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2009年4月

2009年4月30日 (木)

二人なら…、一人だと・・・

時間のゆとりがあると、いけません。

考えてはいけないことを考えてしまいます。

ポッカリと時間の空白が出来た時、何とも表現しがたい気分の落ち込みがやってくる。

あえて言葉で表せば、「つまらない」という言葉かな。

何をやってもつまらない。

  

 二人なら、どんなことも楽しかったのに、一人だと、楽しいはずのことも今一つ。

感動を分かち合えないという事がそうさせるのか?

それだではなく、自分自身の心の問題かも?

<そんなことしたって、どうせ・・・>とか

<そんなことして、いったい何になるの?>とか

夫の突然の死が私の価値観を変えてしまったのか?

              ただ、気が滅入っているだけなのか?

とにかく 自分から楽しみを逃している。

・・・ハイテンションで飛ばしている時の私とここで立ち止まる私、どちらも私。

一足早い 五月病かな。

”木の芽時はいけない。”って言うから。

いや、もう少し時間が必要という事かもしれない。

 先日、”こんな風に嘆いている時間は勿体ない”と 自分で言ったばかりなのに、

情けない。・・・こんな時は、何もする気がしない。

「鶏の卵が先か? 鶏が先か?」の議論ではないが、

ポッカリと空いた時間が、気分の落ち込みを呼ぶのか?

気分の落ち込みが、時間の空白を作ってしまうのか?

どちらにしても、こんなことを考えずに済む、ゆったりとした時間が

           たくさん流れるようになればいいのにthink

・・・とりあえず、こんな日は早く寝た方がいいかも。

                                    

2009年4月29日 (水)

”ここからは、一緒に行かれない!”

夫の夢を見た。覚えている夢は、これで3回目。

どれもどんな内容かは覚えていないけど、3回とも

夫が出て来たその場面だけははっきり覚えている。

  

・1回目(夫の死から半年後ぐらい)

  それまで夫を含め、何人かでその場に集まっていた。

  場所を変えようとしたのか、帰ることにしたのか、私達は移動しようとする。

  途中まで来ると夫は立ち止まり、

        ”ここからは、一緒に行かれない!”と言った。

 <どうして?>と思いながらも、私は<そうか>と納得している。

  歩き出した私が振り返ると、夫とそこに一緒にいた人は

                   そのままその場所に、立ち止まったままだった。

       ただ、私の方をじっと見たまま・・・無表情で。

・2回目(亡き夫の一周忌少し前)

  3・4人でエレベーターに乗っている。

  ドアが開いて私は外に出るが、夫が降りてこない。

  振り返って、私は夫に、”降りないの?”と声をかけたが夫はそのまま動かず、

  一緒に乗っていた人と並んで立ったまま、何も言わない。表情も変えず立っていた。

・三回目(昨日)

  夫と一緒に親戚の集まりに来ていた。何かの話の後、

  ”そうだよね!”と 夫に、私が同意を求める。

  しかし、夫は少し離れたベンチに座り、こちらを見て、微笑んでいるだけで

  何も言ってはくれなかった。

  

 せっかく夢に夫が出て来てくれたのに、どの夢も

夫との距離はだんだん離れていく感じで、夫と会話をすることが出来なかった。

しかも、しかも、・・・

”ここからは、一緒に行かれない!” 

夢の中なのだから、そんなこと言わないで 一緒に歩いて欲しかったなー!

       現実ではもう、一緒に歩くことは出来ないんだから。

                                                   

2009年4月28日 (火)

作詩 しちゃったよ!

合唱の練習中、一人クスッ!

<歌詞がちがう!> アレ、レ!・・・?

  

 所属するコーラスでは10月にコンサートを予定しているので、

たくさんの楽譜が渡されている。

それぞれに個人練習をしておくようにということなのですが、

みんなのように気分が盛り上がらない私は、なかなか個人練習までは出来ない。

 でもその中の一曲に、私の夫への思いを そのまま書いたような詩の部分があって、

その曲だけは目を通していた。

  note黒き瞳に思いは残り、永久(とわ)に忘れ難し・・・note

<本当にそうよ!> なんて思った。

料理をしながら、その部分だけ繰り返し鼻歌まで出る。

ところが、ところが、これは私の勝手な作詞だったのです。

合唱の練習でよく楽譜を見てわかった。

みんなが歌っているところ、一人でクスッ!

  本当のところは、「行きし瞳に思いは残り・・・」だったのです。

       (恋人が去って行ってしまったという設定です。)

でも、亡き夫への思いが強い 私らしい、作詞でしょ!

                                                     

2009年4月27日 (月)

作品、完成です

先日、気合いを入れて取りかかった作品が

やっと、今日完成です。

楽しかったけど、さすがに後半はきつかった。

いつもより、一週間ほど納期までの期間が少なかったから、

フル回転!後半は少し疲れて、パワーダウン。

でも、仕上がりはいい感じに出来たので、結構、いい疲れを感じています。

  

 作品は作り終えると、お客様の所へ行ってしまうので

毎回作品の写真を撮り、資料として残して置きます。

カメラのレンズ越しに見ると、第三者目線で 作品を見る事が出来る利点もあるので、

<仕上がりはどんなかな?> と 出来栄えをもう一度ここでチェックする。

この時点で、修正を加える時もあります。

 この写真を撮っている時が、達成感と何とも言えない開放感を感じて、

気分のいい瞬間。

     (* ̄ー ̄*)・・・うーん、いい感じ!

              これで、ゴールデンウィークはゆっくり出来るかな?

                                                   

2009年4月26日 (日)

見上げれば、青い空が!

花水木の花が、”空を見てごらん!”と咲いている。

雨上がりの今日は、白い雲が浮かんだ空が、抜けるような青空。

風が少し強く、白い雲も次々と流されて行く。

  

・・・昨年はこんなふうに空を見上げた事はなかったなー!

