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2009年3月

2009年3月31日 (火)

<Ich liebe dich 君を愛す>私の好きな歌

夫の意識が遠のく中、ベッドサイドで何回も繰り返し、歌った歌。私の大好きな歌です。

 <Ich liebe dich 君を愛す

      ベートーベン作曲、ヘルロッゼー作詞、藤田圭雄訳詞

        note互いに忘れず 夕べに明日に

         心の憂いを いつも分け合い

              悲しみは二人で いたわりながら

              辛さを慰め 悲しみに泣く   悲しみに・・・

         神の恵みあれ この世の喜び

         守れよ 支えよ  守れ二人を

            この世の嵐に 耐えよ命を

                  耐えよ命を  耐えてあれ・・・note

ボイトレの先生に教えて頂いた曲です。

詩もいいし、曲も心地よいので大好きな曲で、生前の夫にも何回も聞いてもらいました。

  

  病と闘う夫を この歌で励ましました。

     夫の最期の時、私はこの歌で見送りました。

 

  オペラ<カヴァレリア・ルスチカーナ>の間奏曲に詩を付けた曲

    ・・・<アヴェマリア

      note哀れや 御胸にすがり ひたすら祈るを

          涙も枯れて すべもはや無し

        救い給え アヴェマリア

        守らせたまえや 御母なる君

               御母なる君

                 守らせたまえや この身を・・・ note

 

  そして、通夜の夜 一人部屋でお別れに、大きな声で この歌を歌いましたnote

  

         confident  今もこの歌が私を支えている。

                                      

    

2009年3月30日 (月)

ボイストレーニング

コーラスの時、気持ち良く声を出せるようにという事と

大きな声を出して、ストレスを発散する為に

          ボイストレーニング(ボイトレ)を数年前に始めた。

  

ボイトレはある意味スポーツに近い。

声を出すのには、体全体を使うので、体全体のストレッチからレッスンは始まる。

喉で歌うのではなく、複式呼吸で体から声を出す感じ。

あらゆる腹筋を上手に使い、声を出す。

口の周りの力を抜いて、喉をリラックスさせて、肩の力を抜いて、

体をまっすぐに顎を引いて姿勢を整える。

     ・・・良い姿勢が良い声を出す。

胸を張り、胸部を広げ腹筋を使い声を出すことで、遠くまで響く声になる。

体が楽器となる。

  

このリラックスさせるというのが慣れない人にはむづかしい。

どうしても変な力が入ってしまうのだ。

 体全体の力を抜くことは簡単でも、上半身だけリラックスし、

         足腰はしっかり踏ん張るというのはなかなか慣れない。

 (腹筋と背筋といったお腹周りの筋肉を使うので、

  1時間半のボイトレのレッスンの後は結構、脱力感。)

歌う体形と腹式呼吸の準備が出来たところで

喉の開け方、上あごの使い方といった発声に欠かせない練習に入る。

これもどうすれば先生の言っているようになるのか、初めはなかなか理解できない。

理解できないというかリラックス出来ていないので、思うように

口の中、喉の奥、上顎が動かないのだ。

 最近になってやっと、<こんな感じとか、こうすれば良いのか> と 

自分でも出来るようになって来た。

体全体が楽器となって、息が体の中をまっすぐ通り抜け、思うような声で歌えた時は

かなり充実感が得られて楽しい。

歌の世界は、勉強してみるとなかなか奥が深くて面白いよ。

  

 複式呼吸で内臓の調子が良くなるのか レッスン後は食事がおいしく頂ける。

   といっても今は(夫の死から)ボイトレお休み中なんだけどネ。

                                    

2009年3月29日 (日)

合唱の楽しみ方いろいろ

数年続けている私の趣味の一つに合唱(女性コーラス)がある。

いろいろな人の声が混じり合い一つになった時、

独唱には無い味わいが出るのが合唱の面白いところ。

  

 先日いろいろな年代の人たちの合唱を聞く機会があった。

上手、下手はその団体のレベルの話で、年代を問わずさまざまだったが、

質的観点から見ると結構面白い。

高校生の合唱は声も若いので、クリスタルの様な透明感がある。けがれの無い

澄んだ声で、高音域の響きは、私たちはとてもかなわない。

まだ未完成の声が素直な表現をする感じがする。

  

一方、大人のコーラスには また違った美しさがある。

声にまろやかさか出て来て、色があり、深みが増している。

          (これは高校生には出せない歌声だ)

 

そして、人生の大先輩たちのコーラス。

この方たちの合唱には、それぞれの人生も見えてくる様な気がする。

とても意味深いコーラスだ。・・・歌っているひとり、ひとりに目がいってしまう。

  ”この人はいろいろなことを乗り越えて、ここまで来たんだろうな。

       今、こうして歌えることが楽しくてという感じを受ける。

                 みなさん とってもいい顔をしているわ!”

  

などと、つい歌声の中にその人たちの人生を勝手に想像し、自分なりの楽しみ方をする。

とても意味深いそれぞれのコーラスです。

”やっぱり高校生にはかなわないわ!”と一緒にいた仲間が口にしたけど、私は

そうは思わない。その年代、その時々でその時しか出せない輝きがあると思う。

    ・・・何かが伝わって来る合唱がいいと思う。

今、感じる感動を歌いメッセージとして伝えられる合唱が

                      素晴らしいものと信じ、私は歌を歌っている。

高校生にかなわないと思ったら、もう歌う意味ないし、そこで終ってしまうでしょう。

  ”大人の世界も捨てたもんじゃないよ!”と高校生に伝える気持で

                               歌ってもいいんじゃないかなー!

   

        合唱の楽しみ方もいろいろです。

                                                   

2009年3月28日 (土)

時間の使い方

 フリーの仕事をしているから時間のやりくりも 自分次第ということになる。

自分で上手に管理していかないと仕事にも、健康面にも支障を来たしてしまうから、

朝起きるとその日のタイムスケジュールを頭の中で立てる。

仕事に気が向かない日も有るけど、そんな時でも、少しは仕事を進めて置かなければ、

結局後になってその分の仕事量をこなさなくてはならない。

つまり、出来る仕事はやって置かないと後になって納期を気にして精神的にも良くないし、

食事時間もゆっくり取れないし、徹夜ともなると体にも良くない。

・・・結局大変な思いをするのは自分だからと、気が向かない日もその時出来る

最低限の仕事はこなすようにしている。

 その分リフレッシュのウォーキング時間を多くして、明日へのエネルギーの補給をする。

疲れすぎない程度にね!

