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2009年7月

2009年7月31日 (金)

・・・ながれる涙

長い病気療養が続き、看護に汗を流しながらも死別という辛い最期が待っていた人と、

 私のように何の前触れもなく、何が起きているのか考える暇もなく、死に別れる事に

なってしまった人と、流した汗の量と流した涙の量は同じだという。

どんな死別であっても死別の辛さは変わらないということなんだろう。

 

 肺がんで余命宣告された私の兄は、健康診断で異常を認められ、再検査で始まった

闘病生活は1年半。中でも最期の半年ぐらいが一番キツイ時だった。

歩くのも大変になってきたが在宅療養で、週一度病院に通院するというような生活が

続く。そんな中、仕事を持っていた義姉の頑張りは、大変なものだった。

それでも私たちには弱音を吐く事もなく、兄に対しても本当に良くしてくれていた。

本当に感謝している。

 いつかやってきてしまうであろう死別への恐れ、日を追うごとに進む病状に不安も

多かったに違いない。精神的にも肉体的にもかなりの負担があったと思う。

遠く離れた所に住んでいた私は、なかなか手伝う事も出来なく、何かあると母が

泊まり込みで看病に行っていた。母が行っても何が出来る訳でもなかったらしいが、

”病気の兄の話し相手になってくれることで、兄の心のが落ち着いているようです。” と

義姉は母に感謝してくれた。

 そんなに頑張っても病気の進行は止まらず、悲しい現実はやってくる。そして、

長い看護を続けた義姉に母に流れる涙は 留まることを知らないかのように流れ続けた。

・・・これまでのいろんな思いが涙となって流れ出る。

・・・これから先のいろんな思いが涙となって流れ出た。

<長い時間かけて、死別の覚悟してきたから大丈夫!> なんていうことはない。

       ・ ・ ・

 その翌年、兄と同い年の私の夫が逝ってしまった。

・・・私の夫の死は突然やってきた。

それでもたった二日間ではあるが、時間は与えれれた。

でもまさか、その与えられた時間が本当に夫と過ごす最期の時間になるとは

思ってもみないことだった。

 死別の覚悟などもちろん出来る訳がない。非情だと思った。・・・ウソだと思った。

どう考えても信じられない出来事だった。

 病院に行く、前の日まで普通の生活をしていたんだ、到底受け入れられるはずがない。

でも現実は、担架に横たわり動く事のない夫との帰宅となり、

そして二日後、棺の中で眠る夫が我が家の玄関から、

            もう二度とこの家に戻る事のない外出となった。

 死を受け入れようと受入れが出来なかろうと あふれる涙は留まりを知らず。

・・・ウソだと思っても涙は流れ続ける。訳が分からなくても 涙は流れる

        ・・・悔しいけど、本当のところは現実を理解してしまっているから。

  

       突然の死に対して、悔しい夫の思いが、悔しい私の思いが、

                        たくさんの涙となって流れ出た。

                       

2009年7月30日 (木)

思い出って何!

事あるごとに夫のいろいろなことが思い出される。

           街を歩いていて・・・、庭を見て・・・、車に乗って、

きっかけはいろいろ・・・。

  

 ホッと一息ついている時にも、突然思い出す。

何かに目が止まればそこに、亡き夫を思い出す。・・・楽しい思い出も、悲しい思い出も。

  

・・・あれから何年何か月?  過ぎ去った日々を数えることが私の中に増えた。

<去年の今頃は何をしていたかな?> と 過ぎ去った日々を振り返る事も増えた。

前に進みたいと思いながらも、まだ、まだ思い出に引きずられながら、過ごす。

 現在の状況が夢なのかもしれないと心のどこかで思う私に、

                 今に繋がる確かな過去があったと確認させるかのように。

・・・思い出をたどる事は確認作業かも知れない!

確かな過去の上に今がある。過去と現在は繫がっている、今は夢なんかでは無い。

夫と過ごした時間も夢なんかでは無い。

 

2009年7月29日 (水)

雨が降って走れません

今年はなかなか梅雨が明けません。

早く雨が上がらないかなー!

     ・・・ rain

最近なんだか走れないとつまらないと思うぐらいスロージョギングにハマってしまっている。

走っている間の心の開放感がいい。 

木々のトンネルをくぐり抜けるかのような、公園のコースもこのトンネルを超えたら、

どこか自分の目指す場所に行けるような気がして 気に入っている。

毎日、日差しが和らぐ夕方が待ち遠しい。

 

 走る距離もここのところ少し伸びてきた。

疲れたら、無理はしないでウォーキングにするのだけれど、以前は歩いていたところも

今は、スロージョギングで走り過ぎるようになった。

 一人で走っているので、スロージョギングの基本の話しながら走れるスピードを

保つために、頭の中でスロージョギングの自分のスピードに合う歌を歌いながら

走っている。

 なかなか快調、快調!

風を感じ、日頃のモヤモヤも汗と一緒に体からすべて流し、気分はすっきり!

心は走りきった達成感でさわやか。程よい疲れが何とも心地よい。

多少の疲れも、翌日に持ち越すほどのものでもなく、

結構いい感じのペースでスロージョギングが出来ているんじゃないのかなと思う。

  

・・・明日は走れるかな?suncloud

   

2009年7月28日 (火)

本音のところは

先の見えない未来を考えると不安で、怖くて、

今の自分の心細い思いを受け止めてくれるはずの夫はもう、私の隣にはいない。

 <どうしたらいいの?>

 <何をしたらいいの?>

楽しいこと、楽しい時間はその場限り。ほんの少し心が満たされても 又すぐに凹む。

楽しく思っても、こころの靄がすべて消え去ったわけではないから・・・。

 それでも何か心弾むものを求めて、いろんな所に出かける。思わぬところに何かが

あるかもしれない。どんな場面にも得るものはある。時に刺激は必要です。

・・・じっと考え込んでるよりはいいはず。

  think ・・・

<このままじゃダメだ!>と思い鏡の前で笑顔を作り、

”自分の人生あきらめちゃダメだよ!”

”夫はいつもそばにいるよ!”

と なんとか自分のモチベーションを上げる努力をする。・・・自分で自分を励ます。

  

 何もかもが現実の掴めるものではなくて、それでもその掴みどころのないものを

心のよりどころにして ギリギリのところで毎日を過ごしている。

・・・これが大きなおめめの本音。

     ・ ・ ・

それでも<自分はこれから変わっていける!> と 信じているのも本音。

<自分には出来る!> と 変に自信を持っているのも本音。

少々頼りないが、自分の強さを信じる・・・。

現実の中で形のある確かなものは自分だから。

流れにふらつきながらも、夫亡き後のこれからの人生は、自分が描く。

             力まない程度の「はったり」を支えに!