昨年の夫の死から半年ぐらいはストレスの為か、常にのどの渇きを感じていた。

突然の夫の死を受け入れられず、突然一人でどうやって生きていたらと、

混沌とした日々。

無い知恵をしぼり、必死になって

<どうしたらこの状況を乗り切れるか?> と 喘いでいた日々・・・think

   (おかげで去年の今頃は、肩こりか何か良く分からないけど、首が回らなくなり、

    左腕もと肩より上に上がらなくなり、接骨院で一か月半ぐらい

                          マッサージのお世話になりました。)

色のない日々、季節の移ろいも感じず、

昨年の夏が暑かったかどうかも、思い出せない。

shineしかし今は、 何かが変わった。

こうして、空を向いて咲く花水木の花を ゆっくり見上げながら、

その後ろにある空の青さを感じ、

若葉の間を通り抜けるさわやかな風も感じている

昨年の 喉が乾ききった自分が嘘のようだ。

まだ、完全にとはいかないけれど(この先もどうなるか分からないけど)、

空を見上げることが出来る様になった自分が 今ここにいる。

  

 時の経過が心を癒してくれたと同時に

自分でもそれなりに努力してきた事が私に、青空を再び感じさせているのか。

                             

2009年4月25日 (土)

ストレスを溜めないために!

ストレスの原因の中で一位・二位を争うのは、<配偶者の死>だそうです。

事実私も、夫の死は、今までに体験したことないストレスでした。

ストレスを通り越した、ショック状態の方が正しいかな。

  

最近はだいぶ落ち着いてきていると思うけど、まだ時間が必要かな・・・?

だからせめて、日常の小さなストレスは出来るだけ無くしたい。

毎日楽しく生きられたらストレスは溜まらないと思うけどなかなかそうはいきません。

いやなことだっていっぱいあるし、

自分の思うように事が進まない事も頻繁にある。

そんな時、必要以上に考え込まないこと。

考えても自分の力ではどうにもならない事は もうそれ以上は考えない。

”なる様になるさ!”ぐらいの気持ちが大切。

  

 人間関係で嫌な事があったら、出来る事ならその人、その人達と距離を置く。

自分だって好きな人もいれば、苦手な人もいる。だから相手だって、そうでしょう、きっと。

自分を気に入ってくれなくても、

<あー!そうか、この人私と合わないんだ。> と 軽く考えて、

また別の気の合う仲間を探せばいい。

狭い世界で苦しまないで、新しい世界に出られるチャンスの時が来たと思ってね。

でも、相手と上手くいかなかった理由が

自分にあったとしたら、それは反省し、直していかないとね。

仕事関係で距離を置くことが出来ない時は困る。

<こういう人もいるんだなー、参りました。>と

心の中でつぶやき、自分の気持ちにちょっとだけ 心にゆとりを作り、何とか乗り切る。

  

以上が私流、ストレスを溜めないための方法。

特に人間関係に関しては、あまり考えすぎない方が 結果はいいみたいね!

基本は、無理をしないこと。

      ほどほどに過ごす心地よさも認める。

                                                

2009年4月24日 (金)

何のかんの言ったって!

”あなたの夢叶えます。楽しいこと、今何がしたいですか?”

と聞かれたら、私は真っ先に、”亡き夫に会いたいです!”と答える。

 

夫と死別後、いろいろ考えて、いろんなことをして、

自分の気持ちをなんとかコントロールし、ここまできた。

      ・・・ というか一年数か月が単に過ぎた。

死別の悲しみ・苦しみを乗り越えたとまではいかないが、

だいぶ、夫の死を受け入れられるようになった。

しかし、こんな答えがスルッと出る私は、

「こうしたらいい・こうして乗り切ったとか・いつまでもこのままではいけない!」 とか

いろいろ言ってはみても、やはりまだ 強がっているのに過ぎないのかもしれない。

 

でも、いいんだよね!それで。

前を向いて生きることと、亡き夫の事を思うことは

何もどちらかを選択せよということではなくて、別枠で、同時進行したっていいと思う。

だって、愛する大好きな夫だったし、夫の両親も亡くなっているから

夫の事を思ってあげられるのは今、私しかいないのだから。

こんな私が、楽しい事といって、すぐに思いつくのは、

         <亡き夫に会いた~い!> しか、ないでしょう!

                                                

2009年4月23日 (木)

楽しく過ごす為に、使ってはいけない”ことば”

ことばにひとつによって、楽しくもなりつまらなくもなる。

自分で考えただけでも 私の場合、気が滅入ってしまうことばがある。

 

むなしい」・・・

夫と死別後、時々こんなことばが頭に浮かぶ。

<むなしいなー!>・・・今やっている事のすべてを否定してしまうようなことば。

 down スーっと気分が落ち込みそうになる。

<ダメダメそんなこと考えては!> と すぐに自分で否定する。すると、

落ち込みかけたものがまた、上昇。・・・単純なのです、私は。

儚い人生を、むなしいなんてことばで終わらせたくないものね。

  

面倒だ」・・・

このことばは使ってはいけない。面倒だと思うと結局何も出来なくなってしまう。

一見面倒と思えることも、やってみると結構楽しかったりすることがある。私の仕事は

面倒な作業が多い。お客さまからも

”面倒な仕事で悪いですね!” などと 言われることもよくあるぐらい。

”いいんですよ!面倒な事をするのが私の仕事ですから” と言ったものの、心の中では

<エッー!メ・ン・ド・ウそうな!>と思ってしまう事もある。

そう思った時点で、なかなかその仕事に手が付けられなくなってしまう。気が重くなる。

自分が気に入って、提案したデザインの方が よほど面倒な作業の時があるのに、

好きな仕事の時は、面倒だとは思わないのが不思議。

つまり、面倒な事というのは無いのですね。

<面倒だ!>なんて思うから、面倒なだけ。

<時間が掛かりそうだけど、面白そうな仕事ね!> と 思えば、楽しく仕事が出来る。

  

 ・・・happy01楽しくなったり、despair凹んだり、

本当は自分が心に思ったことばが原因という事もあるから、

上記2つのことば以外にもなるべく、否定的なことばは使わないようにしよう。

そうしたら、ちょっとだけ 楽しい一日になるかも?