  

 食事の時間はとても大切。一人となると、どうしても時間・内容を含めて

不規則な食生活になりがちなので

朝起きる時間から寝る時間、三食の時間をしっかり管理をする。

管理すると言ってもあまり神経質に やっている訳ではなくて、

    * 夕食は20時以降は絶対に食べない!

    * 睡眠時間は最低6時間は取る!

この2点を守っているだけなのです。特に気にしている夕食の時間は、

 夫の死の原因の一つに夜遅い夕食の習慣が考えられる為 であると思われるから。

どうも、そのことが頭から離れないからなの。

夫は仕事の関係でどうしようもなかったけれど・・・ね。

このことを考えると私は20時を過ぎると食事出来ない。

自由に時間調整できる仕事の出来る私ですから今のところ、

この辺はキッチリ守ることが出来ている。

残りの朝食・昼食時間は、朝起きた時間によって調節すれば良いということになる。

    ・・・後はバランスの良い内容の食事を心がけて。

  

 ダラダラした時間の過ごし方はたまには必要だけど、

あくまでも無理をしないながらも、ある程度の規則正しいリズムのある生活は

精神的にも、体にも大切なこと。

しかし、そのことに縛られるほど神経質になるとストレスですからそれは不健康。

   あくまでも出来る範囲で!

         これが基本よwink

                                            

2009年3月27日 (金)

人との出会いは、意味あるもの

人との出会いは、一つ一つが意味あるもの。

偶然何年ぶりかでバッタリなんていう事が時にある。

しかも、その人がその時の私にとって、とっても必要な人だったりする。

良いアドバイスをくれたり、素敵な笑顔を見せてくれたりすることで、私の

気持の切り替えが出来るようにしてくれたり、元気を与えてくれたりするの。

<これって、偶然ではなかったのでは?>と思う。

  出会いっていうのは やっぱり意味がある!

       特に求めていない偶然の出会いには何かある。

  ・ ・ ・

 先日 <人間ちっちゃいなー! 私は> のブログで書いた事も

冷静に考えてみれば、良き出会いだった。

相手が悪いのではなくて、

夫を亡くした事で 悲しみを安住の地として、少し甘えて生きている私に対し、

傷口に塩を塗ってでも 

 ”時にはそこから抜け出すことが必要だ!” と 神様が友を通して、教えてくれたのだ。

     < 感謝しよう!> <反省しなくては!> と 今は思っている。

   

 「対面するその人は、自分を映す鏡」 という言葉を 以前読んだ本に書いてあった。

 <まったく、その通りだなー!> と その時思ったことをすっかり忘れていた。

自分を映す鏡・・・鏡の自分の反省すべきを事を直し

             元気と笑顔が返って来る様な毎日を送ろう!!

   

     忘れないで「自分を映す鏡」

       ・・・まあ、「人間生きていく中での経験は万に一つの無駄もない」

                                    ということなのかな。

                                                      

 

2009年3月26日 (木)

ウォーキングコースの、桜の開花は?

  私のウォーキングコースの中の一つに、

小さな湖のある公園を一周するコースがある。 一周一時間ぐらいのコースです。

たっぷり歩きたい時、このコースをウォーキングコースとします。

そこの桜がとてもきれいなので毎年楽しみにしている。

      ・・・今年の開花具合はと思って、本日はこの公園コースに。

  

 湖の上を渡ってくる風がとても強くて、飛ばされそうだった。

桜並木の所が見えて来た。遠くから見ても、木々が薄らピンク色をしている。いい感じ!

桜の木の下で見上げてみると、いくつかのかわいい花が風に揺れていて、

他のつぼみもかなりふっくらしている。

 <見頃は来週ぐらいかな?>と チェック!

満開になると、公園脇の道路は 桜のトンネルのようになるんですよ!

    今から楽しみです。

   

 公園内の菖蒲園の水溜りの中で カエルがピョコッ!と跳ねました。

                      春ですね~!

                                   

2009年3月25日 (水)

人間ちっちゃいなー! 私は

趣味の集まりの後、6人のメンバーとランチした。

みんなは私が昨年夫を亡くしたことを知っている。

すべてではないけれど、会話の内容は夫の自慢話・子供のことばかり、私には

口をはさむ事の出来ない話題だ。

自分の自慢ならともかく、

 <夫の自慢話をしたってしょうがないでしょう!

       子供がどうしたって? あなた達には自分は無いの?>

心の中で彼女たちの話を否定しながら、黙って聞く。

途中、もう席を立ちたくなった。

「人間ちっちゃいなー!私は。」 夫と暮らしていたころは 

自分の心にも余裕があって、こんな話だって笑って聞き流していたのに。

 夫を亡くした私を知っている人たちが私の前で、夫の自慢話をする裏には

    <自分はこの人(夫を亡くした私)よりも幸せよ!>

    <あなたよりも上をいっているわ!>

という言葉があるように思えてきていた。

  

 どうして今の私は、こう歪んだ受け取り方しか出来なくなってしまったんだろう。

夫の死後、個人的に付き合っていた人は別として、

取引のセールスマンなど今まで良くしてくれていた人が

夫が亡くなったことで、スーッと去るように 遠ざかって行ったのを私は経験している。

夫無しでも勝負出来る自分でないとダメなのだ。

   ・・・いくら夫の自慢をしても無駄なのに。

   ・・・だれだれの奥さんではダメなのに。

       世間に、自分の世界を作らないと意味ないのよ!

  

そうなんだけど、やっぱり私って、人間ちっちゃいよ!こんなことでムカつくなんて。

自分だって夫との幸せな時があったじゃないの!

    ”心のゆとりを忘れているよ!”

  これでは自分磨きどころではないよね。 深呼吸して、ゆとりを取り戻そうーっと!

                                               

2009年3月24日 (火)

本当に重かった敷石

庭作りが途中というコメントを受けて

重かった庭の敷石のことを思い出しました。

ちょうど去年の今頃だったかなー。

  

 夫が亡くなる一か月ほど前に、敷石を置きたいところがあると言って、

5枚の敷石が買い求めてあった。

 ”お休みの日にゆっくり作業しようね!” と 言っていたが、

そのころ仕事が忙しくなってなかなか出来ず、庭の隅に置かれたままだった。

  

 夫が逝ってしまった後、庭に積まれた石を見て、

   ”どうしたらいいの、この石?”