2009年7月27日 (月)

天使の贈り物

昨日意味あるコンサートが小さな会場であった。

友人が企画に携わっていたので、聞きに行った。

   notes

 本日の主役の少女は音楽家を目指して頑張っていたという。大学一年の時に

脳出血で突然倒れて、一時は意識不明の重体、その後回復したものの、

話す事はもちろん、手を動かす事も出来なかった。

 その彼女がリハビリの努力もあったのだろうが その後奇跡的な回復で、

動く左手でピアノの鍵盤を叩く事が出来るようになり、そして何曲かの演奏が

出来るようになって、今回のコンサートとなった。

 応援に、少女が倒れた時にリハビリ用にと友人が話を持ちかけ、その知り合いの

調律師の方が考案した、ハープに似た卓上で弦を指で弾くオリジナル楽器の演奏も

総勢20人余りで奏でられた。

 notes

   ・・・ 彼女の演奏が始まる。

 指が動くようになったとはいえ、指にはあまり力が入らないということで

線の細い音で始まった。それでもその音色は会場に響いてきた。・・・優しい響きだった。

          notes心に響く音色だった。

              notes一音も聞き逃したくないような音色。

 その音色は、頑張っている彼女に天使の贈り物として与えられたような、

純粋で、やさしく輝くものでした。

ゆっくり、ゆっくり一音ずつ、生きる歓びを訴えるかのような演奏は

きっと、会場のお客様全員の胸に響いたことでしょう。

 

 オリジナルハーブの演奏が続いて、始まる。・・・優しい音色だ。

愛で出来上がった楽器だけに、聞く人の胸を打つ。20数名の合奏はハープといえども

迫力がある。弦の弾かれる音が心地よく響く。

 まだ、作られたばかりで、一般に普及していないらしいが本格的なハープと比べて、

手軽に卓上で演奏出来ることで、これから広まっていくのだろう。

 

・・・心洗われる、夏の午後のひと時、帰りに、彼女が一生懸命書いたという、

”ありがとう!”と書かれた短冊を頂いて帰って来た。

まだ自由に動かない手で書かれた文字には、

一文字ごとに精一杯の彼女の思いがこめられている。

”こちらこそ、ありがとう!”

短冊を机の前に飾らせて頂きます。

  

   ”あなたの生きる歓びは、みんなの生きる歓びに!”

   ”あなたはここに生きています! それはすばらしいこと”

2009年7月26日 (日)

ちょっと楽しい!

続けているスロージョギングとウォーキングのおかげか、

最近下半身デブも少し解消されてきて、今までのジーンズがブカブカになって

ずり落ちそうになって来たので、今まで身につける事の出来なかった、憧れの

スキニータイプのジーンズを購入しようとお買いもの。

・・・以前からちょっと目をつけていたジーンズがあるショップに直行する。

 ちょうどいいサイズの物は、やはり気持ちがいい。 

試着室の鏡がこれまた、細く映る鏡らしく、<なかなか決まってるじゃん!>なんて、

誰も言ってくれないから せめて自分だけでもと、自分で自分をほめる。

 でも、元の体形に戻ったらはけなくなっちゃうかも?

・・・今のうちに楽しまなくちゃ!

     そういった意味では、おしゃれもハラハラ・ドキドキもの。

そんな事を思いながらも購入したジーンズに

<何をコーディネイトしようかな?>なんて、心は 少しウキウキしている。

                    ・・・なにかちょと楽しい。

 

今日は雨が降ってきて走れないけど、

体形維持の為に明日からまた、スロージョギングとウォーキングを楽しまなくちゃ!

2009年7月25日 (土)

耳慣れない音の並び

新しく入ったコーラスで頂いた楽譜のチェックをする。

 20曲も一度に渡されたのでなかなか大変だけど、半分以上は知っている曲だったので、

自分のパートの音とりだけすれば何とか歌えそう。

 残りの曲の音とりをする。そのうち2曲で引っかかってしまった。なかなか音程が

取れない。その中の一曲が日本歌曲「九十九里浜」(平井康三郎作曲)。

 聞いた事は過去何回かあると思うけど、全く記憶に残っていない。

少しずつ音を拾っていくが、どうも曲の音運びが耳慣れなくて、声に出して見ると

不安定になってしまう。

 自分の中の流れでは、次はこの音になるだろうと予測したところに楽譜の音符が

入っていない。

 (芸術性に富んだ作品なのだ、もちろん私の乏しい音楽性が通るはずはない。)

何回やっても自分の乏しい音楽の固定観念が崩せなくて、

                    自分の予測した音に行ってしまう。

<その音じゃないんだよ! この音に行くの!>

頭の中で理解しても、口から出てくる音が違う。 脳の指令回路が混乱を起こしている。

 

 ピアノを弾きながら、何度も繰り返し頭に叩き込む。

繰り返しやっていくうちに、曲の流れが自分の中に納まってきた。スムーズに音が拾える

ようになってきた。子供の頃のように柔軟な頭だったら、こんな苦労をしなくても、

きっとすぐに歌えるようになるのだろう。・・・変なところで頑固で困る。

 全体の音とりが出来て、何とか歌えるようになって、通しで何度か練習する。

耳慣れない音の運びも頭の中に正しくインプットされて来た。

                取り合えず自分のパートは何とかいけそう。

 

<良く聞いてみれば、味わいのあるいい歌なのね!>

自分の狭い固定観念の中にだけ、居るという事がどれだけ素晴らしいものと

出会えるチャンスを逃していたのかを知った気がした。

2009年7月24日 (金)

道はどこへ向かうのか?

Lowからスタートで一歩一歩前へと歩もうとする私の道は

いったいどこへ向かおうとしているのかな?  ・・・自分でもあまりよく分からない。

 

 とりあえず毎日を精一杯出来るだけの事をして過ごしている。

ボーっとジッとしている時間があまりない。と言うかボーっとしているとあまりいい事を

考えないので、そうしていたくない。

    次から次へと何かやることを探して、一日が過ぎていく。

 

 「この道はどこへ向かおうとしているの?」 と 最近、時として疑問に思う事がある。

考え方によっては、こうして疑問が出てきた事は、それだけ心の余裕が生まれてきた

のかもしれない。

<どこだっていいんだ。自分が今、充実を感じられれば> と

まだ、夫の死による精神的空白・物質的空白を埋める事に精一杯の私から、

<何がしたいのか?・どうなって行きたいのか?>

考えられるようになった自分になったのだから。

   

 そうはいっても、先は何も見えないし、ただ、何か目標に向って進みたいなと漠然と

考えているだけなのだけれど。出来る範囲で、思いつくいろいろな事に挑戦して、

その中から、自分の目指す道を絞って行こうと思う。

  

・・夫との死別!