                             

2009年4月22日 (水)

"言葉なしに思いやる心"

病に倒れた知人について、もう少しだけ綴りたい。

昨年、夫が逝ってしまった時、私は彼女からの依頼の仕事をしていました。

完成まで後一週間ぐらいというところでした。

辛かったけど、なんとか仕上げなければと、葬儀の次の日から、仕事をして

納期になんとか間に合わせた。

”大変な時に、間に合わせてくれてありがとう!” やさしい笑顔で彼女は、

受け取ってくれた。彼女は、亡き夫のことには一切触れなかった。

・・・そして何も聞いてくることはなかった。

仕事は仕事!それをキッチリやった私に対して礼を尽くしてくれたのかもしれない。

夫の死後、間もないその時は、まだ何か聞かれたら涙があふれ出そうだったから、

笑顔だけの応対は、うれしかった。

 それからも、この一年に何度か仕事を依頼してくれた。

いつも優しい笑顔で!何も聞かず。

それが彼女の思いやりと 私は受け取っている。

知り合ってまだ年数の浅い私に対し、そういろいろ聞くほどの仲までいってないし、

どう慰めるのが良いかと 彼女なりに考えてくれた、私への慰め方。

  

実際、仕事はこの一年、私の心をを支えてくれた。

悲しみの中で仕事するのは、以前のような制作している時の楽しみもなく、

正直、キツイ時期もあったけれど、

もし、これがなかったら ここまで頑張れていなかったかもしれない。

無理にでも、やることで少しづつ気持ちが変わっていったような気がする。

  

しかし、彼女の、「言葉なしに思いやる心」 

これも、私のこの一年を支えてくれた物のひとつ。

単なる同情では無い、大きな慰め。

だから、彼女にはどうしても 良くなってほしいのです。

   脳梗塞で倒れた後、今昏睡状態が続く彼女・・・貴女がが元気になることを祈ります。

                                

2009年4月21日 (火)

知人の病を受け止めると

知人の病の知らせを受けて、私の心のスイッチが 切り変えられた。

病に倒れた知人のことを思うと自分が健康に過ごしているこの時間の

ありがたさが身に沁みる。

      ・・・感謝しなければ!

 夫の死を嘆いている時間がもったいない気さえする。夫を亡くしたけれど、

今 私はこうして元気でいられる。

比較しては申し訳ないけど、病で倒れることと比べれば平穏無事のありがたい日々。

その時間を弱音を吐いて過ごしてはいけないと 今、本当に強く感じる。

  

弱音を吐く自分が薄っぺらにも思える。

もっと人間の真実・本質のところで生きなければ いけないのではないか?

  

車で言えば、ギアをトップ(5速・6速)に入れて飛ばしたい気分になった。

今、やれること・やりたいこと・出来ることをバリバリやって、

掴めるものをどんどん掴んで、吸収できるものを出来るだけ吸収して、

時間を無駄にしたくない気持が一層強くなる。

時間が一気に流れ去って行ってしまう様な、少し、焦るような感覚さえも覚える。

・・・でも、焦ってはいけないよね。

  ・・・ 落ち着いて、落ち着いて。

焦ってみたところで、何をどうすればよいのか具体的なものは何もないし、

いろんなことをしたいと言ったって時間との勝負。一日に出来ることは限られている。

一生の間に出来る事も限られているだろう。

限られた中で出来る事は、自分の能力を考えてもそう多くはないと思う。

だから欲張らず、仕事でも遊びでも家事でも

目の前にきたチャンスをつかみ損なうことなく、行動にでよう。

これをやりたい、やってみたいと思った時がそのタイミング、年齢は関係ない。

いろんなことをやっていけば、きっと楽しい事も また見つかるだろうし、

充実した一日も またやってくる。

自分で勝手に作った塀の中に閉じこもるのだけはやめよう!

  時間を無駄にしないためにも・・・

                                

2009年4月20日 (月)

ショック!・・・切ないな~!

知り合いが脳こうそくで倒れた。

とてもショック!・・・私より2歳若いのに・・・愛くるしい彼女の笑顔を思い出すと切ない。

今は、手術を終えて、投薬治療中だそうだ。

 ”元気になって!” と お祈りするのみである。

   

 同年代の人がこういう事になると、私自身自分の健康にも、とても不安を覚える。

・・・・・・・・・この年代でも、脳梗塞は起るんだ。

  

 昨年、夫の突然の病気による死を受けて、私は自分自身の健康不安を解消する為に

何年振りかで健康診断を受けた。とりあえず、何の問題もなく安心した。

でも、脳ドックまでは受けていないし、身近なところで、しかも同年代ときたら、

また少し、怖くなった。

・・・もしかしたら、自分もいつ何時こうなるか分からない。

元気に暮らせる、そのことのありがたさを改めて感じる。

  

 彼女は昨年暮れに、彼女の父親、夫の母親を相次いで亡くし、いろいろ大変だった。

そして、彼女の母親も少し痴呆が出て来て、施設と自宅を行ったり来たりしていた。

彼女自身も仕事を持っている中で、泣きごとひとつ言わずに、笑顔で頑張っていた。

こんなに一生懸命やっていた彼女が・・・・・

現実は厳しい。本当にショック!だ。

                                    

2009年4月19日 (日)

芝生の苔取りは大変です!