   ”一人では、重くて動かせないよ!” と 独り言。

それからしばらくの間、石を見ては同じことを考える。

夫の死がこんな形でも私にのしかかってくるのかと 敷石を見つめる私。

それでも一緒に持ってくれる人はもういないから

”やるしかないよね!” と 自分ひとりで頑張った。

少しずつ、引きづり、ころがし・・・、夫が置きたいと言っていた所までなんとか運んだ。

    ・・・一人で持つ敷石は本当に重かった。

  <これから一人ですべてをやって行かなくてはいけない、

           こんなことが出来ないようでは、越えられないよ!>と

自分を励まし、思いきり力を出す。やっと敷石の設置が終わった時には、夫から

  ”よくがんばったね!いい感じに置けているよ!” と 

  メッセージが貰えたような気がした。

  

はじめはあきらめて、そのままにしておこうと思った。

しかし重くても自分の出来る範囲で少しずつ、自分で動かせる方法を見つけていけば、

なんとかなることが実践出来た。

この事がそこから先へ歩んでいく、エネルギーとなった。

  決して無理をしないで、自分なりの方法を見つければ

                 これからもやっていけると感じたscissors作業でした。

  

  今、庭では桃の花が満開です。 かわいい、スノーフレークも咲きましたよ!

                                                

やったー!WBC日本代表おめでとう!

WBC優勝おめでとう!!

感動で涙が止まらないよー!・・・本当にいい試合でした。

     イチローさんおめでとう、すごいです。

  

興奮が冷めやりません。選手のみなさん、どうもありがとう!

村田選手のファンとしては、優勝の場面にいて欲しかったけど、

今回の彼の活躍は、みんなが認めてくれてると思うから良しとしましょう。

        本当にうれしいですsign01 happy01

                                    

2009年3月23日 (月)

2人で作った庭だから!

雨上がりの晴天!カーテンを開け、お庭に挨拶。

”おはよう!” お庭の花や木々たちが輝いている。

お庭も私と同じく昨日の雨でリフレッシュ出来たかのようです。イキイキしてます。

”今日からまた頑張ろうね!”って言ってます。

  

我が家の庭は、夫と二人で作ったもの。

庭木は近くの緑化木センターに何回も足を運び、気に入った物を探し、

自分たちで植えた。

庭石は、”ホームセンターにあるのではつまらない” と 

庭石を扱っている石屋さんで選んで来た。さすがにこれは自分たちでは運べないので

運んでもらったけど 庭での設置は夫と二人で頑張って並べた。

      ・・・腕が抜けそうに重かったよ。

  

芝生も自分たちで張り、花壇も作った。

庭を見ていると、目に入るすべてのものに 夫との思い出が蘇る。

・・・苦労して植えた時のこと、植物の成長を楽しみ、水やりをしていた夫。

・・・夕方暗くなるまで庭の草取りをする夫の姿。

      ”あの花が咲いたよ!” と 夫に報告すると、

      ”どおー! きれいに咲いてくれたね!” と ほほ笑む夫。

  狭い芝生の庭だけど、”パターゴルフをしよう!”と言って、

                       ホールを作って楽しんだ日々。

大きな木の切り株で作った椅子に腰掛け、

    自分で作った庭を満足気に煙草を吸いながら見ていた

                    夫の姿をもう一度見たいなー!

やっぱり、ダメだよね。

無理な話だから、とりあえず2人で作った”お庭”の手入れを頑張りまーす!smile

疲れた気持ちを癒してくれ、応援のメッセージを 送ってくれるこの庭に感謝してheart04

                                                  

2009年3月22日 (日)

20年ぶりの同期会

昨日以前勤めていた会社の同期入社の人たちとの同期会が

20年ぶりに開催されましたので、泊まりで出席し、先ほど帰ってきました。

この同期会は務めていたころは毎月1・2回の飲み会という形で開かれていましたが、

転勤や退社で20年前の4月を最後に解散していました。、

 この度ちょっとしたきっかけから開かれることになりました。

  

14人のメンバーのうち12人の出席の盛り上がりとなり、

20年のブランクを感じない楽しい時間を過ごすことが出来て、私としても

大いにリフレッシュ出来ました。

今回は自分の中で、私が夫を亡くしたことを話が出ない限り、

自分の方からは、口にしないと心に決めて出席しました。

 同期の仲間の一部の人には、以前に伝えてありました。

ですから、みんなのところに情報は回っていたかもしれません。

その辺は私にはわかりません。

 それぞれが自分の家庭のことの話題に入った時、私は<まずいなー!>と思い

その場をどうやり過ごそうかと考えていましたが、

              誰も私のそのことに触れてくる人はありませんでした。

”ほっ!”としました。私は同期の人たちの言葉に出さない優しさを感じ、

そのことに対して涙が出そうになりました。とても有り難く、感謝しました。

  

      本当に有意義な、いい同期会でした。

           楽しかったでーす!happy01

                                                  

2009年3月21日 (土)

止まった時間はいつ動き出す?

<彼岸法要で寺に行くのブログの続き>

以前のようにテレビを楽しめなかったり、ラジオを聴きながら仕事が出来ないのは

やはり、私の時間が止まっていて、あの楽しかった日々のままでいて欲しいという

自分の気持ちが、時の流れを瞬時に感じるテレビ・ラジオのメディアを

受け付けないでいるから。

夫の物が処分出来ないでいるもそう、まだ夫がそこにいることを信じているから。

  

では、止まった時間はいつ動き出すのかな?

    ・・・いや、時間は動き出しているのかも。

止まった時間とは 

ただ夫の止まった時間をどうにかして動かそうとして、あがいていることかも。

でもどうしても何をやっても死んでしまった夫の時間は、動かない。

・・・そして止まった時間を感じるのは、

  夫と私の時間との差が開いていくことが納得できないということかなのかもしれない。

  

こうして夫の死をいろいろな形で考えていくことで

 ”死んじゃったの?” から

   ”やっぱり、死んじゃったんだね think ” と 自分の中で変えられていくのでしょうね。

  

こんなことをいつも頭の中で考え続ける日々が無くなった時が、

本当の止まった時間が動き出す時。

   その時まで、あがきます。 また、ギァチェンジ出来る時が来るでしょう!confident

                                                     

2009年3月20日 (金)

彼岸法要で寺に行く

今日は彼岸のお中日で菩提寺で彼岸法要があり、

午前中、車で1時間弱の寺まで行ってきました。

車を運転中、”涙そうそう”の歌が何となく口から出てきて、

繰り返し、繰り返し歌っていました。

 <やっぱり、逢いたいよね!>

 <君への思い、涙そうそうだよね!> と 独り言が出ました。

note古いアルバムめくりnoteではないけれど、夫のことを思い続けている自分、

夫との思い出を振り返っている自分は

あの時のまま、時計が止まってしまっているのだなー と 歌いながら考えていました。

頑張って前に進んでいるつもりなんだけど、

実は夫といた最後のところで、私の時間はまだ止まったままで、

夫の死も受け入れたはずなのに、まだ、本当のところ受け入れが完全に出来ていない。

・・・ただ、今の生活に慣れただけ、

そこに夫がいないことに 慣れたにすぎないような気がした。

  

そんな私が、亡くなった人たちに会うために お彼岸にお墓参りに行くのは何のため?