 それは結婚していれば、誰にでも訪れることで、何も私だけに訪れた

特別なことではない。辛くても悲しくてもそれが生かされている自分に与えられた試練で、

生かされている者はきっとその試練を乗り越えられると信じて

新たなる自分を作りだしていけばいい。

 笑顔で生きて、楽しい毎日を過ごすことを一番望んでいるのは・・・亡き夫なのだから。

 ・・・そしてこの先、いつか笑顔なるかもしれない私を許して欲しいと願う。

2009年7月23日 (木)

呼吸

歌を歌う時の複式呼吸、スロージョギングをする時との呼吸と 私の日常の中では、

呼吸を意識することが多い。そこで、ふと、こんな事を思い出した。

  

五木寛之さんが書いた「林住期」という本に書いてあった一節。

>呼吸は生命の根幹

 「イキル」    生きる   leftright  死ぬ

 「イキヲスル」 息をする  leftright  息絶える

 「イノチ」  生命  =  「イキノミチ」 息の道

 生存の土台が呼吸、呼吸法の大切さ

  「呼吸を感じつつ呼吸する」

 複式呼吸をする時に下腹部に意識を集中させるのも大事だが、

肺の作用も忘れてはいけない。

 肺の隅々まで呼吸した吸気が行き渡り、吐く時にはすべての部分から余すところなく

呼気が吐き尽される事が大事。

 「生きている自分」に気づき「より良く生きる」

 -ブッタの教えー

  「息を吸う時には、息を吸っている自分に気づこう(意識を集中させよう)。

   吐いている時には吐いている自分に気づこう。

   心を感じつつ、心を静めて呼吸をしよう。

   心を安定させ、心を自由に解き放つように息をしよう。

   そして無常を感じ、生の消滅を感じ、自己を手放す事を 意識しつつ呼吸しよう」

   

 * 生まれた時、最初の呼吸は呼気、”オギャー!”と吐く息。

   死ぬ時、グッ!と息を吸い込んでそのまま息絶える。

  吐く息が生命、息絶えるとは吐く息が無くなった時、死ぬ事を「息をひきとる」という。

  

 こんな内容だったと思うが、数年前に読んだので引用が間違えてるかもしれない。

これを読んだ時、とても納得しながら読んだので、心に残っていた。

 夫の最期が迫って来た時

”吸ってー!、吐いてー!” と 私は夫に声をかけた。

”息をしっかり吐いてー!、フーって吐いて!”

その時の私の頭の中には上記の本の中のこの呼吸の話があった。

”いい!・・・息を吸ったら、しっかり吐くんだよ!

  ・ ・ ・

 イキル源である呼吸。

      深呼吸で心を落ち着かせて、ゆったりとした呼吸で

            毎日を穏やかに過ごせたらいいなあ!と思う。

 

2009年7月22日 (水)

亡き夫には”ありがとう!”を

毎朝、お仏壇にコーヒーをお供えして合掌する。

<今日も良い眠りを与えてくれてありがとう!>

 お仏壇にコーヒーもおかしいのかもしれないけど、亡き夫はコーヒーが

大好きだったから、毎日欠かさずお供えしている。

 そして、良く寝れてさわやかな朝が迎えられた事に感謝の言葉を心の中で言う。本当は

<今日も一日いい日でありますように!> と 言いたいところなんだけど、

仏様にはお願い事してはいけないと以前どこかで聞いた事があったので、

<今日も一日、いい>まで言ったところで、

そうかそうかと、<日・・・>を<眠り・・・>に変えて

              <今日も一日、良い眠り与えてくれて・・・>となる。

 

 仏様にお願いしてはいけないというのは、本当のところはどうか知らないけれど、

何となく、耳にしてしまうとそう出来ないものなのね。

 

 困った時に<どうしよう?>と聞く事はするけど、

        <なんとかしてください!>とは絶対に言わないようにしている。

だって、何とかしなければならないのは自分なのだから。

そうなると、<見守っていてください!> も お願いごとになるから言えないかな?

                               ・・・なんて思ったりして。

 仏様になってしまった夫は、私があえてお願いするまでもなくいつも見守ってくれている

と思う。 だから私は、毎日をしっかり生きていけばいいのよね。

困難に出合った時も、脱出出来る道は絶対にある。

そう信じて行動していけば、乗り越えられる。

そこには、きっと見守っていてくれている亡き夫の導きがあるのだろう。

 やはり、亡き夫・仏様には 「ありがとう!」 と 感謝の言葉をささげたい。

2009年7月21日 (火)

声なき答えは、自分の中に!

昨年、突然の病で逝ってしまった夫の声は、もう再び聞く事は出来ない。

困った時にアドバイスしてくれる夫の声はもう二度と、私の耳に響く事はない。

  ・・・無性に悲しくなった時、

    どうしようもなく切なくなった時、

    迷いがあった時、夫の声が聞きたくなった時、

心の中で、私は夫に訴える。一生懸命自分の気持ちをぶつける。

そして、夢中になって何かをする。

・・・思いきり泣く。何も考えずウォーキングする。

  スロージョギングで汗をかく。仕事で頑張る。

一生懸命何かをしていると「気が付くこと」がある。

この、「気が付く」というのが 実は夫からのメッセージ!(私はそう思っている)

こう考えればいいんだ。こうすればいいんだ。

亡き夫からの、答えは声なき声で、私の心の中に送られてくるんだ。

”こう考えるといいよ!、こうやるとうまくいくよ!”

 答えが来るまで時には、何日も何日もかかる事もあるけど

一生懸命いろんなことにぶつかっていけば、きっと何かに気が付くはず。

  

それは・・・亡き夫の声なきメッセージ!声なき答えは、自分の心の中に!・・・響く。

2009年7月20日 (月)

久々の庭仕事

少し早起きをしたので、お庭を手入れしよう!

         朝のあまり日が差していないうちが勝負だ。

 最近、雨と暑さで庭仕事が少しおろそかになっていた。少し油断していると、

雑草があちこちから、”自分はここにいるよ!”と主張をしている。

日課としていた芝生の草取りもここのところさぼり気味だったから、

雑草もチャンスとばかりに!

 

sun 少し、気温が上がると虫も元気になってくる。

<参ったなー!> モッコクにはハマキ虫がいっぱい。薬の散布が遅れてしまったかな?

くっついてしまった葉っぱの中には、茶色の1ミリ位の細さで、1~1.5センチの長さの

ミミズを小さくしたみたいな虫がいる。

葉は蜘蛛の糸みたいなもので、しっかり張り付いていて、そのままでは、中まで薬が入り

そうにない。・・・直接葉っぱを取ってしまった方が手っ取り早い。

 ハマキ虫の付いた葉っぱをすべて取って、

予防の為にオルトランの水溶液を水で薄めて、スプレーで散布。

周りの木にも、散布しておく。これでしばらくは大丈夫だろう。

 

 さあ、次は草取り。芝生の雑草取りからね。

大きなものは10センチ近く伸びている。でも、雨で土が湿っているので、根まで抜き易い。

座り込んでみると 小さな雑草もあちこちに。 こつこつと、一本づつ根気良く抜く。

・・・湿度が高いので、うつむく顔から、汗が滴り落ちる。

少し、日が差してくるとsun気温が一気に上昇。

<あー! もう限界!>

  

 垣根の白樫の剪定は、先週イラガの幼虫を見つけた時にすべての木を確認しながら、

イラガの付いた葉っぱと 込み入った枝を剪定したから、今回は大丈夫。

・・・暑さに負けて、本日の庭仕事はここで終了!

2009年7月19日 (日)

無性に切なくて!

notes昨日コーラスの練習をMDに録音してきた物を聞く。

帰ってから聞く時間がなかったので、今日聞いてみた。

  

 初めは声が出ていなかったけれど、30分後くらいから、曲に乗ってきて、

みんないい感じになってきている。

<なかなかいい感じ!>と、自分で褒めている。

      ・・・自己満足か?

以前夫が生きていた時には、私がこうしてコーラスの練習のMDを聞いていると、

夫もいっしょに聞いてくれて、感想を言ってくれた。

 机の上の夫の写真に語りかける。

<どう?今度のコーラス!人数少ないけど いいハーモニーも出てるでしょ!