このところの暖かさで、芝も少しづつ緑色になって来た。

でも、元気のない部分を見てみると苔が生えている。

  

ビッシリ苔が増えてくると、芝が呼吸出来なくなるのか、その部分だけ芝がハゲてしまう。

今にうちに取り除かないととピンセットを使って出来るだけ取り除く作業をした。

  

苔取りは、表面だけでなく、土ごと少し深めに削り取るようしないと

また出てきてしまうので、

先のくの字に曲がった草取り用のピンセットを使い土ごとえぐり取ります。

芝の根もあるのでなかなか面倒で根気のいる作業。

(たくさん苔が出ている場合は、芝を剥がして、土を入れ替えた方が早いかも。)

  

<これを取ったら芝が喜ぶよ!> と 思いながら、夢中で取っていたら、

すっかり腰が固まってしまった。・・・あー!疲れた!

  

凸凹になったところは、芝の芽土をまいておきますが

疲れちゃったから、その作業はまた今度ね。

  

苔も少ないうちなら、この削り取る作業で芝が元気になり、何とか持ち直してくれますよ!

  <芝生の草取りの時も、苔を見つけたら 小まめに取っているのになー!>

日当たりの悪いところだけでなく、良いところも 苔が出るので、全く困りもの。

踏み固めてしまって、水はけが悪くなっているのかな?

来週あたり、芝刈りをした後、芝専用スパイクで全体に少し穴を開けて見よう!

昨年はこの方法でだいぶ芝生が元気になったよ。

夫と一生懸命植えた芝生だから、大切にしたいものね!

                                   

2009年4月18日 (土)

心無いセールスマン

4月に入ったかと思ったら、もう半ば過ぎ。

新聞の広告欄には、早くも初盆飾りの案内を 目にするようになった。

(このような広告は、普通に暮らしている人には目に留まらないだろうね・・)

初盆飾りでは 昨年こんな事があった。

  book ・・・

まだ、夫の四十九日も済んでいない時だった。

葬儀をお願いした葬儀社のセールスマン(葬儀の時とは別の人)が

突然訪ねて来て、初盆飾りがどうのこうのと言ってきた。

心の中で、<何言ってるの?この人!こんなに早くに> と 思いながらも 

平静を装い、

”初盆て、7月とか8月でしょ!まだその事は・・・” と 断わりの言葉を 私が言ったら、

”今から、積立金をしておけば・・・” とか、まだ言っている。

  

 夫を突然亡くし、夫の死をも受け入れきれていない一番辛いこの時期に 

なんと思いやりの無い!

心無いセールスマンに怒り心頭。\(*`∧´)/

”まだ、四十九日も済んでいないんですよ、そこまで考えたく、ありません!!”

こう言い捨てて、私はドアをバタンと閉めてしまった。

        (今考えれば 少し、大人げなかったけどネ!)

葬儀の時に接してくださった葬儀社の方は

どなたも心配りがあって、とても感じが良かっただけに、とても残念でした。

  

 結局、初盆飾りは業者には頼まずに 自分でいろいろ工夫して 

思いを込めた初盆飾りを作り、亡き夫に

<これが、良かったんでしょ!> と了解を得、初盆を迎えた。

心のこもった初盆のお迎えが出来たと思っている。

                                      

2009年4月17日 (金)

上昇思考回路・・・設定OK!

仕事でも家事でも何でもいいんだけれど、バリバリやって動き回っている時は

上昇思考になって、前向きで次々といい考えも浮かび、

やりたいことも次から次に出てくる。

逆に暇にしている時は、思考回路も止まってしまう。

止まっているだけならいいけど、この状況にある私には、逆まわりもある。

 気分は滅入って、何もする気にならない。悲しみまでもが戻ってくることも。

体を動かして、エンジンをかけ、すぐに発進出来る状態にしておかなければ、

今の私の場合ダメなようです。

 仕事の注文が無い時でも、注文が入ったら すぐに仕事が出来る状態にするために、

新しいデザインを考えたり、サンプルを作成したり、

のんびりでもいいから 出来るだけ稼働するようにしている。

    <上昇思考回路・・・設定OK!>という訳です。

そうしていると、自分の上昇気流がお客様に伝わるのか、仕事が入る。

ダラダラ過ごしていると、次の仕事もなかなか入らない。

  

 不思議なことだけど、自分の取り組み姿勢から

         何か目には見えない電波が流れるのかな。

            前向きな姿勢が だ・い・じ・です!

                                       

2009年4月16日 (木)

写真の彼(夫)は、今

夫の写真が部屋のあちら、こちらに!

あの部屋にも、この部屋にもたくさんの写真が・・・

テーブルの上、棚の上、

    夫が使っていた椅子の上・・・etc.

これを見て、私の兄は、

”これだけあれば、寂しくないな!” と 半ば呆れて言っていた。

  

 パソコンの中の、お気に入りの写真をプリントし、額に入れていろいろな所に。

写真に ”おはよう!”  ”いただきまーす!”

      ”ただいまー!” と 声をかける。

写真の彼(夫)も、いろいろ語りかけてくる。

     <僕も食べたいよー!> <行っておいで!>

笑顔の写真はいつも温かく語りかけてくれる。

真面目な顔をした写真は、同じ写真でも 

こちらがどんな気分、その時どんな感情を持っているかで、彼(夫)の表情は変わる。

  怒って見えたり、やさしく見えたり・・・

      こちらの心の中が見透かされている感じだ。

前は、私が美容院に行って来ても、

”何か少し変わった?” ぐらいにしか気がつかなかったのに、今の夫は 千里眼だ。

スルドイ!・・・ 彼(夫)の前では嘘がつけない。

  

目に見える夫は、三次元の世界から、二次元の世界へ

写真を見ては、”そのフレームの中から出ておいで!” と 言っていた時もあったけど、

夫はずっと、フレームの中に

                                    

2009年4月15日 (水)