 墓石に彫られた夫の戒名を見て

        ”本当に死んじゃったの?”って確認に行くため?

   

そんな変なことを考えた、寺までのドライブ。

なんとなく中途半端な気持ちのまま法要に出ました。

彼岸法要はたくさんのお壇家さんが集まり、座るところが無くなるほどでした。

                                               

2009年3月19日 (木)

芝生の草取りは私の日課

芝生が薄らと緑に染まってきた。それとともに雑草の小さな芽が顔を出し始めた。

この時期はまだ、芝生が完全に緑になっていないから、

緑色の雑草の若い芽は見つけやすい。・・・芝生の草取りの絶好のチャンスです。

  

まだ1センチ位の雑草の芽だから、雑草取り用のハサミ(ピンセット)のようなものを

使って、一本づつ根から引き抜く。

立って見ていると見えない雑草もしゃがみ込むとあちこちに見られる。

今のうちに抜いておかないと 根が張ってしまい抜きにくくなってしまうので

雑草ばさみ使って、細かい作業をする。

          ・・・あっという間に1時間が経つ。

  

一時間もしゃがみ込んでいると腰が痛くなるので この辺で本日の作業は終了。

出来るだけ、毎日一時間弱、仕事を終えた夕方から草取り。

一通り草を取り終える頃には次の芽がまた出てるるので この作業は夏まで続く。

季節により出てくる雑草の種類も異なるので、雑草取りもおもしろいですよ!

   

雑草取り、芝刈り、施肥と芝生のお手入れは 毎年、この時期からの私の日課です。

    特別手入れのしてないお庭ですが、

         雑草の生えていない芝生は唯一の自慢です!

                                             

2009年3月18日 (水)

庭に春がやって来た!

昨日、今日の例年以上の暖かさに

今まで硬いつぼみだった花が一斉に咲き出した。

花桃が咲き、枝いっぱいにピンクの花を付けている。

ニワウメの花は満開、その隣でユキヤナギが白い花をたわわにつけ、

もくれん・コブシ・ベニバナトキワマンサク・パンジー、

             ムスカリ、ヒヤシンス、ノースポールetc.

ピンク、赤、白、黄、紫といろとりどりの花たちが 

”春が来たよー!” と 華やかに告げる。

        おまけに芝生の中の雑草たちも、目を出し始めた。

ガーデニングと言えるほど手入れされた庭ではないけど、

花たちが咲き始めると庭が急に華やかになる。

  

春の花に元気をもらわなければ、このところ、少しテンションが下がり気味の私。

明日も暖かい日になるらしいから、芝生の草取りでもしながら、花たちから

エネルギーを分けてもらいましょうか。

                                                  

2009年3月17日 (火)

春を告げる、”つくし”と”ふきのとう”

ウォーキングの途中でつくしが顔を出していた。

春が来たんだなー!

夫の笑顔が見えた気がした。毎年春になると私たちは

夫の実家の畑につくしやふきのとうを見つけに行っていた。

つくしはスーッと伸びてくるで見つけやすいけど、ふきのとうは

顔を出し始めたところを見つけなければならないので、なかなか見つけられない。

  

夫はふきのとうを見つけるのがへたで、

”出てなかったよ!” と 言った夫の後を私が歩くと いくつかのふきのとうが

顔を出している。

つくしはあまり大きくなったものはダメで、頭の部分が固く閉じている物を収穫する。

つくしは夫の係。

”こんなにたくさん出てたよ! 卵とじにしてね!” と 

いつも、得意げな笑顔はまるで子供のようだった。

つくしの節のところにある袴を取って、軽く炒め、塩を軽く振り、卵でとじる。

食べたことのない人にはあまりおいしいものではないかもしれないけど、

口いっぱいに春の香りがしてなんだか懐かしい味。

ふきのとうはてんぷらにしてほろにがい春を味わう。

どちらも、我が家の春にかかせない酒のつまみだった。

   

 ”初物はね! 東の方を見て、ハッ!ハッ!ハッ!と 笑ってから食べるんだよ!” 

と夫。 何の意味があるのかよくわかないけど、夫の家に伝わる風習だそうだ。

 ”春の香りがいっぱいだね!”

そんなことを言いながら、日本酒の冷酒を味わう亡き夫の笑顔が頭に浮かぶ。

                                                     

2009年3月16日 (月)

自由を手にした、私の自由の意味は?

夫は広い心の持ち主でやさしい人だったから、20年間の結婚生活の中でも喧嘩らしい

喧嘩はしたことがなく幸せな結婚生活でした。

でも私のいたらぬ点で夫に申し訳なかったと反省すべきところは数多くある。

ウェブページにも書いたけど ”あの時こうしていれば” と

過去を振り返っての<たら、れば>は無い。時間は戻らない。

   ・・・今となってはもうどうしようもない。

         

ある夫を亡くした人が、夫の最期のプレゼントは

”自由を与えてくれたこと” だったと言っていたが確かにそうかなと思う点がある。

しかし、一方で私は、

 「過去を振り返り、自分を反省し、そのことを

 これからの人生の中で、どう良い方向に生かしていくのか

              という課題を与えられた上での自由」 のような気がする。

 

夫が逝ってしまってから、今のところ一人になって自由に

生きられることが楽しく思えたことは私には無い。

仕事以外の時は、時計を気にしないで

いつどこで何をしようと自由な生活を送っているけど、私は自由を感じた時、

<夫に悪いことをしたなー!> と 思った時のことが思い出される。

ある人が言った、夫の最期のプレゼントの 自由”が、私にとっては

 ”時間をあげるから、一人になって自分を見つめなさい!”

 そんな懺悔の時間を与えてくれたような、

   今までの自分の悪いところを直す時間とチャンス

与えられたような気がしてならない。

    夫からの課題をやり終えた時、初めて自由を楽しめるのかな!

                                                        

2009年3月15日 (日)

人恋しいのかなー?

