジッとしていても、汗が噴き出てくる。

こんな暑い時では、仏様も遠くから来るのは 大変なことなんだろう?

     冷たいビールでもお供えしてあげようかな!

2009年8月 7日 (金)

検索の楽しみ

PCの検索機能って面白い。

何か分からない事を検索で探して、いろいろ参考にできるというのが

普通の使い方なのかもしれないけど、検索ワードで、目指すブログを探すと、

そのことばは確かに使われているけれども、中身が求めているものと

全く違っているなんていう事もよくある。

 しかし、そこで思わぬ記事に出会えて、面白く、当初の目的の検索ワードを忘れて

読んでしまう。自分の 世界が少し広がった気がする。

 その逆もあって、私のブログに検索サイトからせっかく訪問してくれたのに、

<ごめんなさい!、その言葉は使っているけど、その事が主な内容じゃないの!>

ということもある。

そんな時、せっかくの訪問者に、その方が求めている内容でなくて悪いと

心の中でつい謝ってしまう。

でも、そこから私の書いた別の記事に興味を持ってもらえたりすると 

うれしかったりもする。

こんな事は、検索の意外な楽しみの一つじゃないかな。

・・・confident

ワードの一つにも、どこにでも繋がる鍵が潜んでいるインターネットは

    怖くもあり、楽しくもある。

2009年8月 6日 (木)

あれっ・・・楽しくないよ!

今度、コーラスの全国大会で四国に行くことになっている。

 

 仲間が練習の後、大会後のお楽しみの旅の話題に大盛り上がりで、

<どこへ行く?、何を食べる?>などと 夢中になって話をしている。

 そこに当然私も参加しているのだけれど、自分の気持ちは全く盛り上がってこない。

話題の中に入って行く気になれない。

<あれっ!・・・楽しくないよ!>

      <全然、楽しくないじゃん!>・・・自分の心に話しかける。

         <どこで何をしたって、別にいいよ!>

その場では、そんなさめた思いしか湧いてこなかった。

全国大会に行ける事になったのはうれしかったけど、旅を楽しもう・・・というところまで、

まだ行っていない。

夫が逝ってしまってからの旅行と言えば、日帰りの「横浜総持寺と三渓園」

「一泊二日の永平寺への納骨の旅」だけ。(・・・これは旅行では無いか?)

お楽しみの為の旅行はまだ行っていない。

あまり、行く気にもならないから行っていないだけの 話なんだけれども。

  みんなのテンションまで自分を持ち上げるには まだ、大変な苦労が要りそうだ。

私はとりあえず、本来の目的の歌をしっかり満足がいくように 歌いきれるよう頑張ろう。

今回の旅は 今の私にとって、それで十分楽しいはず!

2009年8月 5日 (水)

ひとりの時間がいいかな

自分の一番の理解者であり、私の一番のファンでいてくれた夫。

その夫が逝ってしまって、私はひとり孤独。

 しかし、今はひとりでいる事が耐えられない訳ではなくて、ある意味居心地が良いと

感じているのかもしれない。だから、ひとりになることを選んでしまうことがある。

   ・・・自分で選択した孤独。

    (以前から、いつも一人アトリエで仕事をする生活を送っている私は、

                      一人でいる事はあまり苦にはならない。)

 

 一人でいる事が多いと人間わがままになるのか、人と接していると、

その人の心がどこを見ているのかが変に気になり、気分が重くなる時がある。

ちょっとした行動、言葉に妙に反応してしまい、その場を離れたくなる時がある。

もちろん相手が悪い時ばかりでは無く、そこに居る自分の行動や発言がとても嫌な自分

であったりもして、その場に身を置きたくなくなる。

 夫と死別してからの自分は、何かやっぱり以前と違う。若干鬱的症状?かな、

それとも単なる防衛本能?

 

 自分の傍に夫が生きていてくれていた時の「自分が守られている安心感」

みたいなものが無くなって、ギリギリのところで、むき出しの自分で人と接していて、

心のゆとりが持てずにいるからかな?

 

・・・(もう一人の自分がここで登場!)

こんな事ばかり考えないで、思い出してみよう!

夫と共に過ごした中で夫がが教えてくれたこと。

季節を感じ、自然を感じ、鳥のさえずりに口笛で答える。

四季折々のいろいろな歳時記を楽しみ、おいしくいろいろな食べ物を口にし、

こうして生かされていることに感謝する。

人にはやさしく、思いやりをもって接し、ほほ笑みは忘れずに!

・・・何か忘れてはいませんか?> 今自分に、問う。

変なこだわりは捨てて、自然の中に身を置くように 

       もっと、素直な自分になりたいものです。

2009年8月 4日 (火)

レクサスHS250h良かったけど・・・

気分転換に7月14日日に発表された

 new レクサスHS250h を見に行った。

 なかなか足を運ぶ事のないレクサスのショールーム。

お客様駐車場にはレクサスしか止められていない。

もちろんレクサスなんていう高級車に乗っていない私はどこに止めようか?