信じている自分が そこにいた

バガげていると、言われてしまうかもしれないけど、

今こうして頑張れるのは、<夫が帰ってくると信じているから>

                だから私は、今までのように夫の帰りを待っている。

また会える、きっと会える。

逢えるんだから、寂しくない。

帰ってくるのだから、何も悲しむこともない。

今度会う時に、素敵な自分を見せたい、きれいに手入れをしたお庭も見てもらいたい、

いい仕事をして、”こんな仕事したんだよ!” と 報告して、夫の反応をみたい。

diamond・・・

気が変になったのでもないし、後戻りしたのでもないの。

     気がついたら、また逢えると信じている自分がいた。

     ・・・diamond

10年ほど前、夫が転勤で他県に行くことになった。

仕事があった私は、一か月ぐらい遅れて夫の所へ行くことに。

結婚して初めての、別居生活。

昼間は仕事をしているから良いのだけれど、夜は狭い家も広い空間に思えて

寂しくつらかった。毎日電話で、話をしていたものの やはり寂しい。

 ようやく仕事を片付けて、夫の所へ。

駅まで迎えに来てくれた夫の姿を、目にした時、

               ・・・嬉しくて、嬉しくて!涙がこぼれそうだった。

あの時のあの感動は忘れられない。

あの時のように、また夫に逢う事が出来たら、

あの感動以上のものすごいものがやってくるだろう。

その感動をを想像するだけで、私の心は 今、満たされる。

”ある訳ない、絵空事だ”なんて、冷やかな目で見ないでください。

        想像は私の世界なんですから。

diamond・・・

死別後いろいろな人が 私を元気づける為にか

 ”いつも、そばにいてくれるよ!” と 励ましてくれた。でも、私の心の中はいつも、

  <だって、死んじゃった!>と

       死んでしまった事、そのショックの方が大きくて、

          今まではその言葉をなかなか受け入れられなかった。

            (自分が体験した駐車場での事以外は・・・)

                  <2009・2 ブログ 私のとなりに>

でも、今はこうして想像することが出来る。

人から言われて無理に自分の気持ちをそのように持っていこうとしても、やはりダメ

「自分が自然にそのことを悟るところまでいかなければ!」

・・・diamond少しづつ、心にゆとりが生まれてきている様だ。

                                                      

2009年4月14日 (火)

予選通過はしたけれど

趣味のコーラス、先日コンクールで予選通過。

本来だったら、喜んでいるところなのだけれどね。今回は素直に喜べないの。

このコンクールが済んだらやめようと思っていたのに、やめるな!ということなのかな?

  

 練習後半は コンクールの日まであと何回頑張ればと、

自分に言い聞かせるように練習に参加してきたの。本当は楽しい趣味のはずなのにね。

think 悩むよね、どうしよう?

人数が少ないグループなので、一人抜けると なんとなく裏切り行為みたいで

悪いなーとも思うけど、続けるのもキツイかな。テンション上がらないし。

note次のコンクールは会場が埼玉です。

メンバーのみんなが ”埼玉もがんばろうね!” と 張り切っているのを見ると

<もう少し、頑張って続けるように道が出来ているのかなー>

恩返しのつもりで歌ってきなさいということなのかな。

  

いろいろ続けるための理由を考えても やっぱり、迷う。

大好きな音楽だから迷う。

大好きな音楽が今、心から楽しめていないから迷う。

このことに関しては、なかなか決められない。決断力のない私だ。

 

でも、せっかく与えられたチャンス!

4月から再開したボイトレも、いい声出てたし、コンクールまでは、まだ三か月ある。

それまでに、少しづつ気持ちを盛り上げていけば楽しめるかもしれない。

開かれた道を自ら、閉ざすことはないからもう少しだけ頑張ってみようかな。

                                         

2009年4月13日 (月)

気合いを入れて!

仕事の話。

以前から温めていたデザインに注文が入った。

生前、夫も”いいデザインだね!いい感じだよ!” と 言ってくれていたもの。

気合いが入るよーsign01 <もう、お蔵入りかな。> と 思っていたのに。

 

 ”あの時見せてもらった、あのデザインで作りたい!” と お客様から注文を頂いた。

自分でも気に入っていたデザインなので、うれしいな!

納期までの日数が 私の計画より少ないので

少々きつい制作になると思うけど、納得のいく物に仕上げたい。

        ・・・楽しい仕事になりそうhappy01

 やっぱり、夫も作品になったものを見たかったのかな?

先日のブログ<空想>での事は実際のことなのか

夫が仕事をまわしてくれた気がして、

”ありがとう!”と夫にお礼を言ってしまった。・・・いい事もあるよね!

                                             

2009年4月12日 (日)

こんな満開! ”あると思います。”

満開の桜も散り始め、風に吹かれて花吹雪。

そういえば、こんなことがあったよ。

  

 三年ほど前に旅先での事、なだらかな斜面に

桜の木がたくさんあったのだけれど、もうほとんどが散ってしまっていた。

”残念だったね!もう散っちゃってるよ。”  と 私が夫に言ったら、

斜面の上の方に行った夫が こちらを見下ろして

”見てごらん!満開だよ!” と言う。 夫の指差したのは私の足元の地面。

桜を見上げていた私は、言われて、 地面に目を下ろす。

散ったばかりのピンクの花びらが、地表一面に隙間なく広がっていた。

”ほんと!満開ね!”

感激して、地上に広がる満開の桜をバックにお互いに写真を撮った。

    ・・・ほのぼのとした 旅の一場面・・・

                                      

2009年4月11日 (土)

掘りたての”たけのこ”・・・貰っちゃいました!

先ほど、ご近所さんから掘りたてのたけのこをいただきました。初物です。

     うれいーい!happy01

たけのこはなるべく早く、茹でるのがおいしいから、仕事を中断して 早速開始!