最近気がついたことがある。お買い物に行った時、

お店の人とお話をすること増えたなということ。

夫がいた時はいつも2人でお買い物に行っていたので

あまり販売員の人とお話をすることはなく、

2人であれこれ言いながらお買い物をしていたのかな?

でも、夫の死後のお買い物はいつも一人。

販売員の人が話しかけてくると、何となくこちらからも

いろいろ質問をしたりして、買い物を楽しんでいる。

<今までは聞き流していたことが多かったのになー>

やっぱり、人恋しいのかなー?

相手は、私の夫の死のことを当然知らない。だからいい。

何のかかわりの無い人と接することが、

逆に普通でいられる時が持てるようで少し気が楽になる。

普通でいられるというのは、夫と死別してしまった私ではなく、

そこにいる私自身が私のすべてで、相手が先入観無しで接して

くれるということなのかな・・・ちょっと回りくどいけど・・・

時には、夫の死のことを全く知らない所に 行きたくなる時がある

ということかもしれないね。

悪く言えば、現実逃避!、良く言えば、新しい自分の世界を広げたい!

いろいろ言っても普通に見れば、ただ人恋しいだけでーす!

   

  * 販売員の人と話をすると自分の持っていない情報が

            いろいろ得られることがあるのでおもしろいよ!

                                                               

2009年3月14日 (土)

面白い販売員さん、アドバイスありがとう!

いつものウォーキングを今日は街までに距離を伸ばした。

街中までは、歩いて約1時間ほどで上り下りもあり、

結構いいウォーキングコースなのです。・・・でも、欠点が一つ。

ウィンドーショッピングで終わればいいのですが ついお買いものをしてしまう事。

スーパーでのお菓子の衝動買いと違い出費が大きいのです。

  

デパートには春物が出そろい、購買意欲がそそられる。

そんな中、素敵な春色のジャケットに目が止まる。

<とっても、素敵!>

これは危ないなと思い、販売員の方に、

”今日は、ウォーキングの途中ですから!” と 私は牽制球を投げる。

”少し、見せてくださいね” と 鏡の前に立つと、やっぱり素敵!

危ない、危ないと思いつつも販売員の勧めで試着する。

いろいろお話しながら他にもいくつかの洋服を見せてもらった。

でも最初に試着したものがとても気に入って

<買っちゃおうかなー!>と迷っていると、その販売員さんたら、面白いことを言う。

”今日はやめておいた方がいいですよ!” だって。そして、

”今日は売上予算を達成しているから、無理にはお勧めしません。

 売上がいっていなかったら買って頂きたかったかもしれないけど、

                     今日はやめておいた方が!” と 付け加えた。

はじめに投げた牽制球が効いていたのでしょうか?

でも、こんなアドバイスをする販売員って面白い人だね。

おかげさまで、私は衝動買いをしなくて済んだわけ。

やはり、何万もする衝動買いは危ないものね!

    ありがとう! 販売員さん!

        おかげでいいウィンドーショッピングが出来ました。

                                                

2009年3月13日 (金)

我が家自慢のチューリップ

暖かくなり庭のチューリップが今年も元気に顔を出してきた。

”今年もチューリップ出てきた?”と3月になると毎年お隣の奥さんが声をかけてくる。

このチューリップはお隣の奥さんも楽しみにしていてくれる。

 

なぜ?っていうと・・・このチューリップの球根はもう11才になるからです。

11年前に地域のイベントでアルミ缶10個とチューリップの球根一個と

引き換えてくれるというのがあった。

我が家はビール党だったのでたくさんのアルミ缶が出たの。

 ”これは我が家の為のイベントみたいね!” と 夫と出かけた。

15・6個の球根を手に入れ、庭に植えて春を待った。

翌年3月から4月にかけて色とりどりの花を咲かせてくれた。

その時からのチューリップなのです。

  

毎年花を楽しんだ後、6月頃に掘りあげて 9月に植えつける。

”今年もまた、芽が出てきたね!”と隣の奥さんが庭をのぞく。

”ただの球根、今年もがんばって出てきたでしょ!” と 私。

年々花は少しずつ小さくなってしまっているけど、それはそれでかわいいよ。

”ミニチュアのチューリップだね!”とおとなりさん。

”かわいいでしょ!子供が絵にかいたのみたいな感じで!”

普通のサイズの花も咲くけど、

     小さいのは20センチ位で ミニチュアの花をさかせてくれる。

  

この分だと今年も花が楽しめそうですhappy01

今年はどんな花を見せてくれるのかな?

でも、チューリップやクロッカスの花は なぜ黄色から咲き始めるのでしょうね?

我が家の庭では、毎年必ず黄色と決まっている。

黄色が咲いて、紫、赤、白の順に咲く。・・・なぜこの順番?といつも不思議に思う。

                                    

2009年3月12日 (木)

ブログの世界から思うこと

毎日のようにいろいろな人のブログをチェックして感じることは

たくさんの人がそれぞれにいろんな重荷を背負って生きているんだなということ。

  

突然の夫の死が自分にとっては、大変な出来事であった。

その後、なんとか自分の生活を取り戻そうとする自分が 特別辛い日々を送っている

ような気がしていた。しかし、自分だけというのは間違っていたことに気づく。

多くの人が同じような苦しみを抱えて生きている。

いや、もっと重い重荷もいっしょに背負っている人もいる。

他人と自分の人生を比較することは出来ないけど、自分が背負ったこの現実は、

なにも特別な現実ではなく、

   人が生きていく中で普通にあることなんだと思えるようになった。

            ・・・淡々としたものがそこにあるように感じた。

  

どこかで誕生する命があれば、どこかで死を迎える命もあるということだということ。

誕生はうれしいが、死は辛く、さみしく残された人たちの人生までも変える時がある。

でもそれを受け入れていくことが、生きるっていうことなのかななどと

第三者目線で、自分を見ることが出来るようになった。

 しかし、そうであってもても

自分の人生の中では、大切な夫の死はやはり、特別なことである。

 ”なぜ死がこんなに突然に、まだ若いのに、昨日まで元気にしていたのに

       自分の夫の所にやってきたのだ。” と 嘆きが消えるわけではない。

ほんの少しだけ、死というものが何なのかということが

分かるような気がしてきただけの話。

  

夫がこの世に生きて、私ともに過ごしたということ、

       そのことは、私の頭の中から決して離れることはない。

他人にとってはただ一人の人がこの世からいなくなった事に過ぎない話であったとしても、

あの心優しい夫は確かに、私の隣で生きていたんだ。この家で一緒に暮らした。

人生をともに生き、幸せを分かち合ってきた。

そして今、良きパートナーであり、私の最高の理解者であった夫を

突然の病により失ってしまった。

   それらの事実は私にとって特別なことであり、決して記憶から消えることはない。

       

ブログからいろいろな人たちの本音を少しづつ、見つけて

自分の考えも改めて整理出来て、ブログの世界って面白いなと思う。

                                                

2009年3月11日 (水)

趣味は続けてもいいのかな?