                           この曲、いい曲だと思わない?>

   ・・・微笑みの写真の夫は、何も答えてくれない。

なんだか無性に悲しくなった。私が楽しく過ごしてきた感動を夫にも伝えたかった。

   ・・・切なかった。声を上げて泣いてしまった。

<夫に聞いてもらいたかったよ!>

     ・

     ・

そんな事言っても・・・ダメか・・・think

でももっと上手に歌えるようになったら、何か言ってくるかもしれない。

とりあえず、納得のいく所までやってみよう。

 さあ!、上手く出来ていないところを、チェックして、notes練習!、練習!

一生懸命やって、真剣に取り組んで 自分が何かをつかんだら、

きっと夫の声が聞こえてくるだろう。

 夫が逝ってしまった隙間を埋める為にだけで、歌っているうちは、

夫からのメッセージが 私に届く事はないのだろう。

2009年7月18日 (土)

女性コーラス初練習

先日見学に行って来た女性コーラスに入団することにして、初めての練習に行って来た。

以前から所属している女性コーラスは住まいとは別の市にあるので、練習に行くのも

なかなか大変で、毎回練習に参加するという訳にはいかない。今度のは近くなので練習

に行くのも気が楽。 ここで、少し頑張って練習して、自分を磨いてみようと思う。

 現在は入っている所と比べると人数は半分の少人数。

自分がちゃんと歌わないと上手く出来ていないところがあらわになるから、自分を磨き、

コーラスの勉強をするには、適当な人数だと思う。

    * * *

今日は入団後の初練習。

先日見学の時に、何曲かの楽譜を頂いたので、少し練習はしてきたが、うまく声が

出せるだろうか。少し緊張した。

・・・時間になっても、なかなか集まりが悪い。

(みんな仕事を持っている人みたいから、いつもこんな感じらしい)

まだ、3人しか来ていない。そこで先生が

 ”みんなが来るまで 3人で輪唱をしてみましょう。”

と、簡単な輪唱曲を教えてくれ、発声練習の後、輪唱をする。

           緊張がほぐれて、変な力が抜け、声が出しやすくなってきた。

 そんな事をしているうちに、人数が揃い曲の練習が始まる。

<しまった!眼鏡を忘れた> 音符は見えるのだが、歌詞が字が小さすぎて読めない。

初日の大失敗!・・・みんなが歌うのを聞いて歌詞を覚えて歌う。

 ことばは歌い方、口の開け方、発声に影響するので、思うように歌えない。

次にどのことばが来るのか 歌詞が分からないというのは歌を歌う上で結構致命的。

 それでも繰り返し練習するうちに声も思うように出せるようになって来た。

音が重なっていく、ハーモニーの快感を味わう事が出来楽しく練習を終える事が出来た。

何とかこの女性コーラスで、自分の居場所を見つける事が出来そうだ。

2009年7月17日 (金)

何気ない一言にも、心は反応!

 夕方のウォーキングを終えて、家に帰る道で、

前を歩く、子供をベビーカーに乗せ歩く女性を追い越した。

一時間のウォーキングとスロージョギングの程よい疲れが心地よく、今日も気持の良い

汗をかいて、気分良く、足取りの軽い私だった。

             ・・・後ろになった女性の声が聞こえる。

”あっ!お父さんだ!”

”○○ちゃん!お父さんが帰って来たよ!”

その言葉に私はすぐに反応してしまった。

 <あっ!○○○だ!>と、私が夫の帰りを目にする事は、もう決してないんだなー。

遠くに夫の運転する車を確認する事はもうないんだ。

・・・なんだか急に切なくなった。一瞬にして、先ほどまでの気分の良い自分ではなく、

喉の奥の方に こぼれ出なかった涙が流れていくのを感じている。

    

 何気ないちょっとした言葉なのに、私はまだ反応してしまう。

すぐに気分転換は出来るけれども、その度ごとに夫の死を確認しているのかもしれない。

    ・ ・ ・

 前から来た車がこちら側のウインカーを出し、私の後ろを歩く親子の横で、停車した・・・

 

 

2009年7月16日 (木)

ヴォイトレ個人レッスン

初めてヴォイトレの個人レッスンを受けた。

今までずっとヴォイトレはやってきたけれど、10人位で受けていたので、個人的に

いろいろな注意を受ける事はあまりなく、少し物足りない物を感じていた。

自分は果して先生の言うように出来ているのだろうか?

いま一つ自分の歌い方に納得出来ない。そこで、今回思い切って個人レッスンを受けて

みる事にしたという訳。

 一人で先生の前に立つと、少し緊張する。自分の声がとても線の細い物に感じた。

悪い所があらわに出てくる。細かい所まで指摘を受けた。

  

 声を出す時の口の開け方、喉の開け方適切なアドバイスが受けられた。

口はただ大きく開ければいいというものではなく、開け方にも一つのポイントがある。

姿勢は自分ではいいと思っていたけれど、体の中心が少しぶれているといわれ、鏡の前

で、歌う姿を見る。 確かに中心が保たれていないし、肩が水平出なく少し右が下がって

いる。美しい姿勢がいい声を出す。良い姿勢がまっすぐ前に伸びて行く声を出せる

というから、気を付けて歌おう。

 しかし、そう思うと変な所に力が入ってしまい、なかなか上手く出来ない。

良い姿勢は習慣になるぐらいまでしないとうまく歌えるようにならないから、

毎日気をつけようと思う。

 練習時間が終りに近くになって、ようやくコツが掴めてきた。帰りの車の中で復習

しながら帰り、家に帰り、忘れないうちにと、先生からご指摘を受けた所をメモっておく。

  

 体にいい声を出す方法を覚えさせるには、やはり練習しかない。毎日10分でもいいから

発声練習を日課に取り入れよう!

          ・・・気持ち良く歌うためには、なかなか大変だ。

2009年7月15日 (水)

ともだち

何人かの女友達と話している時に、誰かが

”何かを相談できる女友達って、大事よね! 最近、ブログとかで自分の悩みを書いて

 吐き出している人がいるみたいけど、それってどう? 解決出来ないんじゃない?”

”そうよね!やっぱり人と接して話さないとダメよね!”

と 会話している。

<もしかして、私の事かも?>いや、彼女たちは私がブログを書いている事は知らない。

一般論として言っているだけだ。

  

 もちろんその場で私は反論する事もなくただ聞いていた。

今の私のように人に言えないから、言える人がいないから自分をブログにぶつけている

いる人もいるんだ。

・・・でも何故か私は この人たちに その気持ちを理解してもらおうとは思わなかった。

  

 ブログは彼女たちが思うよりずっと奥が深いのだ。

やった事のない彼女たちにはすぐには理解できないかも知れないけど、ブログは単なる

愚痴のはけ口ではない。誰かが読むかもしれない緊張感の下で、自分の気持ちを

出来るだけ正確に伝わるように表現するには、どんなことばを使ったら、どんな表現を

したらと思考回路を巡らせる。その事により、自分自身が自分の中で、

いろいろな感情を分析、整理が出来る良さがある。

それによって簡単な問題ならば、書きながら自分の中でその場で解決できる。

解決の糸口を見つける事がある。

 自分の考えについて、誠にありがたい事に コメントやmailも寄せてくれる人がいる。

励まされたり、応援してもらったり、共感してもらったり・・・etc.