  

 まずはたけのこを皮のついたまま洗って、

根っこの部分のあずき色のポチポチの付いた所を削り落し、

穂先のとがった部分を斜めに3センチほど切り落とし、

タテに一か所ザクッと切り込みを入れる。こうしておくと 後で皮をむく時も剥きやすい。

  (穂先の部分は皮が幾重にもなっているので

          切り込みを入れることにより、火が通りやすい。)

大きめの鍋を用意して、

たけのこがかぶるくらいの水を入れ、

米ぬかを半カップぐらい・とうがらし(鷹の爪)を入れて強火にかけ、

沸騰したら中火で約一時間コトコトと。

竹グシが皮の上からスーっと刺さればOK!

             ・・・そのまま、冷めるまで鍋の中に。

冷めたところで皮をむき、お好きな料理に!

すぐに食べない分は、蓋つきの保存容器に水をかぶるくらい入れて冷蔵庫で保存。

  

以上が私のたけのこのゆで方。

取れたて、ゆでたてのたけのこは 風味があって、とてもおいしいよ!

たけのこの穂先の部分は、お吸い物・おしたしに!

他の部分は、たけのこちらし寿司・たけのこごはん・煮物もいいよね!

  

どれも、この時期にしか食べられない春の香りいっぱいのごちそうでーす!

とりあえず、今日はたけのこのちらし寿司に。

夫も大好きだったから、出来上がったら 冷酒といっしょにお供えします。

                                   

ひっそりと咲く・・・スノーフレーク

もう、そろそろ終りになってしまうけど、

裏庭にスノーフレークの花が愛らしい白い花を付けて、ひっそりと咲いている。

スイセンの葉に似た葉で、スズランに似た白い花をつける。

(ちなみにヒガンバナ科で中部ヨーロッパから地中海沿岸地方にかけてが原産地。)

   

我が家ではほとんど放置状態で、施肥も球根の掘り起こしもしないけど、

時期になると、硬い地面から芽を出し、葉を茂らせ

1センチほどのかわいらしい白い花を咲かせてくれる。

裏庭なので 人の目に触れることも少ない。

風に揺られるスノーフレークの花を見ると、<けな気でかわいいな!> と 思う。

誰の手も借りず、毎年花を咲かす。可憐な花。 

 ”今年もかわいい花を咲かせてくれて、ありがとう!”

  

スノーフレークに、お礼の気持ちをこめて、今日は裏庭の草取りです。

                                      

2009年4月10日 (金)

一年数か月を経過して

死別後の一年間は、悲しみ・寂しさ・悔しさ・切なさといった、

夫を失った事に対しての思いが私を苦しめていた。

  

 一年数か月を経過した今は、夫がもうここにはいない事実は絶対に

変えることは出来ないということなのか・・・その思いは少し変わってきている。

  嘆きが消え去った訳ではないけどね。

次第に自分と自分の生活に、目が行くようになる。

今までも少しづつ感じてきたことだけど、

”一人というのは こういうことなのか!” と 次々にいろいろな場面で、気づかされる。

二人で居たとしても、自分のやらなければいけないことはあった。

でも、2人でやっていたことや どちらかがやらなければいけなかった事は

全部、今は私の仕事となる 。

今迄のように 夫がやってくれるとか、

助言をもらったり、一緒に考えることはもう出来ない。

そして、一から十まで私が行動するということは

結果がすべて自分の責任ということになる。

*庭の草取りひとつとっても、自分がやらなければ、誰も取ってくれる人はいない。

  サボっていたら雑草だらけ。とても安らぎの庭とは いかなくなってしまう。

 

一人というのは自分の動き一つ一つが、そのままいろいろな場面に反映し、

結果は全部自分が生み出したものと わかりやすい。

評価は簡単だ。自分が良く出来たか、ダメだったか・・・すぐに判断出来てしまう。

・・・生きるていく上で ごまかしが効かないということ。

夫婦というオブラートに包まれた中に居た時と比べるとストレートに自分に返ってくる。

  

 自分の生き方・生活がごまかせないというのは

ある意味ガラス張りの部屋の中で生活しているようなもの。

この結果はすべて自分が生み出したものとして提示されるのは、キツイ時もあるよね。

でも、重圧であると同時に励みでもあり、ある意味楽しみでもあると思っている。

こうして一年数か月を経過して、少しづつ自分の世界が作られてきている気がする。

                                          

2009年4月 9日 (木)

空想

ある牧師さんのブログで次の言葉を目にする。

「人の最期を看取り、自分の最後を看取られ・・・」

この言葉から、「自分の最後」って何? ・・・どんな意味があるんだろう? 私は

いろんなことを想像してしまった。

  

・ ・ ・ 空想にふける。

 夫の死と共に、夫と暮らしていた私も死んだ。・・・夫の葬儀は 私の葬儀でもあった。

 その後、二人の道は二つに分かれ、

 夫は自然に帰り、私は元の私の体を借りて再びこの世に戻された。その時、私は

 以前と同じ体なので生まれ変わっているのに 自分ではそのことに気がついていない。

 生まれ変わっているのだから、

 すべてが今までと違って見えたり、違って感じるのは当然のこと。

 前世(夫と暮らしていた頃)の記憶との喰い違いに悩み悲しむ。

 自分が生まれ変わった事に気づき、環境に慣れるのに一年数か月。

 そして今、私は何かとてもパワーを感じている。

 以前の自分には出来なかった何かが、出来そうな気がする。何かが・・・

 こうして、私が今 感じているパワーはあの時二つに分かれたもう一つの道を行く

 自然に帰った夫から送られたエネルギー。

 死別した時点で終ってしまっていたのではなくて、新たな形の夫婦として、

 あの時から再び、私たちは歩み初めていたの。

    heart04 エネルギーを送る夫と

          footこの世で歩みを続ける私foot

   二人の時間は止まっていなかった。

   二人は、再びいっしょに歩いていたんだ!

   ・ ・ ・

こんな空想をしていたら、また、明日も元気になれそうな気がしてきた。

<夫と死別という永遠の別れとなってしまった今、

 こんな空想でも夫と繋がっていることを思うだけで、気持が明るくなるのよ!>

クリスチャンではない私の、勝手な空想に牧師さんも呆れてしまうだろう。

       でも、元気が出れば何でもいいよね!