もう8年ぐらいになる趣味が私にはある。

ボイストレーニングと女声コーラスです。

  

音楽好きだった亡き夫もこの趣味には協力的で車で送ってくれたり、

成果を聞いてくれたりした。

・・・夫の死の直後、私はこの2つのことを一時やめた。

当然のことながら、とてもそんな気にはなれなかった。

ボイトレはとりあえず休校。

しかし、コーラスは3ヶ月後に発表会も控えていたし、

仲間のみんなが”また一緒に歌おうよ!”と心配して声をかけてくれるので、

とても気が重く、その気にもなれなかったが、

一ヶ月後にお世話になったお礼をする為に顔を出した。

<このまま家の中にいても何も始まらないし> と 初めの一歩を踏み出す思いだった。

  

しかし、歌はダメだった。やっぱりそんな気分ではない。

聞こえてくるみんなの歌も、私には意味のないものに思えた。

頭の中では、<こんなことしたって、>という気持ちが抜けない。

  

何なのだろう。・・・私の歌を一番聴いてほしかった人がいなくなってしまった事だろうか?

自分だけ好き勝手に楽しいことしてはいけないと、どこかで思っているからだろうか?

  

その後の練習は月に一回か二か月に一回なんとなく顔を出している。

しかし、やっぱり楽しいところまではいかない。

毎回、どうしようか迷い、行こうと思う気持ちが強い時だけ練習に出かけている。

もちろん趣味なのだから、楽しくなければやめればいい。

でも、細々でも 続けていないと後で歌いたくなった時に思うように声が出ないということ、

ひとり閉じこもっていてはいけない、これからは仲間を大切にしていかなくてはということを

考えて続けている。そんなだから、楽しい訳がない。

  

心の中はいつも迷っている。

  大好きな音楽だ、続けていればいつか心の底から楽しいと思う時がくると考える日と、

  やっぱりやめようと強く思う日と。

      

これからの人生 自分の楽しみを見つけて住む世界を広げて、

同じ人生を送るのだったら楽しく生きようよという自分と、

亡き夫のことを思うと自分だけ楽しんでと 罪悪感を感じる自分と

                         趣味については葛藤は消えない。

                                                        

2009年3月10日 (火)

春になり、暖かくなると活動しだす私

今日は朝から春の日差しが心地よい。

こんな日は何となくウキウキしてくる。

 

仕事も今日は午後お客さんの所へ行くだけだからと、

朝から、いつもお掃除できていないところまで念入りにお掃除とおかたづけをした。

部屋がきれいになったところで、このブログタイム。

お天気が良くて、暖かくなると自然と体を動かして いろいろやってみたくなるから、

 私は単純だなと思う。

       仕事も進むし、どこかへ出かけたくもなる。

  

洋服も春色のカラーでバッチリ!(自分ではそう思っている)

冬眠から覚めた動物たちが動き出すみたいな自分を 

        <なんだか変なやつ> と ちょっと笑える。

           ”よーし! 今日は気合いを入れて頑張りまーす!”

                                                   

2009年3月 9日 (月)

春のドライブへ 出発!

昨日は久しぶりの晴れで風も穏やか。

朝から2台の車の洗車をした。車を洗いながら思った。

”やっぱり、まだこの車は手元に置いておきたいな!”

この間、このブログにあんなこと書いたけど

車を一台にするという踏ん切りをつけるということは、なかなかむずかしそうだ。

    ・・・別に期限があるわけではない、ゆっくり考えよう。

  

とりあえず、ドライブに行こうときれいになった車に乗って

               亡き夫とよく行ったドライブコースに車を走らせた。

このドライブコースには湖のサイドを走るところがある。

湖面が太陽の光を浴びて”キラキラ”と輝いていた。

<千の風になって>の歌の歌詞のnote時には光になってnoteが 突然、頭に浮かんだ。

次の瞬間、涙があふれ出てきた。

  ”光になんてなってこなくてもいい。ここに帰ってきてよ!”

         叶うはずのないことを思った。湖を横目で見ながら

”運転しているのだから、泣かせないでよ!”と夫に言う。

そこからは助手席に夫が乗っていたようだ。

ずっと心の中で、夫と会話しながら車を走らせていた。

ラジオもカーステレオもスイッチはOFF。

5時間ぐらいのドライブだったが、一人だというさみしさが

                  全く無いわけではないけど、あまり感じなかった。

外の景色のこと、車の走りのこと、前にその道を通った時のことなど、

その間いろいろなことを話していた。

帰りに、道の駅で亡き夫の大好物の落花生をお土産に買って来た。

        車の走りは良好です!  また、どこかへ ドライブしましょう!

                                            

2009年3月 8日 (日)

ギァチェンジの感触が好き!

最近の車はほとんどがオートマ車になってしまったので

マニュアル車に乗ることがなくなった。

我が家は亡き夫も私もマニュアル派だったので 3年前までずっと

マニュアル車に乗っていた。クラッチを踏み、ギアチェンジをすると 

”フアッ!” と ギアが軽くなり、滑るようにスピードが上がっていく、あの感触が好き。

特にトップ<4速>からハイトップ<5速>に 切り替える時の感触が心地よかった。

  

でも、3年前に買い替えようとした車にはマニュアル車が作られていなかったので、

それからオートマ車になった。

ギアチェンジが無くなり少し物足りなくて、いまだにギアの所にいつも手を置いてしまう。

オートマでも高速で5速から6速にギアチェンジする時

マニュアル車のあの感覚に触れられ、少し満たされる。

街中の渋滞の時は、オートマの方が楽だから、やはりオートマがいいのかな。

  

でも、クラッチを踏みながらギアチェンジし、滑るようにスピードが変わっていく、

              あの感触はよかったなー!

                                         

2009年3月 7日 (土)

2台の車をどうする?