 ・・・ confident

 自分の悩みや訴えたい事をともだちに相談できない場合だって、いっぱいある。

ともだちって結構微妙な関係のところがあるんだ。

と・も・だ・ち・にもいろいろあるかも知れないけど、夫婦ならともかく友達というのは

”そんな事相談されたって、そこまで私はあなたの人生に責任はもてないわ!” と

ことに重い内容の時は、思うのではないだろうか?

         (すべての友がそうだとは思わないが・・・)

また、近しい友で たとえその内容を理解して相談を受け入れてくれたとしても、

後で 自分がその友の前で、<今迄のように普通のと・も・だ・ち・>として

接していられるかというのも考えなければいけない。

それを考えると遠くに住んでいるあまり会う事の出来ない友達の所に行って

話を聞いてもらうという手があるのかも知れない。

 しかし私としては相手にそのような負担をかけるより、

友達には自分が安らぎを求めたい時に、一緒に楽しんでくれる相手として

取っておいた方が無難かなと思う。

 

逃げ場の一つは用意しておかないと、心がパンクしてしまうからね!

自分のこの辛い状況も悩みも 時にはそれをまったく何も知らない人と接して 

安らぎを得たい時もあるんだ。

  

 ・・・こんな事を考えていたら、やはり夫婦という存在のありがたさが蘇る。

何でもストレートに相談出来て、アドバイスしてもらって、助けてもらって、

時には楯になってもらって・・・。

 夫の存在がどんなに私を支えてくれていたのかと、亡き夫に感謝の気持ちが募る。

2009年7月14日 (火)

知らないという事は高く付く

先日画像付きメールがうまく送れなくて、何回もやり直した事件を

ブログ(今日は厄日か)で紹介したが これが恐ろしい結果をもたらした。

 携帯会社から携帯メールが入る。

”急に使用料が高額になりましたので、確認を!”

というのだ。早速、PCで確認。

 何という事だ、金額が一気に3万円を超えている。私は自宅にいる事が多いので、

あまり携帯を使わない方なので、契約も料金の一番安いSSバリューというもので契約。

・・・それでも、無料通話分が余って、翌月繰り越しになるくらい。

だから毎月2千円弱しか支払っていないのに、3万円とは?

          いったい何か月分?・・・なんだか、詐欺に逢った気分。

 慌てて、携帯ショップに相談に行く。

”こんな金額は支払えません、どう言う事でしょうか?”

”何かの間違いではありませんか?”

・・・知らないとは恐ろしいこと!

2月に新しくしたこの携帯は以前使っていたものよりカメラの性能がいい、その為、

画像をそのまま送ると情報量が多くなり、バケット代が高くなってしまうというのだ。

画像ファイルを縮小して送らないと相手方も、受領枠の不足で、受け取れないという。

やっと、納得出来た。

<それで先日画像の添付ファイルが削除されたのか!>

以前の旧式の携帯カメラの時とは訳が違う、情報量が倍以上ということだ。

画質の良い携帯に変えたのをすっかり忘れていた。

  

・・・それは分ったけど、料金はどうなるの?

料金プランをすぐに変更して、パケホーダイ ダブルというのにすれば、

来月はいったん高い料金を支払わなくてはいけないが、その次の月から、

多く払った分を相殺していってくれるサービスがあった。この戻しのサービスは

切り替えたばかりでよく知らなかった私のような人の為にあるという事で、

初めての人に限りのサービスだそうだ。

<あー!助かった。>大損するところだった。

パケホーダイ ダブルにしたから、ここから先は

      使い過ぎても最高額が一定になるから安心していられる。

 

知らないという事は高く付く、いい勉強をさせてもらった。

ボタン一つで何万円だもの、携帯触るのもいやにる。昨日は正直携帯を持つのは

やめようと本気で考えた。中途半端な知識では、こんな失敗もあります。

               coldsweats02 少し、冷汗が出ました。

 

2009年7月13日 (月)

思い出す「初盆」のこと

お盆に入ったが、我が家は旧盆で行うので 8月。

しかし、お寺のお盆の行事は 7月に行われるので15日は お施餓鬼会に行くことに

なっている。

 

 思い出すは昨年の夫の初盆。私の住む地域の初盆は結構、派手に行われる。

初盆の祭壇も業者に頼むと葬式の祭壇と変わらない位のが設置される。

お供えもので送られてくる籠盛りも大げさな花飾りのついた高さ1メートルぐらいの物が

届く。せまい部屋では、祭壇と届けられたお供え(籠盛り)でいっぱいになってしまうほど。

籠盛りがたくさん届く家では 庭にテントを張って並べる家もある。

  

 当然、盆義理といってお線香を上げに来て下さる方も葬儀ほどではないが多い。

盆義理に来て下さる方は、黒の正装で来るので、この地域は、お盆の時期夕方になると

黒い服を着た人たちが街なかをウロウロしている。

          ・・・結婚してこの地に来たばかりの頃は、その様子に驚いた。

 お返しも葬儀の時の香典返しのようなものを多めに用意しておく。

来客数も多く、お茶の接待まで出来ないので、お茶のペットボトルやジュースを

それに付けてお渡しする。

 もちろん和尚様の御経に参列していただく親族には それとは別に引き物を渡し、

食事の席を用意しする。

 どんな祭壇にするかから始まって、親族への案内状、引き物の手配、お食事の手配

その他・・・。 やらなければならない事が山ほどあって大変だった。

8月のお盆に向けて今位から用意し始めた。

 

 祭壇は4月に「心無いセールスマン」のブログでも書いたが 自分で我が家にふさわしい

物を作ることにした。

夫が亡くなって、夫の為にいろいろな事をする事が無くなって寂しかったが、

お盆の支度をしている時は、久しぶりに夫の為にいろいろしてあげる事が出来て

変な事を言うようだがうれしかった。

 祭壇のお供え物、亡き夫の好きだったものをいっぱいお供えしよう!

”何がいい!!”

      お酒、ビール、枝豆、落花生、チョコレート・・・

”お花は何がいい?”

”お庭のミソハギは今年も花を付けたからお供えするね!”