                                      

2009年4月 8日 (水)

先は長いなー!

”先は長いなー!” こんなことを言ったら、病と闘っている人から

”何を贅沢な事を言っているんだ!” と 叱られそうだけど、

そんな弱音を吐きたい時もある。

  

 ここから何年、何十年生かせて貰えるか分からないけど、

この、自分との闘いの日々がいつまで続くのかと考えると

何とも言えない、切なくも思える時がある。そんな気持ちをぶつけるところもなく、

こんなことを言ってはいけないのだと分かってもいる。・・・だから、きつい! 

先は長いなー! どうしよう?

 <がんばれ!>

 <あせってはいけないよ。あまり、先を見ないことでしょ!>

 <着実に一歩づつ歩けばいいよ。>

 <道は必ず見えてくる。信じて進むことだよ!>

 <出来ると信じて!

・・・弱音を吐きたい時は 吐けばいい。落ち込むことだって、悪いことではないんだよ。

そんな時はきっと、次のステップに差し掛かっている時。

だから、後ろを振り返らないで前を見ていて! ・・・深呼吸して、また出直せば

きっと、一歩前に進む!

   負けるな! あせるな!

      まだまだ先は長いよ! マイペースでいい!

        この心の声は、私の 心の中の夫からの応援メッセージだよ。

                                                   

2009年4月 7日 (火)

思い出すは 新潟分水の桜おいらん道中

月命日の墓参りに 行く途中のこと。

川沿いの約1kmにわたって大きな桜の並木がある。

満開の桜並木を横目で見ながら、車を走らせた。

   

思い出した。7年ぐらい前、転勤で新潟にいた時のこと。

雪国の春は実に美しい。寒い冬が終わって春になると、待ちかねたかのように、

色とりどりの花たちが一斉に咲き出すのだ。桜もその一つ。

 その頃、駅で新潟分水の桜まつり・おいらん道中のポスターを目にして、

夫と電車に乗り出かけた。

会場の土手に着くと 大きな桜の木々が見事に満開。

確か1.5kmぐらいの桜並木だったと思うけど、かなり見ごたえがあった記憶がある。

おいらん道中が始まるまで、土手沿い桜の道を歩いた。二人で感動しながら歩いた。

途中のお祭りの出店の茶屋で、お酒を頂きながら

              おいらん道中を見物し、お花見を満喫した。

        

 今日、車の中から見る満開の桜も とても美しかったが

気のせいか、あの時のような華やかさはない。

たくさんの木々の満開に咲いた花たちは 青空を背景に、静かにそこに咲いていた。

        

今日は、我が家の庭に咲く春の花たち

黄色のチューリップ、ピンクのフリージァ、赤紫のシランを花束にして、

                お墓にお供えしました。

                                                

2009年4月 6日 (月)

とびっきりの笑顔の私

昨日の夜、先日の同期会の写真が届く。

23時位から2時近くまで、レスを入れながら写真を見ていた。

   

 楽しかった20年ぶりの同期会の様子がたっぷり納められていた。

そこには、とびっきりの笑顔の私が何枚か写っている。自分で言うのも何だけど、

本当にいい笑顔をしている。心からの笑顔だ。

あの時は本当にお腹を抱えて笑うほど楽しい飲み会だったよ!

  

 何年ぶりだろうか?こんな笑顔になれたのは。

4年前、兄のがんの告知・そして死、昨年の夫の死と 

ここ数年、まったく辛いことが続いた。

思いっきり笑えたことがなかった。悲しみをこらえた笑顔にしかなれなかった。

でも、今ここに見る写真には 忘れていた、とびっきり笑顔の私がいる。

なんとなく不思議にも感じるけど、笑顔の戻った自分を見て、うれしかった。

きっと、どこかで夫もこの写真を見てくれ、

あの頃のように、笑顔の私がいいね!と 微笑んでくれていることだろう。

                                       

2009年4月 5日 (日)

本当は弱い自分

いろいろこうありたいという理想はあるけど、なかなか思うようには出来ないですね。

理想を持つことで、自分の気持ちを自分で盛り上げ、

毎日を生きるエネルギーにしているところがある。

そうすることで、くじけそうになる気持ちを何とか抑えているのが 現状なのかもしれない。

本当は弱い自分だからすぐに、楽な道を良しとして進もうとしてしまう。

そんな時は決まってこう思う。

 ”何をしているんだろう、私は” ・・・自分との戦いしか、今の私にはない。

 ”もっと、しっかりやらなくては、ダメだよ!”

自分で自分を励まして、理想を追って、少しづつ強い自分に近づこうとする。

もう、いろいろ助けてくれたり、やってくれる夫は居ないのだから。          

                                            

2009年4月 4日 (土)

素敵な人、輝いている人

向上心を持っているいる人を 私は素敵な人だな!と思う。

目標を持って頑張っている人は輝いている。

これで良し!と現状に腰を下ろしてしまうと そこですべてが止まってしまうから、

だんだん色あせた人になってしまう。

歩みを止めた時点で過去の人になって、魅力が無くなり面白くない人に見えてくる。

「努力」という言葉を忘れた時から輝きが消える。

   

この一年自分を見て来て、歩みを止めていた時の自分は、

鏡を見るのもいやになってしまうほど、ひどい。

        やむおえない事情があったものの、がっかりだった。

少しづつ、前向きに歩けるようになってから、やっと鏡の中の自分を

直視出来るようになる。

<このままでは、いけないよ!輝きが足りないよ!>

   日常の生活が顔に出る。隠すことは出来ない。ズルをしたらバレちゃう。

素敵な人、輝いている人が鏡に映るように

      めざせ!心の充実した毎日を!

                  笑顔の素敵な人!