我が家には亡き夫の車と私のと2台の車がまだある。

まだあると言うのは、夫の死後も車を処分出来ないでいるからだ。

一人で2台を持つというのは税金や保険の費用を考えれば誠に無駄だとは、

分かっているが 車を処分出来ないで一年が経つ。

  

2台とも2人で見に行き、亡き夫が とても気に入って手に入れた。

   ・・・どちらの車も思いが強すぎる。

車がいつもの場所にあるだけで亡き夫を身近に感じてきた。

その車がなくなってしまった時のことを考えると

        とてもさみしくて、”車が無くなるなんて、いやだなー!” と 思ってしまう。

処分してもいいと思う時がきっと来る。その時でも遅くないからとここまで来た。

  

 しかし、2月・3月と保険の書き換え、点検の時期が来て

また車の処分を考えさせられる時が来た。保険はとりあえず、更新の手続きをした。

12か月点検でカーショップへ行く。

2台ともここで買った。その前に乗っていた車もと、もう20年近くの長い付き合いの

販売店で、営業マンもその時からの人なので、私たちの事情は

いろいろ知っていてくれている。

その営業マンから、今後車をどうするか話を持ちかけてきた。

少し、”グッ!”ときたものの、いつかはと考えていることなので、

向こうから話を切り出してくれた時の方が話しやすいかと思った。

こちらの気持ちを配慮しながらの話に、私の方からも今の気持ちを伝える。

 *どちらも手放せない気がしている。

 *もし1台にするならば、未練を残さないように両方を売って、

               新しいものにするのも選択の一つと考えている。

それぞれの車にいろいろな思いが詰まっているから、どちらが残っても、

いろいろ辛いだろう。それならば、新しい車にして新しいスタートをすれば

”もう、これでやるしかないんだ!” と 踏ん切りが付くだろうと思って

そういう風に伝えた。

  営業マンが話をしてきたその日は、亡き夫の月命日。

   これも<そろそろけじめを!> と 夫がメッセージを送っているのか?

  

 営業マンは私の考えを聞いて、

”これからもまた新車の発表会の案内を出しますから、

  その時 <これなら!> と 思うものに出会ったら、考えてみてください。

         でもまだ、迷うようでしたら、やめておいた方がいいでしょう!”

と アドバイスしてくれた。

”おっしゃる通りですね。いろいろ話が聞けてよかったです。”

と 気持ち良く、家に帰って来た。

・・・ ところが家に入ると、

 <こうしていろいろ整理していくことが

      本当に夫が死んでしまったということなんだなー!> と 思えて

久しぶりに声をあげて泣いてしまった。予期しないことだった。

 しかし今、この展開にひとつ階段を上ったような、

     これからの生活に新たな希望を感じるような、気がしている。

                                               

2009年3月 6日 (金)

その一言に注意!

よくやってしまう私の失敗です。

”あーっ!”言わなければよかった。一度出してしまったことばは訂正しても、もう遅い。

相手がいるからすべてをクリアにすることは出来ない。

ホローしようとすると、するだけハマってしまう。

”あー、せめてあの一言でやめておけばよかった” と

ダブルでやってしまうことも私にはよくある。その後、ひどい自己嫌悪に陥る。

   ・・・パソコンや携帯メールのように何度もクリアしたい気分。

まあ、よく考えて、頭の中で復唱・添削してから一言といけば、間違いないのだけれどね。

これが出来ないの。つい出てしまうのだ。

何度もこれで、失敗する。まったく、学習能力がない私だ。

      

そこで心に誓う。

余計な事は言わないようにしよう!

      

こんな自分を直すことが出来るかな? ・・・ いい方法があったら ぜひ、知りたい。

                                    

2009年3月 5日 (木)

バラは強し! バラは私のお手本です

鉢植えのバラが我が家にある。

夫の実家の庭に植えてあったのを鉢植えにして、我が家に持ってきたものだ。

 

夫の実家の庭は、夫と二人で草刈りや庭木の剪定をしたり

木や草花を植えたりとよく休みを利用して手入れしてきた。

この楽しかったひと時の思い出にと、私がこのバラを

昨年の3月に鉢植えにして持ってきた。

  

バラを掘り出す時、芯の太い根を全部掘り起こせなかった為、途中で切ってしまった。

そのため、鉢植えにして根が張ってくれるか心配してたら

     ・・・やっぱり、葉っぱが次々に落ちてしまった。

移植の為に剪定した枝の先端も枯れてきた所があり

”ダメだったかなー!”と半ばあきらめていたが、

5月頃、新しい芽が次々に枝に出てきた。

”よかったー!枯れてしまったんじゃなかったんだ” ・・・思わず独り言を言ってしまった。

それからは順調に育ち、真っ赤な花を咲かせてくれた。

夫がバラの花を咲かせてくれたような気がして、とてもうれしかった。

  

そのバラがこの春も剪定した枝の節のあちらこちらに新芽を付けている。

しっかり根を張ってくれいるようだ。安心した。

このバラは強い。あんなに根を切ってしまったのにしっかり根付いてくれた。

ありがたいことです。環境の変化にしっかり対応して、この家に春を運んでくれる。

  

このバラは 私のお手本のように思えた。

夫の死後、生活の何もかもが変わってしまった私だが、

少しは自分の生活が出来てきたものの、まだ自分のものとしてなかなか

受け入れられなくている。

環境の変化に対応していかないことには 新芽もでなければ、花も咲かない。

そして、新しい春を迎えられない。

なんとか新しい生活に根を張って 自分の花を咲かせよう!

          そして、夫に見せてあげようーっと。

               バラが、私に真っ赤な花を見せてくれたように。

                                                

2009年3月 4日 (水)

不思議な夢

私はよく夢を見る。夫が亡くなる一年ぐらい前に記憶から

なかなか消えない不思議な夢を見た。

その時期、余命宣告された兄が闘病生活を送っていた。

そのことを気に病んでいたために、その夢を見たのだろうと思う。

          

それは眠りながら死んでいくというのはこんな感じなんだと 

自分でその感覚を知る夢なのだ。

  

みんなに囲まれて私が眠っている。

周りのみんながいろいろなことを言っているのだが 何を話しているのかはわからない。

ただそこに眠っている私を上からまた別の私が見ている。眠っている私は

<このまま眼を開けずに眠っていたら死んでしまうんだなー> と 思っている。

     ・・・変な夢だ。

<でも 悲しくもないし、みんなと別れる寂しさもないな>

何の感情も感じない、それどころかそこにいる私は 

   感情と言う言葉も持ちあわせていないのだ。死別する事に対し本当に何も感じない。

ただ、とても眠くて

<このまま、目を開けないで眠っていたら死んでしまう。

                 眠りながら死んでいくとはこういうことか?>

ということだけ感じている。

・・・そこで目が覚めた。不思議な夢を見たと、とてもいやな感じだった。

           