一瞬戸惑ってしまった。

こんなことで、ビビってしまっては到底レクサスに乗る資格はないよ!なんて、 

自分で自分の行動を笑ってしまう。

約束してあったセールスマンが出迎えてくれ、早速拝見。

  

 カタログで見た時よりかなりいい感じ。

前から見た所デザインが重いかな?と思っていたけれど、実際見ると

そんなには気にならない。でも、ISと比べるとシャープさに欠ける。

 

 運転席に座って内部チェック。さすがレクサスといった感じ。

ナビ操作も指でタッチではなくて、マウスの様なものが 普通シフトレバーがあるあたりに

あり、左手で操作する。手を画面まで伸ばさなくていい分使いやすそう。

画面にも指紋が付かなくていいかな。

 

 試乗車に乗せてもらう。・・・ハイブリッド車はやっぱり静か。

車内もエアコンの送風の音しか聞こえないぐらい。

時折、<ヒューン>という音が耳につく。エンジンでなくモーターの音だという。

電車に乗っている時に聞こえる音に似ている。・・・乗り心地はかなりいいと思う。

安全性、緊急時のサービス等はレクサスならではのものがあり、守られている感じが

運転するものとしてはかなり安心感が持てる。

  

 しかし、再びショールームに戻って後部座席に座ってがっかりした。

<足もとのあれはないんじゃないかな!>

エアコンの吹き出し口が前の座席の下の床にあるんだけど、むきだしで何とも安っぽい。

前のシートの裏側についているポケットに至ってはネットなのだ。

せっかくのレザーシートもこれでは台無し。ここだけに関して言えばマークXの方が

よっぽど高級感がある。

<これではレクサスの名が泣くよ!>

<何でレクサスでこれなの?>と ここまでいい車だと思っていた気持が

どこかへ飛んで行ってしまった。

確かにレクサスで395万円からという金額は安い。こんな風にどこかで調整しないと

出来ない金額なんだろう。

でも、HSのどのグレードにしてもここのデザインは変わらないというから、

ハイグレードで500万円近く出してとなると辛いものがあるんじゃないかな?

         (・・・いらぬお世話ですか)

でも、大型トラックと衝突しても潰れないボディと緊急時のサポート等安心料と思えば、

十分満足が得られるとは思えるところかな。

 

 この秋また、TOYOTAが「SAI」?というハイブリッド新型車の発表をするという情報が

流れているから(8月半ば過ぎ頃には、少しづつ確実な情報が得られる様)、

これに期待したいと思っている。それに、これからも続々と出てくるみたいし、

燃料電池搭載なんていうのも開発されているみたいから 楽しみは まだまだ続く。

      car...

 ハイブリッドに電気自動車、燃料電池車と今後の車社会がどう変わっていくのか、

過渡期に来ているようだ。

 買う買わないはともかくとして、新型車を見に行くのは

         「未知との遭遇」みたいで何だかワクワクして楽しい。

・・・そのうち、自分にピッタリの車に出会えたら、買い替えを検討したいね。

2009年8月 3日 (月)

これは何かのメッセージ?

昨日から迷っている事を、明日返事をしようとしていた。

それでも自分の決めた事が本当にいいことなのか確認する為に、

兄に相談しておこうとTELを入れる。

義姉が出て、兄は泊まりで出かけているので、明日夜ににならないと戻らないという。

  

<そうかー! もう少し私に考えた方がいいよ!> っていうことなんだなと思い、

新たな資料を探し、もう一度、見直してみることにした。

・・・見落としていた部分を発見!

         <結論をいそがなくてよかった!>と思った。

             (受け入れる為には結構致命的な箇所の見落としだった。)

 もし、兄がそこに居て電話に出たとしたら、私は自分の主張を正当化することばを

発し続け、もしかしたら、兄をも納得させてしまって、事が進んで行ってしまったかも

知れない。大事なことを見落としたままで、後になって、きっと後悔することになったと

思う。  ・・・これは何かのメッセージ? だったんだ。

 亡き夫が私に ”結論を急ぐな!” と 発したメッセージそのもの、

そのメッセージを感じ取り損なわなくて良かった。

  

 冷静に、起こるすべての事を前向きにとらえることが、

       そのメッセージを受け止める唯一の方法かな と今回つくづく感じた。

2009年8月 2日 (日)

迷い

今、ちょっとした決断を迫られている。

 何かの決断を迫られた時、自分の選択は正しいのか、どうか迷う。

 

 無い知恵を絞り、出来るだけ間違いのないように、後悔のないようにと時間をかけて

考えるが、大きな問題になればなるほど、<本当にそれでいいのか?>と迷う。

誰かに相談し、意見を伺うという事も大切なステップかも知れないが、最終的には自分が

そこに求めるものは 何なのかという事が結論につながるのだろう。

 しかし、迷い始めると自分がそこに求めようとしているものが 本当に必要なのかと

根本から揺らいでしまうから、また元に戻ってしまう。

 「生活していく上で本当に必要なのか? 」 からだんだん本質へ、

   「生きていく上で本当に必要なのか?」

              ・・・生きるって何なのか?

 「何かを楽しむ事がなければ生きる事が出来ないのではないか?」

 「楽しい事って、今の私にとって何?」

  「それって、本当にいいことなの?」

迷いは、果てない疑問に繋がっていく。

        ・・・決断までには、まだ時間がかかりそう。

2009年8月 1日 (土)

魔女の宅急便

昨夜 「魔女の宅急便」がTVで放映された。

     心休めるにはこんな映画が私には合っている。

 最近のモヤモヤした気分を元気にさせるには タイムリーな放映に、私は久しぶりに

TVの前に座り、何も考えずボーっと映画を見る。

 亡き夫も宮崎駿監督シリーズの映画が好きで 「となりのととろ」から始まって

「千と千尋」まで どこか懐かしいような、夢を見ているような、わずらわしい現実を離れた

何とも心地よい場所へ連れて行ってくれる映画を二人でよく見た。

何も考えず、単純に童心に帰りながら見る事が出来るので

なんとなく心が ”ホッ!” とする。

          ・ ・ ・confident

 いろいろな場面で、画面を見ながら夫が発した言葉が聞こえてくる。

夫と二人で見ているみたいだ。亡き夫の写真を見ながら、私は時々夫に手を振る。

                      <・・・何度見ても、あきないよね!>

 

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