仏様にお供えする御膳も心をこめて作り、仏様が乗って来る、牛や馬もいつも亡き夫が

作ってくれていたようにヘタの付いたなすときゅうりで丁寧に作る。南天の葉っぱの耳、

小豆の目、しっぽはネコジャラシ(エノコログサ)足は乾燥した葦。

それぞれの位置に竹串で穴を開け、刺し込む。

これを作るのはいつも夫だったから、

       ・・・この出来栄えに、あちらからOK!が貰えたかどうか(?)。

 

何もかも一人でやらなくてはいけなくて、忙しく、大変なこともあったけれど、

夫の為に何かをしてあげることが出来るちょっぴり寂しいうれしさが力をくれた。

 こんなことでしか、夫に恩返しが出来ないのは辛いところではあったけれど、なんとか

無事にお初盆を終わらせることが出来た時には、安ど感を覚えたのを思い出す。

2009年7月12日 (日)

スロージョギング効果

スロージョギングをやり始めて、そろそろ一か月。

雨の日を除いて、ほぼ毎日ウォーキングと組み合わせて続けている。

  

 まずは簡単な全身ストレッチをして、足の屈伸運動。

水分補給は絶対必要だから、スポーツドリンクを持って、汗拭きタオルを首にかけ、

出発。

初めはウォーキング10~20分、

その後 30~40分スロージョギングして又、10分位歩く。

そして、スロージョギングを20~30分、最後にウォーキング20分位で終了。

これは時間がある時の私のフルコースメニュー。  

                  ・・・たっぷりいい汗かきます。

 でも、こうでなければと決めている訳ではなく、疲れたら歩く、水分補給をする、

その時の体調次第。

 スロージョギングは私の場合一年前から続けているウォーキングで体力が付いたのか、

あまり心臓がドキドキとはならないのですが、ジョギング中に心室細動で倒れるなんて

いうのを前にTVで目にした事があるので、気をつけて 決して無理をしないように

している。健康の為のスポーツ中倒れてでは、話にならないので、

とにかく無理しないで、水分をまめに取るを基本に!

  

 家に帰ってから、軽く足腰のストレッチをして、体を整えて疲れを癒しておきます。

 スロージョギングの効果は?

数値として効果があったのは、体脂肪減。

26%ぐらいあった体脂肪は、今22~24%に下がった。

でも体重は1キロぐらい増えたかも!・・・脂肪に変わって、筋肉がついたのだろうか?

でも基礎代謝はUP!

・・・しかし、これらは副産物で、心が元気に!が 一番の効果かもしれない。

2009年7月11日 (土)

未来はまだ、喪っていないよ

何に出ていたのか忘れてしまったが、死について書かれていたものに、

  ・配偶者の死はあなたの現在を喪う事

  ・親の死はあなたの過去を喪う事・・・

とあった。私の現在、あの時だから一年半前のあの瞬間、夫と共に過ごした私の現在を

喪(うしな)った。確かにそう考える事は、理解しやすいのかも知れない。

 突然、今を失った私はかなり動揺し、すべてが喪われたように思ったけど、少し落ち着

いたところで考えてみれば、未来はまだ、喪っていないんだ。

  

 夫と共に描いた未来は喪ってしまったけど、修正すれば、私の未来はまだこれから!

新しい自分の道を見つける事は、容易ではないけれど 夫の死を体験した私だからこそ、

歩ける道が きっとあるだろうと思っている。 ・・・いや、道はもうすでに開けている。

 こうしてブログを書き続けている私ですが、本当は子供の頃から国語が苦手、

作文なんてとんでもないという人間。

 それが今はこうして、今年2月から書き始めたブログ記事も160件を超える。

(つたない文章で、うまく自分の気持ちや言いたい事が伝わっているかは

                                 不安なところですが・・・)

 夫の死が無かったら、こんな私はいなかったと思う。あの時の私とは違う道を、

すでに歩き始めている。・・・他にも気が付かないところで歩みが始まっているのだろう。

 

 現在が喪われたとしても、私には未来がある。

夫と一緒に模索しながら歩く道は歩けないけれども、今度は私が夫に

<こんな素敵な道を私が見つけたんだよ!>と案内しながら、私の中の夫と共に歩ける。

亡き夫は、<僕じゃぁ、見つけられなかった道だね!>

                なんていいながら微笑みを返してくれるかもしれない。

亡き夫と共に歩けなかった分のいろんな道を

<案内してあげよう!>そしたら もっと喜んでくれる。

          そう、彼方の笑顔がまた見たいから・・・!

 

 今までの自分の世界だけでなく、もう少しだけ殻を破って  

                         挑戦していこうかなと考えられるようになった。

2009年7月10日 (金)

今日は厄日か!

朝から携帯の写メールが送信できない。

仕事でサンプルの写真を携帯で送ろうとしたのだが、受取側で添付ファイルが

削除されてしまうという。寝ぼけていて、やり方を間違えたかな?と思い、

                再度挑戦!・・・ダメだ!

また、添付ファイルが消えてしまうという。

 何で?・・・確認の為、取扱説明書を読んでみるがやり方は間違えていない。・・・何で?

それではPCでメールする事になり、TELでアドレスを聞き、送信!

・・・今度はメールが送れない。

アドレスが違っているのか? ドットを入れ忘れたかな?

                 再度挑戦!・・・またダメだ!

今日は厄日か?

アドレス確認の為、お客様のPCから私の携帯にアドレスを送ってもらう。

しかし今度はそれが届いてこない。もう、イライラが絶頂に到達。

再度送ってもらって・・・。あー!疲れるー!

 アドレスは電話で聞いた時に、(・・tu・・)だと思ったら、(・・tsu・・)だった。

同じ(ツ)なので間違えていた。やっとの思いで、要件を済ます事が出来た。

どうも、お互いに今日は調子が悪いらしい。

  

 お恥ずかしいような初歩的ミスが重なって大騒ぎ。

こんな事は初めてだ。重なる時には重なるもの、今日は慎重に行動した方がよさそうだ。

・・・気を取り直して仕事再開。慎重に、慎重に。仕事はミスもなく無事終了。

しかし、最後の落ちがまだ待っていた。

仕事が終わって、明日からの仕事の材料を仕入れに行く。

買い物を済ませ、家に戻って数量を確認すると、私が申し出た数量より少ない。

お金は申し出分支払ったのに。

<これじゃあ、明日の仕事が出来ない!> もう一度行くことに・・・あー何という事だ!

       

 ついてない日って、あるんだね!

本当に今日は厄日でした。

   ・・・でも、軽いミスだけで、事故に遭うようなことにならなくてよかった。

                 今日はまだ終わっていないから まだ、気をつけなくては!

 

2009年7月 9日 (木)

拓郎さんがダウン!

吉田拓郎さんがダウンしてしまい、心配です。

コンサートツアーが始まって、<拓郎さん、元気になったんだ!>と

安心したところだったのに、どうしたのかな?

  

 拓郎さんは私の3年前に亡くなった兄が大ファンで、その影響を受け、 私も拓郎さんの

ファンになった。そんな訳で、私も拓郎さんの歌はほとんど知っている。

 兄が我が家に遊びに来た時には、亡き夫と3人でギターを弾きながら、拓郎さんの歌を

歌いまくった。3人で、次は僕、次は私とギターの取り合いcoldsweats01

    ・ ・ ・

 兄は4年前、奇しくも拓郎さんと同じ病肺がんに侵された。

拓郎さんもガンを克服して元気になったんだから 兄にも”大丈夫!元気になるよ!” と

励まし続けた。兄の誕生日の日、お見舞いに、拓郎さんの

 ”いくつになっても、Happy birthday!” が 入ったCDを持って行き、

とても喜んでもらえた。兄のベッドサイドには、いろいろな人たちから頂いた、

拓郎さんのCDやDVDがいくつもあった。

 兄の病を心配していた母にも私は兄にあげたのと同じCDを渡した。

 ”兄もこれを聞いて頑張っているから、お母さんも聞いてみて、

                       いい曲はいっているよ!”と 私。

<拓郎さんも同じ病気で元気になったんだから>と 母は兄の回復を祈るような気持ちで

毎日聞いていた。 ・・・今ではすっかり拓郎さんのファンになっている。

今回のコンサートツアーも見に行きたいと言っていたほどである。

  (チケットがどこの会場も即日完売で 手に入れる事は出来なかったけど)

 

 ・・・3年前になるのだろうか、

      静岡のつま恋で吉田拓郎伝説のコンサート復活があったのは?