兄の闘病があったから、私は死に対しとても恐れを抱いていた。

本人が死に対してどう向き合っているかと考えると 妹として、とても辛かった。

だから、私の潜在意識の中で 逝ってしまう人がすべての感情を持ち合わせないと

思うことで、せめてもの救いとしたかったのかもしれない。

           

去りゆく人が 別れの悲しみや後に残した人や物に心残りまで持って逝くのは

あまりにも辛すぎるでしょ。

だから、その分、悲しみは残されたものがしっかり引受て、・・・たくさんの涙を流す。

逝ってしまった人が持ちあわせるはずだった心残りも

        残されたものが引き受けて、・・・悔しがり、嘆く。

つまり、残された者の悲しみ・悔しさ・嘆きは

            逝ってしまった人の分と二人分=二倍 と いうことだ。

だから、近しい人ほどその重みは大きくて

立ち直るのに時間がかかるのではないのかと思う。

自分がこのように引き受けることで

 夫が、兄が 安らかに逝けたと思えば、悲しみも悔しさもやるせない思いも

          すべて愛する人への愛の一つの形 なのだからと思えて、

                       心を落ち着かせることが出来る気がする。

目の前にいなくてもまだ、思いやることが出来ることは

変な言い方かもしれないけど、”うれしい!” sun 気分が晴れる。

                                                 

2009年3月 3日 (火)

気がつけば、そこから元気をもらえるよ

いつもはそのことに気がつかないだけなのかもしれないが、

タイムリーに私は、いろいろなところから生きる力をもらえる

  

・夫の死後、悲しくて辛くてたまらない時には、夫が植えた苗が育ち、

  花をいっぱい咲かせて 明るい庭が私の心を癒してくれた。

・天気も悪く、気分が落ち込んでいて

 <どうしてこんなことになってしまったのだろう?> と 嘆いていた時

  空に大きな虹がかかった。・・・天に昇った夫と私を繋ぐ架け橋だ。

      ”いつもいっしょだよ!”と言っているようだった。・・・心の靄が晴れる。

・クリスマスを一人で迎えることになり

 <昨年は二人でnoteもろびとこぞりてnoteを二重唱したね!> と 窓の外を見たら、

 薄らと虹がかかっている。

   ”こうして、繋がっているよ!いつも、見ているから!”

        またまた、元気をくれた北の空にかかる<クリスマスの虹>

・この間の落ち込みの時は”のだめカンタービレ!”の再放送。

 夫との最後の夜いっしょに見たTVだ。夫がメッセージを出している。

    ”これを見て、もう一度頑張れ!”

・そして先日の夜、NHKBSで ”サウンド オブ ミュージック”

 それまで忙しくしていた仕事がひと段落して、少しガックリきてた時だ。

           ・・・ポカンと空いた夫の椅子が寂しく思えた。

 ”サウンド オブ ミュージック” は 夫が好きだったのでビデオは家にもあるが、

 その時はTVを見た。

   その中のnoteすべての山に登れ!note という歌が 今回、力をくれた。

    noteすべての山に登れ! すべての谷や小道を歩け!

     そこに自分の道が開けていく。逃げてはいけない!

          逃げていては問題の解決にはならない。

                  すべての山に登れ!note

気がつけば、見えない何かが周りで一生懸命に 私をサポートしてくれている。

もちろん、私の思い過ごしかもしれないけど

       それでもいいんだ、力をもらえればsign03

                                          

2009年3月 2日 (月)

おいしいものは先に食べる?後で食べる?

夫の死後、夫の物を整理して気がついたことがある。

おいしいものは先に食べなくてはいけないということ。

夫のクローゼットにはせっかく買ったのに

袖を通してない服があったり、履いていない靴があったりして

とても辛かったよ。

”あの時あんなに気に入って買ったのに、一度も使ってないじゃない!”

”まだ、一度も袖を通してな~い!”

手にとって泣けた。どうしてすぐに使わなかったの。

夫だってこんなに早く、自分が死んでしまうなんて、考えていなかっただろうけど。

 <おいしいものは先に食べないと、こういうこともあるからだめでしょ!やっぱり!>

と 独り言をいってしまった。

  

買い物好きだった夫だから、買って自分のものになったところで

70%ぐらいは満足していたかもしれないけど

一度くらいは、身に付けてほしかったなーと思った。・・・とても残念だ。

  

夫の死後、私は必要なものは必要な時に買うことにしている。

そして、買ったらすぐに使う。すぐに食べる。・・・少しでも思いを残したくないから。

でも、そんな私も買ってから一度も袖を通していない紬の着物がある。

この着物は、夫と一緒に選んだもので

 ”これを着て、お帰りなさいと出迎えてほしいな!” なんて言った夫。

夫にこの着物姿を見せることが出来なくなってしまったことが

今となってはとても悔やまれる。

夫は祖父に仕立ててもらった紬の着物を持っていた。

この、夫の紬の着物は旅立ちの衣装に着せてあげた。

    ・・・二人で紬の着物を着て歩くのを楽しみにしていたのに。

  

やっぱり、とっておいてはいけない。後からではダメなんだ。

  おいしいものは先に食べないとダメ!・・・これが私の結論です。

                                                   

2009年3月 1日 (日)

大丈夫?・・・黄砂と大気汚染物質

2/28のTVで黄砂に大気汚染物質が混じっているという放送をしていた。

この黄砂が花粉症の発症を早めたり、悪化させたりするということらしい。

  

屋久島・雲仙普賢岳・蔵王の樹氷を溶かして調べてみると

黒い物質が混じっている。・・・大気汚染物質だ。

研究者が採っている樹氷は一見したところ真白なのに溶かしてみると

ひどい所では黒っぽい水になっている。

ゾッ!とする話だ。

花粉の季節が終わっても花粉症の症状を訴える患者さんが増えている事実もある

という。どうやらこれが原因らしい。

何かとても不安を感じる。

  

こうして、目に見えないものが知らないうちに私たちの体の中に入ってくると思うと

恐ろしい。これが蓄積されたら、花粉症以外のまた違う病気が

生まれてくるのではないだろうか。

「洗濯物を外に干しても大丈夫?」 おふとんを外に干すのもためらってしまう。

ウォーキングも、これでは健康に良いなどとはいっていられない。

   

黄砂が大陸の大気汚染物質と混じり合い、風に乗ってやってくる。

これでは個人の範囲では防ぎようがない。

せめて、風の強い日は外出をやめる、外へ出るときは必ずマスクの着用と

       ささやかな抵抗をするしかないのでしょうか。

                                             

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