                                                           

2009年4月 3日 (金)

なぜ、そんなに考える?

いろんなことを毎日、考える。

何かにつけ、何故そうなったの?・何故そうなの?・・・原因が分かるまで考える。

自分なりの答えを出す。やっと納得できる。

  

こんなにいろいろ考えるようになったのは、やはり

 <なぜ、夫の突然の死はなぜ?>から始まった。

    ・・なぜ、こんなに急に?・昨日まで何ともなかったのに。

    ・・なぜ、まだ若いのに?

    ・・今ここに居るのは、なぜ夫ではなく私なの?

この問題はいくら考えても、自分の納得出来る答えはまだ出てこない。

いろいろなことを考えていて

<ああ、そうなのか!> と 思える答えが出てくると安心する。

  

幸せいっぱいの時は、疑問はあまり持たないと思う。

なんでこんなに幸せなのだろうなんて、今 幸せで言う事ないのだから、

あえて考える必要がないものね。

確かなものに囲まれていれば、考える事も必要無いのかもしれない。

辛い事が起こると、どうにかして自分の危機を脱出したいから

原因と脱出方法を一生懸命に考えて探す。・・・この現状をなんとかしたいから。

何のために働くのとか、何のために生きるとか疑問を持つ人は、

現状に不満やストレスを持っている人らしい。

夫の死後、私も”何のために生きるのか?”、

”何のために生かされているのか?” と 自分に何度も問いかけた。

・・・その答え(私の結論)は

   2月投稿(<求めない>雑誌のコラムを読んで)ブログでも書いていますが

「何のため」ということでなく、生かされている今を大事にして、一生懸命生きること

それが結果として 人の為であったり、自分の為であったりする。

(一生懸命に生きるとは、仕事でも趣味でも家事でも何でもいいから、

 自分で納得出来るところまでやりきる事と私は思っている。)

  

この件に関しては

結局、変に考えるよりは行動する方が 結果・オーライ! ということかな。

必要以上に考えなくていい事もある。人生は理屈では測れないから。

                                                      

2009年4月 2日 (木)

永遠とは?

ブログ散歩をしていて、「永遠」という言葉にぶつかり、

気になって頭から離れない。ちょっと考えてみる。

永遠の命・永遠の愛・永遠の希望・永遠の・・・

       永遠の嘘をついてくれ(中島みゆきの歌)という歌もあったよね。

   

 ・・・永遠とは何?

形あるものは必ず壊れる。形あるものに永遠は存在しない。

そのことを十分知っているのに、どうして永遠という言葉が生まれたのだろう?

愛する人が死を迎えると、永遠の魂が存在するとか、

永遠に忘れないとか、永遠に愛するとか口にする事がある。

はかないものに対する嘆き、悲しみから自分の心を救う為に

人は「永遠」という言葉を作ったのだろうか?

・ ・ ・何故?

あるべきものがなくなた時、大切な人・ものをなくしそうになった時、

また、その存在が不透明になった時、「永遠」という言葉が登場してくる。

こうして、目に見えないものに「永遠」は付く

  元々、「永遠」というのは心の中にしか存在しなくて、

            ただ、安らぎの世界かもしれないなー。

永遠があると信じることで、自分を守れる。

愛する人の死を受け入れる事が出来たり、愛を信じる事が出来たりする。

どうしたら形のないもの、形が無くなってしまったものを自分が納得出来るのか、

その手段として 「永遠」が生まれたのだろうか?

でも、永遠を信ずることで、

愛する人の死を本当に納得出来るのだろうか?

愛する人の存在を 失わないでいられるのだろうか?

愛する人の死も悔い無しとして受け入れられるのか?

哲学的で、むづかしいよね。

 私は、いくら信じても、悔いは消えないような気がする。そして 正直言えば、

信じて納得するよりも 今はまだ、<逢いたい!>という気持ちの方が強い。

心の中だけでなく、現実が欲しいと願ってしまうのは

心の傷がまだ癒えていないのかな?

      それとも、「永遠」を理解出来ていないからなのか?

  

・ ・ ・訳が分からなくなってきたぞ!

悪い頭で考えていたら、頭痛くなってきた。

あまり、続けていると、私の苦手な宗教がらみの人から

”一緒に考えましょう!”なんて言われそうだから この辺でやめておきます。

でも、ひとつだけこんな私でもわかる「永遠」があるよ。

                     ・ ・ ・ 永遠の別れ

                                                     

2009年4月 1日 (水)

新たなスタートへの涙、頑張れ!彼女

本日4月1日、所用で電車に一時間ほど乗った。

途中の駅で 大きなスーツケースをゴロゴロと押しながら若い女の子が乗って来た。

彼女は私の前に座った。

発車のベルが鳴ると彼女は私の方、ホームに向かって

笑顔で元気よく、大きく手を振った。送ってくれた人に手を振っているのがすぐ分かった。

さわやかな女の子だ。

それから、何となく彼女が気になった。

電車が動き出すと彼女の顔から笑顔が消えた。

彼女はうつむいて、口をハンカチで押えている。そのうち、目も押さえている。

  ・・・もしかして泣いてる?

そして いくつか先の乗り換え駅で彼女は席を立つ。

彼女の顔に もう涙は無く、さわやかな女の子に戻り気のせいか、

何か決意を秘めたような足取りで電車を降りて行った。

彼女は新たなスタートに向け、故郷を後にして、

どこか他の街で大学生活を?送るのだろう。

きっと、18・19歳の独り立ちへ向かうひとコマだったんだわ。

初めて親元を離れるさみしさも、学生生活が始まったら、

新しい友達と夢に囲まれて、どこかに吹き飛んで行くことでしょうネ。

心の中で私は、

<新生活 頑張れ!> と 応援してしまいました。

  

線路沿いに植えられた桜が満開で自分の時を思い出しながらの

さわやかな 車内でのひと時でした。

                                                  

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