 あの時、兄はもう余命宣告をされてしまう状態にまで、病気が進行してしまい、

コンサートに足を運ぶことは出来なかったが、NHKBSHiビジョンで放送されたのを

見ていたらしい。きっと、元気をもらったことだろう。

当然私もテレビを見ながら、

 <兄はみているかな、これを見て元気になってくれるといいな!>と祈っていた。

  

 いつも元気をいっぱい与えてくれる、吉田拓郎さん。

元気になってまた、あのハニカミ笑顔を見せてください。

                でも、決して無理はしないでくださいね!

2009年7月 8日 (水)

新たな挑戦!

ヴォイレの先生が指揮をしている女性コーラスを見学に行って来た。

              メンバー11人と少人数の女性コーラス。

 このコーラスのことは毎年9月に行われる私の住む市の合唱祭で知っていた。私が

このグループでやってみようと思った理由 第一は、ヴォイトレの先生が指導している事。

第二は、人数が少ないがそれなりにいいハーモニーを出していた事。

 人数が少ないという事は自分をごまかせない。他人に寄りかかることなく自分自身を

鍛えるにはいい。それに私はあがり症で、人前で自分を出すのが苦手。

これを何とか克服したいとの挑戦!

 今、所属しているコーラスグループの半分の人数の中で自分をどう出せるかが、

楽しみです。少ない人数で 舞台に上がった時の自分がどう実力を発揮できるかが

勝負所といったところでしょうか。

 新たな挑戦で果たして自分を変える事が出来るでしょうか?

                取り合えず、いいと思った事は何でも挑戦です。

2009年7月 7日 (火)

梅雨の晴れ間

梅雨時のウォーキング、スロージョギングはなかなか決まった時間には出来ない。

仕事を終えて、夕方涼しくなってからが理想なんだけど、今はお天気次第です。

雨が上がっている時間で、仕事のやりくりが着く時は、時間に関係なく走りに行きます。

 この時間を逃したら、また雨が降って来そうと思うと

<今、行かなくては!>とウズウズしてきます。

               ・・・仕事を切りのいい所まで進めて、準備です。

 何なのでしょう、<仕事より大事?>なんて自分でも笑ってしまいます。習慣になると

やるべき事をやらないと何となく落ち着かない。変に律義な性分の私です。

raincloudsun

 しかし、梅雨の晴れ間のウォーキングには楽しい出会いもあるのです。公園の

池の周りのコースを回っていると、何やらザワザワ音がする。

踏みしめた足元を見てみると、無数の蟹の赤ちゃん。

                   あれあれ!・・・踏んじゃったかも?shoe

1センチほどの小さな蟹の赤ちゃんが濡れた落ち葉の中から出て来て 

小道を横切っている。次から次に出てくる。ものすごい数、ザワザワ、ザワザワ・・・!

      ・・・やっぱり、小さくてもカニはかに歩きです。

 

 小道が雨でぬかるんでいるから、滑らないようにとうつむき加減で走っていた。

ぬかるみの道を過ぎた所で顔をあげると、前方に何か黒っぽい塊が動いている。

近くまでくるとその正体が明らかに・・・カメです。池から上がって来たのでしょう。

20センチほどの大きさ。小道の真ん中をのそのそと歩いている。

   

 雀3羽がスロージョギングをする私の前をリードでもしてくれるかのように、

数メートル飛んでは着地し、また飛んでは着地。

 ”こっちだよ!、がんばれ!こっちだよ!” とでも言っているようだ。

<あの3羽は、夫と夫の父・母かな?> 何て思ったりする。

いつも同じような所で雀が出てくる。時には一羽の時もある。

”今度は、〇〇○(夫)だけだね!” と 心の中で声をかけて走る。

  

             ・・・今日もいい汗かきました。

2009年7月 6日 (月)

亡き夫に報告

この一か月は夫の車とのお別れがあって、なかなか気持の落ち着かない、苦しい一か月

だったけど、自分にとっては、<また一歩前に進めたかな!> と 思っている。

                          (関係ないけど、体脂肪も22%になったし)

 いろいろ、亡き夫に報告してこようと思い 夫のお墓参りに行ってきた。

  <精神的には不安定な時もあったけど、大丈夫。頑張ってやってますよ!

    ちゃんと考えて一番いい道を探して、間違いのないように慎重にね。

               ゆっくり、少しづつ歩いてますからね。見ててね!>

 

・・・明日からは仕切り直しです。

今までと違う人たちと出会って、自分の世界を少し広げてみようと思い、ヴォイトレの

先生に新しくコーラスグループを紹介して頂くことにしました。

明日、練習を見学に行ってきます。

 夫の死の事も私の事も何も知らない人たちと接して、新しい自分を見つけたいと思って

ます。くすぶっていた自分から、抜け出せるチャンスの場を何とかして見つけたい。

そんな思いの挑戦です。

 

 仕事を思いっきりやって、自分の楽しみも見つけて

毎日を”今日はいい日だった!”と言えるように 少しでも行動を起こしていかないとね。

                    先はたぶん長い(?)から・・・。

2009年7月 5日 (日)

やりました!全国大会です

昨日・今日行われたコーラスのコンクール(私たちは昨日出場)で

           やりました、みごと全国大会出場権獲得です!

   今、メールが届きました。・・・もう、ビックリです! ヽ(´▽`)/

 いろんなこと言いながらも、頑張って続けてきたご褒美でしょうか、それとも新たな試練

でしょうか? どちらでもいいけど、頑張ったかいがありました。

また、8月末の全国大会に向けての練習をしなくては、なりません。今度は愚痴を言わず

思いっきり練習しようと思います。 ・・・せっかく得られた切符なのですから!

  

早速、夫に報告してきました。

           ”ありがとう!全国大会出場です!・・・がんばりまーす!”

懐かしの街

 昨日浦和でのコンクールの帰り、日没までまだ時間があったので、少し遠まわりをして、

浦安の方を回っている電車に乗って帰ってみた。

 というのは、亡き夫が以前仕事の関係で住んでいた行徳、船橋あたりや私たち二人の

結婚のきっかけとなったディズニーランドをちょっと、車中からでも見て行きたいな!

と思ったから。

 あの頃とだいぶ変わってしまった感じ、でも懐かしかった。

遠くに霞む船が見え、海もとてもきれいで心和むひと時。

いつしか私はコーラスのコンクールの疲れもどこかに消え去り、亡き夫とのいろいろな

思い出をたどりながら、走りゆく電車の窓の外の景色から目を離す事が出来ないでいた。

 

 夕日に照らされた街並みが、キラキラしている。

でも、電車の中からでは街の音も、匂いもわからない。・・・街を歩く人の声も聞こえない。

その景色をただ、窓から見ている事しか出来ない私は、手の届かない所に行ってしまった

亡き夫をそこに感じていた。

     <亡き夫もどこかでこうして この世の私の姿をみているのだろうか?>

 

 心のなかで亡き夫とデートした小さな旅が 楽しい一日の締めになった。

2009年7月 4日 (土)

今日は朝から大変でした!

今日はコーラスのコンクールでした。

会場が他県である為に、午後からの出番だけど、朝早くから出発です。

舞台に上がる衣裳、靴をバックに詰めて、その他の私物と結構大荷物です。

練習会場で現地集合。

<浦和駅で降りて、エーッと!西口・・・それから~>  何とか迷わずたどり着けました。

昼から予約を入れた楽器屋さんのレッスン室で一時間ほど練習して、ひと駅隣の本番の

ホールに又 移動。ここまでで、私は結構お疲れです。

大丈夫かな?・・・本番は!

たった10分たらずの挑戦です。<曲に集中!> いい緊張感です。

   無駄な力を抜いて、深呼吸。

       note 涙があるだろう、涙ながらの歌があるだろう、

          固めたこぶしがあるだろうー・・・今年も喜びがあるだろう!・・・

                               ・・・生きて行く限り、生きて行く限りnote

・・・終わりました。何とかやりきりました。

 ここのところ少し疲れ気味なので、結果を聞くことなく、私は帰って来ました。

長い一日でした。とりあえず、思いっきり歌えたので自分としては満足です。

・・・やっと終わった!

先ほど仲間から結果を知らせるメールが届きました、優秀賞でした。

全国大会の切符は、明日のグループの結果待ちのお預けです。さて、どうなる事やら?

2009年7月 3日 (金)

いいの?練習足りないよ!

7月4日は明日? 大丈夫?

 浦和でのコーラスのコンクール前日なのに、相変わらず個人練習しない私。

熱が入ってない。以前だったら、毎日練習していたのにダメなんだよね。

 まあ、練習してないと言っても、一昨日全体練習に行って来たし、個人のヴォイトレは

昨日やってきたから、まだいいんだ!あまり練習しすぎても良くない事もあるし、なんて、

自分に甘い言い訳を思っている。

 こんな風にブログに投稿する時間があるのなら 練習したらいいのにと思うけど、

今の私にはブログを書く事とウォーキングをすることの方が歌を歌うより、比重が重いと

いうことらしい。

 夫の最期の時、何時間も

”戻っておいで!又、一緒に歌おう!” と 夫の耳元で歌った。しかし辛い見送りが

待っていた。 ・・・あの時、一生分歌ってしまったような気がする。

コーラスの指揮者の友人が、夫の通夜に いち早く駆け付けてくれた時、私は

”もう、歌はいいよ! 夫にいっぱい歌ったから。

          ・・・もうやる意味がなくなっちゃったよ!”と訴えた。

”そんな事言わないで、ゆっくり考えたらいいよ!”

と 言ってくれたが、時が経ってもなかなか盛り上がらない。

 

 突然の死で人生を突然断たれてしまった、夫。

やりたい事もいっぱいあっただろうに、私ばかりが好きな事をやっていては申し訳ない

気持は強い。自分に負荷を与えてシンドイ思いをして頑張るスロージョギングや

ウォーキングをしている時の方がいい。

”頑張ったから、行っておいで!楽しんでおいで!”と 夫の声が聞こえるまで、私は

きっと走り続ける。   ・・・今のままでは、歌を歌っていると泣けてくる。

  

 今のコーラスは、私にとっては楽しみではなくて、将来、死別の悲しみが癒えた時、

また楽しむ事が出来るかも知れない趣味の世界への先行投資みたいなもの。

  

 芸術家のコンクールでない今回のコンクールだから他にも、いろんな困難を抱えて

頑張って参加している人がいるかもしれない。そんな中で私もこんな今の自分を歌に

ぶつけて、素直に歌ったらいいかな!と思っている。

2009年7月 2日 (木)

なかなか寝付けない夜

昨日は、ベッドに入るがなかなか寝付けない。

 朝は6時少し前に起きて、もう、24時を過ぎている。眠れないはずはないと照明も

消して、目を閉じる。しかし、ダメだ!・・脳が活動しているらしい。寝られない。

亡き夫との思い出が次々に頭の中に浮かんできて、眠ろうとする私の頭の中はどんどん

さえてくる。特別悲しいと思わなかったのに、急に涙が溢れてくる。

  

 何故! 。゜゜(´□`。)°゜。・・・思いっきり泣けた。

思い出の中でしか夫を見る事が出来ないやり切れなさと

   これから先もずっとひとりなんだという不安が、またもや私の心を不安定にさせる。

<こんなに涙が出たら明日の朝、瞼が腫れちゃうよー!>

・・・起きて顔を洗い、寝られないのならとPCを立ち上げる。

<誰か、何か面白いことブログで書いていないかなー!>

気分転換をすればと思ったが、なかなか今の自分を落ち着かせてくれることばは

見つからない。 再び、ベッドルームへ

   ・・・暗闇の中で今まで自分に活力を与えてくれた言葉をとなえる。

             ・神様は乗り越えられない試練は与えないんだ。

             ・夜明けの来ない朝はない。

             ・自分が望めば人生は美しくなる!

             ・大丈夫!あなた(私)なら出来る!

             ・なるようになるさ!

       ・・・ブ・ツ・ブ・ツ・・・

いつの間にか眠りについてしまい、気がついたら窓から朝陽がまぶしく注いでいた。

                      think

            こんな、寝付けない日がたまにやってくる。

2009年7月 1日 (水)

「そうか、もう君はいないのか」

 作家城山三郎さんの遺作となった原稿をTBSで田村正和さんを主役にドラマ化されたも

のが 今年の初め頃だったと思ったが放映された。あの時、正直言って、私には

あの主人公のせりふ ”そうか、君はもういないのか!” がピンとこなかった。

ピンとこなかったというのも適当な表現ではないような気もするけど、すんなり自分の中に

入ってこなかった。 ・・・<そんなものなのかな?>といった感じか?

   

 あの頃の私はまだ、悲しみの感情は薄れて来ていたとはいえ、突然の死別のショックを

まだかなり引きずっていたから・・・。夫の存在はまだ,私なかに・私の周りに充満していて、

この世にもういないという事を感じることを拒否していたのでしょう。

”そうか、もう君はいないのか!”なんて言う言葉を

             自分の口から発することを認められなかった。

・ ・ ・そして、月日が過ぎ、

最近は、自分一人の生活のペースがかなり出来あがって来た。自分の日常が

出来上がって来ると 悲しみの感情も気がつけば、どこかに置き忘れてしまう時がある。

置いてきたというか、夫がこの世を去った事実はなかった事のように

感じてしまっているようだ。

   

 今日いつものように、仕事が終ってからの日課の買い物を兼ねてのウォーキングを

して、家に帰る途中、お買いもの袋を提げて、歩きながらあの、台詞が・・・。

<・・・そうか、もう○○○はいないのか!>

あの時、自分のものとしてシックリこなかった台詞が 今、何気ない日常の中で

自分の脳裏に、突然浮かぶ。

日常の生活が、何気ないもの?に変わって来た時、夫の死、死別という事実を

消化して、この台詞は私のことばとして、思い浮かんだのだろうか。

   ・・・でも、そのことばの後に来る何とも言えない気持は自分の心には重すぎる。

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